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たまには昔の話をしようか  作者: 世界の子羊
2/11

イス回し

 寒かった冬も過ぎ日照時間も長くなってきた。気温も温かくなり日向でも昼寝が気持ちよくなる季節は、誰しもがふわふわとした浮ついた気分になる。

 無事に進級出来た生徒たちは二年生となり、必然的に先輩となる。

 入学してから一年も経つと、さすがに慣れて緊張が解けてくる。

 無駄に解けた緊張に加えて、先日入学して来た新入生が気になり(特に女子に)、どこか地に足が着いていないようだった。

「足浮立っていないか、もう先輩なんだぞ」

 その言葉を何回聞いたことだろう。

 一日一回はどこかで必ず耳にする。聞き飽きたを通り越して、耳に胼胝でも出来そうだ。

 春に浮ついた気分になるのは当然のことかもしれない。寒く長かった冬が終わり、土の中で眠っていた草花が芽を出し、動物たちが穴から顔を覗かせ、子供たちが無邪気に駆け回る季節なのだ。

 生命の本能、自然の摂理と言っても良いかもしれない。

 ついでに付け加えるなら、変質者が増えるのもこの時期である。

 温かくなったから浮かれているだけではない。

 出会いの季節と呼ばれるこの時期は、裏を返せば少し前まで多くの別れと終わりが散っていく花弁のように宙に舞っていた。

 悲しみを乗り越え、それでも失った空間を無理やりにでも埋めようと出会いを求め、出会いを喜ぶ。

 それを無意識下で行っているだけかもしれない。

 と言ったものの、結局は一部に過ぎない。

 浮ついているというのは本当である。

 どんな子が入学したのか知りたくて、特に用事もないのに商業棟へと近づく。廊下で特に意味もなく、短い手すりに凭れてただ話しながら一年生が通るのを待つ。一か月くらいはそれが続く。

 たまには無駄に商業棟に入り、用事で歩いているように見せかけて廊下を歩きながら教室を覗く生徒もいる。

 入学したばかりの新入生は、慣れていないのかあまり教室から出てこない。まあ、廊下に上級生(男子ばかり)が居れば、その前を通りたくはないあだろう。通ったとしても少し歩くのが速い。通る生徒は本当に用事があるか、自意識過剰な女子生徒ぐらいなものだろう。

 廊下に意味もなく集まっていると生徒指導部の教師がやって来て、注意をされる。普段なら見て見ぬふりをしているのだが、新学期のこの時期は一応は注意をする。

 あまり悪い印象を持たせないと思っての行動かもしれない。

 学期の初めに行われる課題テストが終わるころには、廊下にたむろする生徒も少なくなってくる。

 興味が無くなったという訳ではなくて、少し飽きてきたという単純な事だ。わざわざ見に行くのが面倒になっただけで、見る機会があればチェックはする。

 だが、それも少しずつ飽きて自然にどうでもよくなるだろう。

 学校で全体で変わったのはそれくらいだろう。

 上が居なくなって、下が入って来た。毎年のように、どこにでもあるありきたりの変化。

 クラス替えがあるわけでもなく、去年と同じメンバーで同じ担任。若干、居なくなった奴もいるが二、三人では何も変わらない。

 無くても歯車は回り続ける。

 新しく教科が増え、担当が入れ替わった事くらいが、変化したと感じるだろう。

 それと、この窓から眺める風景が少しだけ変わった。

 変わらずに教壇に立つ担任の口癖も今日も安定のめんどくささ。

 


 四月ももうすぐ終わる最後の週の月曜日だった。

 その日は、午後に行われる体育祭の結団式に良い日とは言えない雨が朝から降っていた。四時限目のサッカーを楽しみにしていたクラスメイトは、内容が体育館での組体操に変わったことに不満を漏らしていた。サッカーが変更になった事への不満ではなく、組体操をすることに対して納得が出来ないのかもしれない。

