表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
たまには昔の話をしようか  作者: 世界の子羊
7/11

夏の走馬灯

 太陽に照らされる水面は割れたガラスをばら撒いたように反射していた。

 日が経つごとに蝉が煩わしくなる。

 毎年のように平均気温が上昇し、今年も最高気温を記録したと朝刊の一面を飾っていた。国会議員の問題発言より大きく取り上げられていることに、不覚にも吹き出してしまった。国民は議員よりも気温のほうがよっぽど大事で興味があるらしい。

 今週中にもまた最高気温を記録するだろう。

 暑い夏休みはエアコンの効いた部屋で友達と楽しくゲームでもする。それも良いけど、毎日やってるとどんなにゲームが好きでも飽きてくる。どこかに出かけようとしても、こんな田舎には遊ぶ場所も限られている。それのいくつかは暇な教師が見回りでもやっていることだろう。車やバイクで少し先の市街地に行けば、選択肢も多彩に広がるだろう。だけれど、高校生は法的に自動車の運転は出来ないし、バイクは持っている奴が限られてくる。自転車で行くという選択肢もないこともないが、真夏日にだらだらと汗を流しながら二時間以上も漕ぎたくはない。同じような理由で海にも行けない。

 だったら、どうするか。

『川にでも行こう』

 田舎では当たり前の選択肢を選ぶ。

 近くの川で泳ぐことになる。

 一ヶ月ほど前に刈られたであろう草はもう足首まで伸びていた。土手を転げないようにゆっくりと降りていく。ドラマやアニメみたいにスムーズに滑り降りることは出来ないらしい。

 着ていたTシャツを脱ぎ、その下にペットボトル隠す。

 弥一が水の温度を調べようと水面に手を伸ばす。

「そんなに冷たくはな……」

 言葉を言い切る前に顔から水の中へとダイブする。

 水しぶきが上がり、波紋が広がっていく。

 慌てて顔を出して呼吸を整えようとする。

 コンクリートの淵で弥一を指差しながら、ケラケラと笑う日向に流れてきた短い木の棒を投げつける。お腹に当たった。

 日向は足で弥一の背中を蹴って落した。川では誰かがすることになるお決まりだ。

「まだシャツ脱いでないだろ」

 陸に上がりながら日向に言う。

 弥一は水温を調べようとしていただけで、まだTシャツを脱いですらいなかった。それどころか、水分補給ように買っておいたペットボトルも中身をほとんど消費することなく流れていく。

「お決まりだろ」

「少しは考えろ」

「そこにいるから悪い」

 日向の両肩をしっかりと掴むと、暴れるのを抑えて川に向かって薙ぎ払う。バランスを崩し体を横にしたまま高い水しぶきを上げた。

 そこに笑いながら、晋介は飛び込む。ドロップキックでもするかのような体制は、派手に水しぶきを上げることなく槍が水中に刺さったときのように空気のトンネルが出来た。

 泡だけ上がってきて二人とも一向に顔を出さない。

 沈んだかと呑気に思いながら気にすることなくそれぞれ服を脱いだり、水温を確かめたりしている。

 二分ほど経つと、二人は一緒に顔を出した。コンクリートの陸から約十メートルくらい離れた水面に。

 三つある堰のうちの真ん中に上がった。手前だけは起伏式の鉄の堰で、残りの奥二つはゴムで出来たラバーバムのことだ。彼らに言わせるならゴム栓である。ちなみに、今いる場所は以前に柊が行こうといっていた場所とは違う。

 ラバーバムの軽快なステップで走って向こう岸へ行った。

 早く来いよと手を振っている。

 続くように川へ飛び込み向こう岸まで泳いだり、途中でラバーバムに上がって走る。

「弥一、先行くぞ」

 如月は服を絞っている弥一に声を掛ける。

「ちょっと待って」

 ライブでタオルを回す様に、服を頭の上で回転させる。服が伸びるぞと思いながら口に出さずに待つ。

 太い縄のように捩れた服を広げるとしわを伸ばす。几帳面にも畳んで置こうとする。

「そこに置いたら汚れるぞ」

 地面に何も敷かずに置こうとした弥一は確かにと言う様な顔をする。体を起こして土手を登る。姿が見なくなったと思ったらすぐに下りてきた。バイクに置いてきたのだろう。

 よし行こうと先に水の中に入る。

「思った以上に冷たくないな」

 水を体に当てて水温に慣らす。

 その光景を向こう岸で見ている日向たちは、指を指して笑っている。声は聞こえないが言っていることは何となく予想できる。熊が水遊びをしていると笑っているはずだ。

 カメラに撮ろうと、一度陸に上がり服の下からスマートフォン取り出して、その様子を撮影する。今度、クラスメイトに見せてやろう。もう一枚写真を撮り、十秒ほど動画も撮影しておく。

