バーベキュー
「誰が肉買いに行く?」
柱に凭れて部屋の中にいるクラスメイトへ弥市は尋ねる。
無線のコントローラーを握って忙しく指を動かす渡と日向は二人そろって、「お前が行って来い」と画面から目線を外すこともなく言う。今は、肉よりもゲームを操作することのほうが二人とっては大事なことだ。
ベッドに乗って本棚から抜き取った漫画を読むことに集中している如月は完全に無視である。
それを見かねた弥市はため息を吐き諦めたように話を進める。
「種類は適当でいい?」
「別に何でもいいよ」
次の巻を取るために本棚に手を伸ばしている如月が答える。
「何か食べたいのあるなら今言って。後で言われるのも面倒だから」
相手の問いには特にないと答えても後から何故買ってこないと言われることがしばしあった。だから、ここで言って置かないとこのクラスメイトは五月蠅い。
「じゃホタテと手羽先は買ってきて」
「手羽先好きだな」
劣性気味の日向が言う。指しか使わないはずなのに体が左右に揺れている。キャラクターの動きに連動しているようだ。
動きがキモイな。横目で見ながら如月は心の中で呟く。
「プーさんのセンスに任せる」
「だな」
日向と渡は考えることすらしない。一応聞いてはいるようだ。
プーさんとは弥市の事で何故そんなあだ名で呼ばれているかは分からない。気づいた時にはすでにクラス定着していた。
「そう。文句は言うなよ」
それは分からない、と考えることもしない無責任な日向が呟く。
ポケットに財布が入っていることを確認すると、バイクのカギを取り玄関へ向かう。いってらっしゃーい、と無感情な声で見送る。
コントーロールを操作する音が休むことなくなり、それに合わせて画面のBGMも変わっていく。
「わっ! ちょっと」
「そこ待って。違うって、そっちじゃない」
「今のどうやってやった?」
「勝ったら教えるよ」
「もう一回やろう」
テレビから聞こえる音以外は二人のキャッチボールにもなっていない会話だけしか聞こえない。漫画のページを捲る音が聴こえないあたり、時々二人しかいないのかと思わせる。
外から聞こえてくるバイクの排気音が止まり、玄関が開く音がする。
「飲み物いる?」
弥市ではなく宵宮の声が聞こえた。
「雄一来たんだ」
先程聞こえた排気音は宵宮が乗って来たバイクの音だった。
人の家なのによく叫べるな。
「リンが買ってくるはず」
ページを捲る手を止めて何も気にせず答える。
「オーケー」
先程よりも大きな声で返ってくる。
二つの排気音が遠ざかっていく。
今更ながら思うが、たまに家の住人がいないの平気で部屋にいるよ。この部屋は弥市の部屋で、ここは弥市家である。
こんなことを特に気にしないあたり信頼はしているのだろう。
これが正しい友達関係は分からない。
「そう言えば、あいつら金あるのかな」
思い出したように指を止めて渡は呟く。
「言われたらやればいいよ」
少しだけ悪意のある如月が答える。
分かっていて見送ったんだろう。
彼らが聞いたら面倒な文句を並べられそうだ。
昼に止んだ雨も夕方にはまた降り始めた。傘を差すほどの勢いはない霧雨のような雨は遠く山の影から漏れる夕日に照らされて赤いカーテンが広がっているように見える。いつもよりはっきりと虹が出ている。
初夏を過ぎ夏が始まるこの時期は午後七時半を過ぎてもまだまだ辺りは明るい。
雨のせいで湿度が高く普通に生活していても不快感を覚える。
午前中がテストで半日授業になった高校生は河原に集まっていた。霧雨でも雨は降っていることには変わりないため、道路と道路を繋ぐために川に掛かる橋の下に居た。