 雨のせいで高くなった湿度と誰かの吐き捨てた愚痴が漂った廊下を進み階段を登った先のコンピュータ室にぼく等は集められていた。

 真ん中を広々と使うためか、両側に二列が向かい合うように全部で四列のパデスクトップのパソコンが設置され、左端から出席番号順に座った。

 二つの部屋の壁を失くして繋げたその部屋のホワイトボードには、プロジェクターで投影された文字が浮かんでいた。そこには、『FA~小型自動システム工場の基礎~』と映し出されていた。

 でも、そんな文字を読んでいる生徒はいない。

 中央に空いたスペースで高校生とは思えない落ち着きの無さの行動を取っていた。

 コンピューター室にはよく備え付けられている回転式の椅子の上に立って回す。その時間が一番長いかを競っている。

 考える遊びが高校生とは思えないと、きっと常識を翳した周りの大人が見たら思うかもしれない。もっと大人になれと言われるだろうが、これが高校生のとる行動なのだ。

 大人だけじゃなくて、真面目に勉強したり良い生徒を演じている生徒でも思うはずだ。もしかしたら、女子生徒も思うかもしれない。前にも一度商業科の女子に「どうしてあのクラスは子供なんですか?」と言われたと担任が溢していたことがある。

 ゆっくりと回っている椅子の上でうまくバランスを取ろうと両手を必死に動かし体を左右に捻っている。

「回せ」

「キモイ」

 その動きがあまりにも変なためか、みんな笑っている。

 椅子の上に立っている本人は本気でやってるだけだが、それが返って面白い。

 回転スピードが上がったとき、バランスを崩して椅子と共に派手に転倒した。

 体が床に付く瞬間、普通なら悲鳴が上がったりざわめきが起きるはずだがこの部屋には残念ながら女子はいない。この部屋と言うよりクラスに女子がいない。だから――。

「ふっはっははははは」

「ふっふふふふっふ」

「ウッホン」

「ゴッホン、ゴッホン。あはっはははあああ」

 手が、体が床に付くのが引き金になった。待ち構えていたように爆笑の渦で満たされ、どの顔を見てを笑っていた。

 その中に注意するものはいない。

 楽しそうに笑っていた。

 笑いすぎて咳が出たり、顎が外れそうになっている者もいる。

「バカだな」

 笑いながら誰かがそんなことを言った。

 こんなことで笑うのは大人になり切れていないからかもしれない。

「あぁああ。痛い。痛ってええ」

 落ちた柊珀は両肘を抱えて奇声とも取れる声で叫んだ。

 これは、教室の外まで聞こえたと誰もが分かった。

 まぁ分かっているが誰もそれを注意したりはしない。いつものことで、笑っているために誰もが注意する言葉が喉を通らない。

 柊はこのクラスの代表と言っても過言ではない。もちろん、頭が良い意味でも、リーダー的な意味でもない。

 バカ筆頭という意味だ。

 何かバカを始める時には必ずと柊が混ざっている。バカだな、と思えることをどこからか持ってきてアレンジして始める。誰も思いつかないような遊びはエジソンでもびっくりするだろう。