 川に飛び込み弥一の後ろを付いて行く。

 ゆっくりと泳いで中間までは行こうとした。

 何度も泳いで渡ったのだ。今回だって同じはず。

 でも、行けなかった。

 そこまで大きい川というわけではなく、向こう岸までせいぜい五十メートル弱くらいだろう。高校生なら簡単に渡れる。

 いつもなら手前の堰は上がっているが、その日は少し下がっていた。そのせいで川の流れは手前だけ速くなっていることに気づいていなかった。

 ゆっくりと渡ろうとして泳ぐスピードが流れに負けていた。逆らおう水をかぐスピードは上がるが進まない。

 学校でも水泳の得意な弥一が本気とも言える表情で泳いでいるのに前に一向に進まない。流される感じた弥一は百パーセント以上の力で泳ぐ。その泳ぎを学校のプールで計測したらその辺の水泳部にも負けてはいないと思う。それでもほんの僅かしか進んでいない。少しでも力を緩めれば流されただろう。

 そのくらい川の流れは速かった。

 水泳の得意な弥一でこれなのだから、苦手な如月が足掻いても流されていく。弥一との距離もどんどん開いていく。

 早々に諦めた如月は身のままに流される。

 どんどん流される如月を遠くで見ている彼らは笑っているが何が起きているのかは分かっていない。分かっていても、きっと、助けに行こうとはしないだろう。

 だって、彼らは如月のクラスメイトでもなければ、同じ学校に通っているわけでもない。小中学校の同級生というわけでもない。厳密には日向と弥一だけがクラスメイトで、それ以外のメンバーは如月と接点がない。

 では、どうして一緒に川に来ているのか。

 それは、晋介たちが日向や弥一の中学時代の同級生だからだ。

 七人で川に来ているが、如月を除いた六人は同じ中学校に三年間通っていたことになる。先ほど接点がないと言ったが訂正しよう。正確には、日向と弥一という歯車を介すことで接点を生み出している。

 彼らとは以前にも数回会ったことがあり野球やサッカーなどはした。けれど、あまり会話もしていないし、連絡先を知っているというわけでもない。中には名前は聞いていたが、今日初めて会う奴もいる。

 だから、あまり気にしていない。

 川に来ているから泳げると思っている。流されても死ぬことはないと心のどこかで思っているのだろう。

 泳ぐの止めた如月の姿が堰柱の影へと消えていく。

 このとき初めて、やばくない、という会話があった。

 少しだけ危機感を覚えたが、もう無理でしょと誰もが思った。



 彼らが何もせず如月の姿が堰柱の影に隠れそうになっている時、弥一は助けようと奮闘していた。

 一度は流れから脱出したが、流されている如月のことを考えて助けようと堰柱に掴みながら助けに行くタイミングを見計らっていた。



 堰柱が顔を掠めそうになる。

 もう終わりが近づいてきていることは前を向かなくても分かる。

 コンクリートの堰柱に手を伸ばしたところで届かないだろう。何度か見たことのあるそれはいつもより高く感じる。

 目に水が入って痛い。ぼやける視界の中に弥一が映っていない。きっと流れから逃れることが出来たんだろう。

 何だか流れが遅くなってないか。そんな錯覚に囚われる。でも、残念なことに流れる速度は何も変わっていない。当然のように淡々流れる水に悪意はない。坂になっているから流れるだけ。

 映画みたいに上から手が差し伸べられて助かることもないことは、高校生にでもなれば分かる。

 前を向くと本当にすぐそこまで迫っていた。

 この先がどうなっているかは飛び込む前に見たから分かる。落ちればきっと無事では済まない。死ぬ確立も高いだろう。死ななくても骨折以上の怪我を負う事は免れない。

 堰の先は希望が持てるものではない。

 大量の水が三メートルの高さを真っ逆さまに落ちてコンクリートの地面に叩きつける。連続して落ちる水は叩き続ける。それでは終わらない。落ちた後は、斜めになったコンクリートの上を勢い良く流れ、途中にある流れを抑えるために突起物に当たり激しく水しぶきを上げる。そして、流れを多少失いながらも下流へ再び流れ始める。

 もう終わったな。みんなと同じようなことを考える。

 この後、どうなるんだろうな。川で大怪我したり死んでしまったら川に行くことが禁止になるのかな。その前に、弥一たちは起こられて停学でも喰らうのかな。それは悪いな。あの漫画の続きが気になるな。

 死ぬと分かると人の思考はそれまで以上に加速して、世界一のスーパーコンピューターよりも早い処理速度になるのだろうか。

 一秒立つ間に信じられないほど考えることが出来る。

 加速した脳は、今までの思い出を次から次へと呼び起こして頭の中を巡る。

 走馬灯。

 死ぬ前に見ると言われるものは本当に現実にあった。

 あまり覚えていない小学校から懐かしい中学校のどうでもいい日の記憶。これまでの短い人生で一番楽しいと思える高校生活。子供のように笑うクラスメイト。意味の分からない設定でコントをする部活の仲間。