雨宿りをするスペースは見つければ田舎だろうとどこにでもあるが、自由に使えて広い場所は中々ない。
バーベーキューコンロを囲み炭に火が移るのを眺めている。
着火剤に点けた火はピラミッドに積み上げられた炭の真ん中で空前の灯火のように弱弱しく揺らめていた。
「ぷーさん、早く点けて」
少し離れた弥市の原付に座りスマートフォンを操作する日向は手伝う意志もなく、急かす。
「お前手伝えよ」
火ばさみで指しながら返す。
「まだ火も点かないんや」
原付のフロントポケットにスマートフォンを入れ駆け足で輪の中に混ざる。
貸してみろ、と無理やり弥市から火バサミを奪うと、箱から無造作に炭を取り出しコンロの中に入れる。何を考えて入れたのか分からないが、コンロの幅とほぼ同じ大きさの炭だった。それを支えきれなくなったピラミッドは崩れ(というより置いた瞬間から崩れた)、着火剤の空前の灯火のように弱弱しかった火は一瞬にして消えた。炭の端で薄らと見えた赤色もすぐに消えていく。
誰もが不満と驚きを隠しきれずに顔に表れていた。
開いた口が塞がらないとはまさにこのことだ。
「お前何やってんの?」
「本気でヤバいぞ、今のは」
「火が弱いんだよ」
弥市が髪をぐちゃぐちゃ崩し言葉で攻める。
コンロの幅と変わらない炭を置けばピラミッドが崩れることなど考えなくても分かるもんだろう。バーベキューが初めてというならまだ許されるが、自宅で何回もやっている。これには悪意さえも感じ取れる。
頭が悪いだけなのか天然なのかはこの際どうでもいい。何度もやっても分からないのは、単純に記憶力に乏しいとしか言えない。
弥市が馬鹿にするように責め立て、それに応戦しようと日向が言い返すがまたその言葉で馬鹿にされる。筋の通っていない言い訳ならまだ馬鹿で済ませるが、的外れな言葉は油に火を注ぐかの如く余計にヒートアップさせる。横で見ている渡と柊はただその光景を見て笑い囃し立てる。止めようとはしない。
日向への言葉攻めは本日二回目だが、今回はいつもに増して長い。
まだ終わりそうにないと思った雄一はバイクに座り、ハンドルに肘を置くようにしてスマートフォンを操作する。
「今何やってんの?」
後ろから声が聴こえ振り返ると、ラフな格好で草をかき分け轍を歩く亮の姿があった。初夏を過ぎた季節とはいえ、草をかき分けて辿りつくような場所に来る格好ではない。
「見ての通り」
画面からコロンを囲む輪に目を向ける。
「日向がまた何かやってぷーさんを怒らせたのか」
「ぷーさんだけじゃなくてみんな。火を起こそうとして火を完全に消した」
「あいつらしいな」
期待通りと言ったらそうなる。
日向の座っていた弥市のバイクに座り、「楽しそうだな」と呟く。隣でカメラのシャッター音が聞こえた。つられてフロントポケットから取り出したスマートフォンのカメラを起動させ二人の顔が収まるまでズームインしてからシャッターを切る。もう一枚撮ると、ピクチャーを開きロック画面とホーム画面の壁紙を変更する。
「これ観て」
画面をブラックアウトさせて渡す。
「普通に点ければいい? あはははは、ははっ。面白いな、これ」
「ロック解いて」
「あははははっ、ふっふふ、いいねこれ」
自分のスマートフォンを落としそうになりながら笑う。
「センスあるね」
「だろ」
ロック画面には顔の半分しか写っていない渡、ホーム画面にはアップで撮影された日向と弥市が設定されていた。じゃれ合う二人の顔をバックに画面を横にスクロールしてアプリを探すとうまいことに二人の口にアプリのアイコンが重なりモザイクのようになっている。ある意味では危ない。
ドヤ顔の亮を横にまたスマートフォンをいじる。
