◆10◇
「よしっ、じゃあ明日ね!あっ、二人とも買いだしたヤツ忘れないでよ!」
「……………忘れねーよ」
「ああ。忘れたら話にならないしな。じゃあ、俺、バス停こっちだから」
「あっ、私もバスだ。じゃあ薫っ!明日朝7時半に学校前ね♪」
「……あ。う、うん。頑張ろうね、明日から」
「うんっ!!あ〜っ、なんか今から緊張してきたぁ!早く帰って早く寝なきゃ。それじゃ、2人ともまた明日!」
そう元気よく別れを告げると、理子と暁君はバス停へと向かっていってしまった。
「………」
「………」
はい、この空気を一体私にどうしろと言うのですか、神様。
お互い顔も見合わせていないというのに、なんなんだこの重苦しい緊張感あふれるこの空気は。
隣から嫌というほどちくちくと視線が浴びせられているのは分かってる。
理子と暁君が行ってしまった方向をじっと見つめて、それに私が気づかない振りをしてるだけだ。
なんとなく分かっている。
いや、分かりたくなかっただけなのかもしれない。
昂は怒っていて、しかもその怒りの矛先はおそらく私だという事を。
あー…一緒に帰りたくないぞ、非常に。
ただでさえ2人きりになることを怖れていたというのに、加えて昂のこの機嫌じゃ地獄の道へまっしぐらなのは言うまでもないだろう。
やっぱりアレだろうな…
今日、何も言わずに勝手に先に行ってしまったことを怒っているんだろう。
でもそれは仕方がないのだ。
バレるわけにはいかないのだから……
まぁ、何も知らない昂からしたら傍迷惑な話なんだろうけどね。
でもここまで機嫌が落ち、さらに昂がそれを露わにするのは今まで一度も目にしたことがないというほど珍しい。
別に特に一緒に行くと約束していたわけでもないのに、そんなに気に障ることだったんだろうか?
気まずい沈黙が続く。
お互いそのままの状態で一歩も動かない。昂も私を見ているだけで話しかけてこようとはしない。
端から見たら、なんとも滑稽な様子だろう。むしろ、不審者?
「あ、あのさ」
あ〜〜っ!!
ダメだ、耐えられないっ!!
「私この後、用があるから先帰ってて―――えっ!?」
ここはやっぱりひとまず逃げるしかないと思って言いかけた時だった。
昂はいきなり私の腕を掴んで、
「ふざけんな」
と吐き捨てるように言うと、そのまま腕を力強く引っ張り歩き始める。
「ちょっ……こ、昂っ!?」
「うるさい!」
抵抗してみるがまったくビクともしない。
そんな私の様子などお構いなく、昂は私を引きずるようにしてずんずんと歩調を早めていく。
掴まれた腕が痛い。
ちょっと待って……!!
なんで急にこんな事になってるの!?
「ま、待ってよ!なんでいきなり」
「………」
慌てて反論する言葉も全てスルーされ、狼狽えていた私は昂が無言で放つ威圧感に押し黙り昂に付いていくほか無かった。
***** ***** ***** ***** *****
昂の家に着くやいなや、そのまま昂の部屋にまで引っ張って行かれ部屋の中に放り込まれた。
「………っ」
バタン、と大きな音を立ててドアが閉められる。
この唐突な予測不可能な事態にもちろん脳内はパニック状態だった。
何も言えず狼狽えている私を、昂はちらりと見てから皮肉めいた笑いを見せた。
「お前さ、なんで俺が怒ってるか分かってる?」
「………え?」
「気づいてないとは言わせないからな。俺がなんで怒ってるか分かるか、って聞いてんの」
「……あ、アレでしょ。今日、私が先に昂に何も言わずに行っちゃったから…ごめん。でもどうしても約束の前に行きたいところが―――」
〈バンッ!!!〉
昂は私が言い終わらない内に、近くの壁を勢いよく叩きつけた。
びっくりして昂の顔を見つめると、昂は苛立った表情を浮かべ、そのまま私を流し見た。
こんな昂、見たことがない―――
凄まじい気迫に思わずごくりと息を呑む。
「あのさ、俺が気づいてないとでも思ってた?」
「な、なんの…………」
「ここ数日間。極力俺のことを避けてただろ?」
えっ………!?
心臓がビクッとはねる。
な、なんで……気づかれてるっ!!?
「上手く隠し通せてると思ってた?俺が鈍いからいけるって?」
「……っ」
「当ててやろーか。お前が俺を避け始めた原因を―――」
や、め―――……
心にがんがんと警鐘が鳴る。
心の奥深くに閉じこめた枷が動きだそうとしている。
やめ、て、それ以上言わないでっ……!!
「な、なんのこと?どうしたの、昂。今日なんか変だよ?」
いわないで……!!
お願いだから―――!
「お前と何年幼なじみやってると思ってんの?薫が俺を明らかに避けだしたのは、櫻坂との―――」
「やめてっっ!!!!!」
悲鳴のような金切り声を上げた。
もう、何がなんだか分からない。
こらえていた涙が気づいたときには溢れでていた。
ああ、とうとう枷が外れてしまったのか。
驚いた表情の昂が涙で滲んだ目にぼんやりとうつる。
ははっ……そりゃそうだよね。
小さい頃から昂の前で泣いた事なんて一度もないんだから。
「はは……」
乾いた笑いが口から漏れる。
「昂はさ、やっぱり鈍いよ」
「…………は?」
「私が昂のこと好きだなんてこれっぽっちも思ってないんだもん」
一瞬、昂が固まったのが分かった。
これ以上ないぐらい大きく目が開かれたのも。
驚くよね、そりゃあ。
隣の兄弟のような男みたいヤツがいきなり告白なんてしてくるなんてさ。
私は昂を無視してそのまま言葉を続ける。
「知ってた?私、昂に彼女が出来るたびに柄にもなくすごい落ち込んでたんだよね。この前、偶然昂のキスシーンに出くわしたときなんか心臓張り裂けるんじゃないかって思ったし」
知るわけがないだろう。
昂にとったら所詮¨おさななじみ¨なのだから。
「………………っく」
嗚咽が漏れそうになり、必死に唇をかみしめる。
昂の迷惑なんて考える余裕がなかった。
せっかく"友達関係"にまで修復したのに、逆戻り、か……
でもそれを壊したのは他でもない、自分だ。
「ごめん、昂。確かに避けてたよ、昂のこと。不快な思いをさせてごめん。見かけによらず、私って案外意気地なしなんだよね」
床に落ちていたバッグを拾うと、昂の顔を見ずにドアへと向かう。
昂が今、どんな表情でいるかも、どんな気持ちでいるかも分からない。
昂はただ私が避けていた理由を尋ねたかっただけなのに、まさかこんな結果になろうとは思ってもみなかっただろう。
揺れる思考の中でそんな事をぼんやりと考えた。
「じゃあ、私帰るね。いきなりこんな事言ってごめん。あんまり気にしないで忘れてくれればいいよ」
忘れてくれればいい、なんて虫が良すぎる話かもしれないけど………
私はそのまま昂のほうを振り返らずに、静かに部屋をあとにした。
自分の部屋に戻ってもせき止めることを知らないように涙だけが流れ続けていた。
昂に想いを告げてしまったという現実感はなかなか訪れてこようとはしなかった。