 楽しいことだけではなくて、苦しいことも悲しいこともある。理不尽な大人の言葉も聞こえる気がした。

 今では懐かしい。

 自分が意識して思い出そうとしても浮かばない光景まで見える。

 見飽きる見てきたノリが今では懐かしく恋しく思う。

 もう少し生きたかった。出来れば高校は卒業したかった。

 ドキュメンタリー映画でも見ているようなその映像が途切れると、堰は目と鼻の先にあった。

 ゆっくりと近づいてくる。現実は変わらない流れも、この時は全てがスロー再生しているかのように見えた。

 何故かは分からないが笑みが零れる。

 全てを受け入れるように体を正面に向ける。

 覚悟を決めた。

 少しだけ前に出していた足の指先が鉄製の堰に触れる。コケでぬるっとした感触が伝わる。

 そして――。



 弥一はタイミングを窺っていたが、如月の姿を確認しようと顔を出せば水圧で流されてしまう。

 どうにかしないと。

 普段なら笑って馬鹿にするだろう。でも、それは命に危険が及んでいないから。さっきだってここに来る途中に、上半身裸に半キャップのヘルメットと黒のサングラスをしてバイクに乗っていた。首にマントのようにして巻いたバスタオルが風で靡く。それをバイクに乗りながら片手でスマートフォンを持ち如月が撮影していた。見つかれば免許取り消しにもなる違法行為を笑い合っていた。自分は可笑しな格好をしているだけ通常通りに運転は出来たし、如月も片手にスマートフォンを持っていても運転できると信じていたから。

 バイクならいいが、水の中だと違う。潜ることなら如月のほうが出来ても、水泳に関しては苦手ということを知っている。

 自分が流されないようにするので精一杯だったのに、如月が戻って来られるはずないと。

 それに、堰の向こう側を知っている。

 無傷では絶対に済まない。

 だから、彼を助けに行こうとしている。

 弥一なら堰柱の上に手が届く。如月のところまで行って、コンクリートの淵を掴んで流されないようにすればいい。そうしていれば、きっと、みんなが来て引き上げる。

 意を決して流れに向かう。すぐには流されないように、斜め前へとコンクリートを蹴ってジャンプする。

 策度を殺すためにクロールをしながら、ゆっくりと近づいていくつもりだった。

 少しだけ後ろを確認する。もう少しで堰の向こうに流されようとしている姿が見えた。

 助けようと思っていて自分の意思で流れに飛び込んだはずなのに、不思議と流れから脱出しようとしている。

 防衛本能だろうか。それとも、助けに行ったら死ぬかもしれない恐怖からだろうか。

 恐怖とは人の意思とは関係なく、体を支配するものだ。

 恐怖から逃れることが出来るのなら、その選択を体は意思とは関係なく選んでしまう。

 何も無いような晴天霹靂の空。

 眺めていれば平和と思える。

 流れの来ない安全な堰柱の近くまで移動しようとする弥一の視覚が一瞬だけ横切っていく影を捉えた。



 その時、如月の思考はどのコンピュータよりも加速した処理能力を持っていただろうか。

 一瞬のうちに全ての行動がシュミレーションを完了し、行動していた。

 落ちると思ったとき――指先が鉄製の堰に触れた瞬間にほとんど感覚的に助かると分かった。

 堰に足裏を付けると力を入れて体を浮き上がらせる。手を伸ばせば堰に届いた。右足と両腕に力の入れて体を引き上げる。左足を淵に引っ掛けて一気に登る。

 ほとんど無駄のない動きだった。

 走馬灯まで見えた絶望の中で一筋の光が迷い込んだようだった。

 立ち上がり呼吸をするのと同時に走り出す。

 視界の端に弥一の姿を捉えた。

 堰柱からラバーバムへと乗り移り落ちないように走る。弾力のあるせいで、ダサいスキップしているみたいだ。

 止まることなく走り、みんなの元へと駆け寄る。

「死んだかと思った」

 最初に晋介がそんな言葉を掛けた。

「俺も死んだと思った」

「良く上がれたな。本当に死んだらどうしようかなと思ったぞ」

 日向は本当に驚いている。珍しく的外れなことを言わなかった。

「走馬灯が本当に見えた」

「ホントにあるんだ、走馬灯」

「あるある。いろんな記憶が流れた」

 詳しくは話さなかった。話しても興味は持たないだろうと思って。

 みんなは堰柱の影に隠れたとき、もうダメかと思ったと口々に聞いた。

 どうやって助かったかのだけを話した。

 もう一度やれと言われても無理だろう。

 火事場の馬鹿力に似たものだと思う。

「弥一、どうする」

 指を指されたほうを見る。軽く忘れていた。

 少し考え込み、どうにかなるでしょ、と晋介言うとみんな頷いた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