新しい固体の着火剤を取り出して、もう一度炭を組み上げる。渡からライターを借りて着火剤に火を点ける。指に火が触れないように恐るおそる組み上げた炭の中に入れる。
洞窟でランタンに火を灯したような淡く温かい光が広がる。
離れた街灯に明かりが灯りだしていた。周りに建物がないからか、等間隔で並んで街灯の光さえ見える。
温かい光が民家に灯る。
時刻は八時を過ぎて、もうすぐ長針が半回転しようとしていた。
星が黒と群青に混ぜった空に散りばめられていた。
「火点いた?」
トイレから戻って来た枡川喜一と鳥澤優弥はコンロを囲んだ輪に入り、炭の火加減を確かめる。
「全然じゃん。何やってた?」
何も事情を知らない喜一は弥市に問いかける。「こいつが調子乗って消した」と横に居た日向を指差して言い返す。
「ヤバいよ日向」
鳥澤がそう言っただけで他に責めることはなかった。
日向の寝起きのような髪を見て察したのだろう。
渡の握っていた団扇を奪うとピラミッドに組み上げられた炭に向かって風を送る。少し煽いでも消えないと分かったのか、腕に力を入れて一気に振り下ろす。コンロを過ぎた辺りで止めて軌跡を辿るように振り上げる。それを何度も繰り返す。コンロの下に溜まっていた僅かな埃と崩れて砕けた小さな炭(日向の粋がった行動の残骸)が強風によって舞い上がる。
埃や炭の乗った風が顔に直撃したのか、手で顔の辺りを掃いながら咳き込む。
「ちょっと考えろ」
少し後ろ避難して風から逃れる弥市が唾を吐きながら言う。
「ワリーワリー」
悪気の全くない喜一は笑いながら謝る。
「日向は何で倒れる?」
スマートフォンを取り出して、自然な流れで写真を撮る。カメラのフラッシュが尻もちをついた日向を明るく照らす。
「いや、その」
自分が倒れた理由も分かっていない。
喜一の起こした風は日向の顔に直撃した。ここまでは弥市と何も変わらない。この後に咽たり煙くて非難するのが普通の反応だ。弥市も一般的な反応を見せた。だが、日向は違った。ここはさすがと言うべきかもしれない。この反応は日向にしか恐らく出来ないだろう。
炭の破片や塵を舞い上げた風は顔を襲った。それに驚き後退りしたのだが、何故かは分からないが尻もちをついてしまった。アニメのように空き缶で転んだわけでもなく、石や道具が転がっていて躓いたわけでもない。地面はコンクリートでぬかるんでいるはずもない。
単に驚いて転んだのだ。
これを世間では天然と言ったりするかもしれないが、彼のクラスメイトはそれは違うときっぱり言い切るだろう。
「さすが。期待に応えるね」
亮はそう言いながら、少しも期待などしていなかった。躓くという予想さえも考えていなかった。
「あれっ! スマホ、スマホ」
薄暗い中を左右に首を振って探す。
誰かが指示することも、日向がお願いすることもなく、自然とスマホやケータイを取り出してライトを点けた。
明るく照らされた中で後方に青く四角い物が転がっていた。
「あった」
拾い上げながら不快な顔をする。
手触りでそれが汚れている事が分かった。
もう一度照らしてもらうと裏側に泥がついて、画面が汚れているのが分かった。
「あーヤバい」
近くに居た弥市の服で迷いなく焦りながら画面を拭く。
ふざけんな、と服に擦り付けているスマートフォンを地面に投げる。
地面に落ちた時にパキッと軽い音が聴こえた。
駆け寄って大事そうにスマートフォンを手に取り、隈なく見る。
「カバー割れてる」
幸いにも画面ではなくてカバーが割れていたらしい。
「良かったな、替える口実が出来て」
上から見下したように返す。
手で泥を落とし輪の中に戻る。
汚れた手を弥市が愛用しているタオルで拭いたことで拳を頭に押しつけて回転させて擦る動き――いわゆるグリグリされたことは余談である。
日向が痛みもがいている間にコンロの炭に火が行き渡り、夜に火山の航空写真を撮影した時ように赤々なっていた。
網を乗せて少しの間、網を焼く。
「ねぇ何で網って焼くの?」
集まってから唯一何もしていない亮は、バイクから降りてコンロに近寄りながら尋ねる。
「何となくじゃない。気分だな」
如月はレジャー用の椅子に座り、箱の中の大きな炭を半分にしている。
「ちげぇよ。網を焼かないと肉が引っ付くからだよ」
タオルを首に掛けた――周りから見るとおっさんにしか見えない――弥市が答える。タオルの先は泥が少しだけついていた。
網が十分に熱したところで、豚バラを半分ほどまとめて乗せる。割り箸で豚バラを網に隙間が出来るよう並べ直す。
ジューと肉を焼いた時の食欲をそそる音がなり、表面から肉汁が染み出ている。
紙皿を配りたれを回す。
「熱い」
「早く返せよ、ぷーさん」
肉を裏返そうとするが、コンロの火が熱すぎて手を出すことが出来ない。何もしないと裏返す前に片方だけ悲惨なことになる。
肉を挟むことは出来ても、肉から落ちた油が火を燃え上がらせ反射で手を引いてしまう。
中心部はミニキャンプファイアのようになっていた。
如月と渡が網を持ち上げて火から一時的に離し、弥市が炭をコンロに万遍なく広げる。
その間に、喜一が肉を裏返す。そしてまた網をコンロにセットする。
小さなキャンプファイアは治まり、噴火したあとの溶岩がまだ固まっていないかのようになった。
それでも、三枚ほどはすでに遅く黒くなっていた。それと何があったかは分からないが、薄暗い地面の上に数枚の赤みの残った肉が落ちていた。
折りたたまれた椅子を展開して座り、皿にたれを入れて網の上で香ばしい匂いを漂わせる肉を取り雄一は食べる。
「うまい。やっぱり炭で焼くと良いね」
「お前、何もしてないだろ」
中心部分が赤くなった網の上に激辛ウィンナーを乗せる。転がり落ちそうになったところを鳥澤が器用に箸で掴む。キャベツを手で好みの大きさに千切って他の野菜と一緒に空いているスペースに置いて行く。
やっとバーベキューらしくなってきた。
先程の炎で一部が黒く炭になった肉を弥市がよそ見しているうちの皿の中に入れる。雄一があからさまに生焼けの肉を平気で入れる。
日向が落ちた野菜を入れようと皿に手を伸ばしたとき、運悪く肉を取りタレを付けようとして気付かれる。引き攣った顔をして頭を掻き、日向の顔を見てニヤリと不気味な笑みを零すと伸ばしていた腕に焼きたてての肉を落とす。
「あぁぁぁぁぁぁっつい」
思わず握っていた肉と割り箸を空中に投げ出す。
熱さでじっとしていられなくなって立ち上がりこけそうになりながら川の方へ走っていく。
少し先で姿が見えなくなる。
暗い闇の中で変な声だけが聴こえる。
「わっ! ちょっと待って」
「川どこ?」
「痛っ」
最後の方には、声と共に水が弾ける音が聞こえた。
その声を聞きながらみんなで笑う。姿が見えない分、面白い。
普通なら夜の川であんな声が聞こえたら溺れたりしているのかと思うもんだが、そんなことは誰も考えていない。
姿が見えていたら腹筋が筋肉痛になるほど笑って、呼吸が出来なくなっていたかもしれない。
石同士が擦り合う音が近づいてくる。
それは途中で方向が変わり、土手の方へ行くのが分かった。
辺りはほとんど暗くなり橋の上で橋の上から漏れる街灯の光が帰って来た日向を照らす。
十メートルほど先に見える姿だが、すぐその現状がに分かった。
服が濡れている。
水の弾ける音は滑ったか躓いたかして川の浅瀬に尻もちをついたのだろう。
さっきは泥で服が汚れ、今度は川で濡れる。
それも誰に何かされたわけでもなく。
「大丈夫や?」
渡が土手を登る日向に声を掛ける。
「ちょっと水で洗ってくる」
肘を向けながら返す。
何も分からないが、擦り剥いて血でも出ているのだろう。
「あいつ何かやると、必ず怪我するな」
暢気に肉を頬張りながら雄一は言う。
「何ていうか、ある意味天才だな」
濡れた日向を撮影したのか、亮の手にはスマートフォンが握られていた。
期待通り。
今回は誰もがこの結果を分かっていた。
だから、気にもしない。
コンロの上で何も手を加えていないウィンナーに縦に亀裂が入り、その間から肉汁が垂れる。
塩コショウを一本のウィンナーに無駄多くにかけて雄一はドヤ顔で言う。
「これ、じゃんけんで負けた奴が食おう」
「これはきついぞ」
「本当に馬鹿だな。ヤバいぞ、これは」
口々に言いながら、コンロの上に拳を伸ばす。
掛け声で、三択の内の一つを出す。一回では決まらずにもう一度声を掛ける。
笑いとため息が聞こえる。
「マジか」
グー一人に対して他全員がパーを出した。
それで食べるのは、弥市に決まった。
「さぁ食べよう」
嬉しそうに雄一はウィンナーを皿に入れる。
「早く食べて」
「男だろ」
亮と喜一は囃し立て、如月がスマートフォンのカメラのアプリを起動させて構える。鳥澤は微笑みながら、さらにウィンナーに塩コショウを掛ける。
「マジで馬鹿だな、これ」
たれに少しだけ浸かるウィンナーを弥市は一度見る。
塩コショウのかかったウィンナーはバーベキューに関わらず普通である。誰でも一度くらいは食べたことがあると思う。
しかし、これはただの一般的なウィンナーではない。
激辛ウィンナーである。
袋に如何にも辛そうな真っ赤な唐辛子と青々とした獅子唐辛子がプリントアウトされている。これは辛い。見ただけでも分かる。
裂けた部分から出る肉汁の隙間から見える中身は赤く見える。
食べてもいないのに体の体温が上昇した気がした。あくまで気がしただけで実際にはしていない。レモンを見たら唾液が自然と出てくるの同じ現象だ。
「頑張れ」
悪意の籠った如月の言葉を受け流して摘まむ。
砂山が崩れるように塩コショウもまたタレのため池に落ちる。
覚悟を決めて半分くらいを食いちぎる。
「行ったね」「さすが」「やっぱ、違うな」とそれぞれから賞賛の声が聞こえる。これは皮肉で言っているわけではない。彼らも貶したり皮肉を言ったり、囃し立てて笑うけれども褒めることは忘れない。
一部を除けば悪意はない。
平気そうな顔を浮かべる弥市にどこか不満そうな顔を向ける。
そこまで辛くないのか。
街灯を背にしているせいか、影になって顔を表情が分からない。
「光無くて肉が焼けた分からないから、誰が照らして」
雄一が少しがっかりした声で言う。
喜一がポケットからケータイを取り出してライトを点ける。コンロが照らされ、こんがりと焼けたウィンナーや肉が見える。隅の方ではキャベツが焦げている。
「あれ? 顔赤くない?」
亮が覗き込んで言った。
全員の顔が一斉に弥市に向く。遅れてライトが照らされる。
逆立ちをして、あるいは息を長い間止めたかのように弥市の顔は赤く染まっていた。
口が閉じた状態で慌てふためくように動いている。激辛ウィンナーを噛み、千切り小さくして飲み込む。喉仏がごくんと音を出した。それと同時に顔を、体を素早く回れ右して草むらに向かう。
暗闇の生い茂る草むらに吐き出す。
「辛っ! やばい、やばい」
唇が少し腫れている。口を開けてパクパクさせながら痛く熱い口の中を冷やそうと空気を取り入れる。
本当に辛かったようで行動に焦りが見え、慌ただしい。
何かを探してビニール袋に手を入れ、ひっくり返して中身を出す。紙コップや紙皿、割り箸、着火剤などが散らばる。
「お前片付けろよ」
喜一が呆れたように笑って注意する。
雄一が腹を抱えて膝を何度も叩いて声を上げて笑い、渡と亮が口の中身が出ないように押さえて肩を震わせて笑いを堪えている。今にも吹き出して来そうだ。笑いがらもその行動を動画に収めようと頑張る。手が震えていてボケていそうだ。激辛ウィンナーを一口食べてみた鳥澤が「辛っ」とびっくりしている。
辺りを何度も見渡す。
薄暗い中で探している物が見つからない弥市はみんなに声を掛ける。
「飲み物ってどこある?」
袋をひっくり返しても探していたのは飲み物だった。
辛くて口の中が痛くて喉も乾くから飲みたかったのだろう。誰でも辛い物を食べるときは水だったりが必要なはずだ。
「飲み物は誰が買ってくるんだっけ?」
ビニール袋の中にライトを当てて、喜一が言う。
未だに雄一は笑って弥市の顔に光を照らす。
「リンが買って来るはず」
ちょうど良い具合に焼けた肉をキャベツで包んで如月は暢気に食べる。
リンとは嘉良松琳太郎の事で、バーベキューに飲み物を買って来ることになっていた。急に決まったとは言え、肉も炭も用意できているのだから飲み物なんてコンビニでも買える。
そう思って頼んだのだが、当の本人はまだ来ていない。
「はっ! ヤバッ」
「えっ何で来てない?」
「何でも遅いだろ」
弥市、雄一、鳥澤の順に気づいて言った。
六時に弥市の家に集合と伝えてある。集合時間に遅れた鳥澤と喜一も六時半くらいに来た。喜一が鳥澤を迎えに行っていたのでまだ許せる。でも、連絡なしにこの時間は遅い。
「誰か連絡来てない?」
喜一が尋ねるが誰も来ていないらしい。それを見て如月が電話を掛ける。コールが何度か続き、留守番機能に変わったために切った。
「出ない」
「あいつヤバいな」
「飲み物が無いのはきついぞ」
「辛くて喉痛いのにどうしてくれる」
「もっと喰っている」
「鳥澤、それは違うぞ。どこの鬼畜や」
「ホントは欲しいんだろ? 分かってるって」
「そうかそうか」
雄一と鳥澤はさらに塩コショウがふんだんに乗った激辛ウィンナーを作ろうとしているところを弥市が止める。
「リン、来ないとかないよね」
「来なかったらヤバい」
「一人五千円くらい払わせる」
「口開けさせて、商業棟の三階から一階まで走らせよう」
「それいいね。最後に告らせよう」
「ゆーちゃん、好きだーって叫んでもらおう」
「でも滑舌悪くて何て言ってるか伝わらないぞ」
「あいつリアル ツイッターだからな」
罰ゲームと言うよりはある意味公開処刑を考える。
子供みたいな考えなんて言われるかもしれないが、子供でも無駄に知識があり悪意を織り交ぜた考えは本当にバカとしか言えないものだ。
大事な飲み物はどこかに行ってしまったように、琳太郎の公開処刑について口々に言う。
飲み物はどうでもよくなったのか、肉や野菜を網の上に乗せていく。塩コショウを適当に振りかけて焼けるのを待つ。キャンプファイアの様に燃え上がっていた炭も今は落ち着き、丁度良い火加減になっている。
特に気にせず、食べる。というより焼け加減を見て判断できなかった。食べてから生焼けだということに気付く。薄暗い中ではまともに見えない。橋の上の街灯も洩れている程度で当てにならない。スマホやケータイのライトを最初は照らしていたが、手が疲れて電池が持たないという事で消した。
「暗くて見えないんだけど。ぷーさんどうにかして」
「自分でやれよ。それより日向、ウィンナー食ってないよね?」
「食べてないよ。帰ってきたらなかったもんね」
「じゃ食べていいよ」
はい、と弥市の代わりに鳥澤が日向の皿に入れる。
薄暗い程度だから誰がどこにいるかくらいは分かる。
「何もしてないよね?」
疑い深そうに尋ねる日向に対して、何もしていない、と答える。
「それ以外に美味しいよ」
フォローする雄一。
間違ったことは言っていない、激辛なだけで。
弥市が食べた後にみんなも一様に食べたが辛かった。でも、その時はまだ日向はトイレから戻って来ていなかった。戻って来たのは琳太郎をどうするかと話している時だった。
「何もしてないよね?」
「大丈夫、きっと」
疑いながらも一本残ったウィンナーを食べる。
普段通りに二口程続けて食べる。きっと疑いながらも食べるということは案外みんなを信じているのだろう。
何気ない顔をしていたが、顔が赤くなり顰める。変顔とも取れるその表情に笑いを堪えることに精一杯だった。画像として残したいくらいだ。クラスメイトに見せたら大爆笑しそうだ。
変顔も次第に酷くなり目を閉じて口をパクパクし始めた。陸に上がった魚のようなに。美味しいとは聞いていたが辛いとは聞いていない。予想外のことに慌てて、でも辛くてどうすればいいか分からない日向は思わず飲み込んだ。
辛い物を小さく噛み砕かずに飲み込むとどうなるか、試したことがある人なら分かるかも知れない。小さくなくても同じだが。
喉が焼けるような痛みに襲われる。
「あっ、ヤバい。あっ、あっ」
ウィンナーの辛さに耐えれなくなって弥市と同じことを言う。
「水。水、ちょうだい」
涙を流すほど辛かったのか、歩き回りながら水を求める。
堪えていた笑いを吹き出す。何も口に含んでなくて良かった、と誰もが飲み物が無くて良かった思った。
日向の求める水は当然無く、どうしようもない。
「無いよ」
雄一が答えると、「何で?」と聞き返してくる。
琳太郎が来てないからない。そんな事は日向も知っている。それでも、水を欲している。辛くさに負けて思考が上手く働かせることが出来ないでいた。
歩き回ることで辛さを紛らわしていた日向にたまたま持っていた飲み物を喜一が渡す。すぐに飲み干してもまだ足り無いようだった。
先程話していた内容を理解していなかった日向はようやく分かった。
少しは落ち着いたようだが、まだ唇が赤い。
「あいつ、ヤバいな。ホント叫ばせよう」
琳太郎が来たのはそれから十分ほど経った後だった。もうすぐ金曜ロードショーが始まろうとしている頃だ。
短パンにTシャツの上に半袖のパーカーを着て、片手に大きく膨らんだビニール袋をぶら下げてのこのこやって来た。服が似合っていないことに彼は気づいているのだろうか。
バイクのエンジンを掛けてライトを照らしてコンロを囲んでいたために、琳太郎が来たことに気付いていなかった。 ミックスサイコロステーキを焼くか、牛タン・牛カルビを焼くかで話していた。スマートフォンの携帯充電器をバイクのシートに取りに行った渡が気づいた。渡は歓迎するかのように迎えたが、声に反応した雄一と弥市が、「おい、リン。お前ふざけんなよ」と近寄ってビンタを一発ずつした。何故、ビンタをされたのか分かっていない琳太郎が少し困惑してから、「何で?」と尋ねた。
「何でじゃねーよ」
「時間を考えろよ。野生の猿の方がまだ頭良いぞ」
回答の代わりに罵倒が帰って来た。
もう一度ビンタを喰らった。髪をぐちゃぐちゃと掻きまわされてヘッドロックで締め付けられる。
渡が飲み物の事を気にして、琳太郎のビニール袋を手から奪って、みんなの所へと持っていく。中身は、二リットルのコーラが三本とお茶と紅茶、ミルクティーがそれぞれ一本ずつあった。
「コーラってセンスないな」
「頭悪いだけだろ」
今日集まった中に好んでコーラを飲むのは琳太郎ぐらいで他はあまり飲まない。差し出されたら飲む程度で五百ミリリットルで十分だ。サイダーやファンタをコーラと一緒に買うのが一般的だと思う。
半分ほど融けた氷を袋を開けずに拳やコンクリートに叩きつけて割る。中途半端な大きさの氷はコップに収まらなかった。如月、亮、鳥澤は氷をナイフの尖った先端で割って小さくする。コップに紅茶を注いで一気に飲み干す。
「やっと飲めた」
コップに紅茶を再び注ぎながら如月が呟いた。
「さすがに何も飲まないのはキツイな」
「これ三本じゃ足りないよ」
コーラは本数から外されている。
「買って来る? 俺行くよ」
バイクで来ている渡が訊いた。
「いいよ。無くなったリンに買わせに行かせれば」
さらっと鳥澤が返した。その意見にみんな頷く。
琳太郎をさんざん弄った二人が戻って来て椅子に座り、喜一がと紅茶の入ったコップを差し出す。乾いた喉に流し込む。缶ビールを一気飲みするおっさんに弥市が見えたのか、如月と亮が笑った。
いくつかの肉を皿に入れて飲み物をコップに注ぐと、日向とと渡はコンクリートの土手に移動した。入れ替わってパーカーの砂を叩いて落としながら椅子に座った。
「何食べる?」
そう尋ねがら割り箸と皿を雄一が渡す。
「これ何?」
皿の中のウィンナーを指差す。
ウィンナー、と解りきっている事を答える。
「それは知ってる。何でウィンナー?」
「食ってみて」
「何かしてるんだろ?」
日向と同じように疑う。
「何もしてない。みんな食ったって」
輪から外れてコンクリートの土手に所から日向の声が聞こえる。最後に(笑)と入っているような口調だった。
疑い深く割り箸で突く。
来て早々に激しいいじりを受けたばかりなのだから疑うのも分かる。
慎重に一口食べる。
すぐに顔に現れた。口を大きく開けたまま斜め上を向いて何か言いたそうな目を向ける。辛っ、と言いながら何かを求めるように手を動かす。きっと辛くて口の中が焼ける思いになっているから水を求めているのだろう。でも、誰も渡さない。みんなと同じ境遇を味あわせようとしている。
フラッシュが一瞬だけ明るく照らした。その面白可笑しい顔を撮った亮が楽しそうにクラスメイトにメールする。
「水、頂戴」
ビニール袋を掴むがその中には肉や野菜が入っていた。
さりげなく日向が飲み物の入った袋を遠ざける。
まぁ落ち着け、と無理やり椅子に座らせる。
「何もしてなかったよね?」
「いやいや辛いじゃん」
「だって激辛ウィンナーだからね」
激辛ウィンナーとプリントされた袋を見せる。
「みんな食ったから大丈夫」
「それはどうでもいいから飲み物頂戴」
空のコップを差し出しながら言う。
みんな無くて困ったんぞ、と言った後に日向がビンタをした。
それから何も変化のないバーベキューをした。
本当に何もなかったかというとそうでもない。ハチャメチャなところもある。サイコロステーキを焼いたら生焼けが多かった。最後の締めにと焼きそばを焼いたのだが、油が無いから豚バラを焼いてそれから出た油使ったり水もないとお茶を使ったりした。
男子高校生だけのバーベキューは何というかいろいろと大雑把の所が多かった。
今度からはもう少し準備をしよう。
後日談になるのだが、如月が撮影したコンクリートの土手に座っていた渡と日向を教室で見た時、日向の口から何か出ていた。本人は気づいていなくて汚れだと言っていたが、みんなに引かれていた。