 と言っても頭は良くない。寧ろ悪い方だ。

 これだけは彼のために言って置かなければならない。一応は常識を知っている。

 そんな彼は叫ぶことを止めて近くに居た小池海斗に言う。

「マジで難しいぞ。一回やれ」

 回転式椅子に立って回ることを振った。

 振ったというよりほとんど強制的に立たせて、椅子の横に指を立てるようにして正座していた須田紀杜は「待ってました」と言いそうな勢いで回した。

 さっきよりも速い回転に誰もが落ちると思った。

「早すぎだろ」

「それはあんまぞ」

 だが、バランス感覚が優れているのか、海斗は落ちることはない。

 妙にバランスを取って落ちようとしない。

「海斗、スゲー」

「バランス感覚良いな」

「早く落ちろよ」

 回しつかれた紀杜は腕を奥に回して今まで以上に力を入れ回して手を離し少しだけ体を倒した。

 その横でなかなか落ちないことに飽き始めた(というより自分が落ちて海斗が落ちないことに飽きた)柊は片足を少しだけ浮かして引いた。

 何の合図も、掛け声も、相談することなく二人は椅子を蹴った。

 速い回転で回っている椅子は海斗とともに宙に浮き、一メートルくらい飛んで床に落ちた。

 椅子が床と当たり鈍い音を出した。

 回っていた当の本人は、空中でうまいこと体を半回転させて背中から落ちることを回避した。それでは終わらずに、手よりも体よりも先に足を地面に付き、勢い余って後ろのホワイトボードまで走った。

「ハッハッハ」

「ふふふっふうふ」

「ははっはぁ、海斗スゲー」

「身体能力高すぎだろ」

 笑いと海斗を褒める言葉が飛んだ。

「落ちろよ」

「くずめ」

 二人の妬みとも取れる文句を真顔で「やばいばい」と言って返した。

 その言葉にまた爆笑が起きた。

 海斗の名言と言っても過言ではない。

「俺だって」と言って柊はまた椅子に乗った。

 紀杜に回すように促して、また回った。「紀杜、もっと早く」とさらに回転数を上げていく。海斗のスピードを明らかに越したとき。

「よっしゃー。見たか」

 みんなに指を指しながら言った。回っているので、どこを指しているのかははっきりしていなかった。

 歓喜が漏れたが、誰もが期待しているのはその後。

 回転数を越えることは誰にでも予測は出来た。でも、超えることはどうでもいい。

 喜びのあまりバランスを取るのを忘れて、後ろに倒れる。頭から床に激突した。床はカーペットが引いてあるが、その下はコンクリートである。そこに頭から落ちたのだ。 頭を抱え、体を丸めて一度だけ叫ぶと静かになった。

「おいおい、ふっふっふ、大丈夫か」

「ははははははは、はっははははは」

「はっはは、いつか怪我するぞ」

 心配はするが誰もが笑っている。

 掛けている言葉が軽く感じる。

 そう。

 誰もが待っていた事こそが、これなのだ。

 調子に乗って倒れる。それを見たかったのだ。

 まぁ、いつもの事で誰もが慣れてしまった。

 テレビで見るような芸人がみんなの期待に応えるために危険だと分かっていてもワザとやっていることを、彼は本気で真面目にやってしまう。

 彼は、いや、彼らはバカげたことでも思いつけばやる。

「ははっはははは」

 丸まっていた柊は体を起こすと椅子の上で胡座をかきスマートフォンを持ちながら見下ろして笑う泰霧日向の足首を掴み、何笑っとるんや、と言って引っ張る。

 椅子にはキャスターが付いていた事が不運になった。

 日向が前に行くと椅子は、何にも逆らわずに力の加わるままに後ろへと下がった。全体重を掛けていたことも重なり胡座のまま固い床にお尻から落ちた。

 今日はよく落ちる日だ。誰かがそんなことを心の中で呟いた。

 お尻を抑えながら床に転がりもがき、座っていた椅子に掴み立ち上がろうとすると誰かがその椅子を蹴った。当然のようにほとんどの神経がお尻に集中していて手も塞がっている。前に手を着くことが反射でさえなかった。

 先程と同じように重力に従って頭から床に激突する。

 痛々しい音が聴こえた。

 声を出すことも忘れて蛹のように丸くなり物音ひとつ立てずに時間が止まったように停止した。

「今のは痛い」

「音が鈍い」

「痛ってぇ、あぁあああ」

 頭を抑えながら顔を上げた日向。

「大丈夫や」

 そんな事を近くの誰かが言ったが、その心配も笑い声で消えた。

 痛がっているのは顔を見れば分かる。しかし、その顔が変顔にしか見えない。

 豚のように鼻をヒクヒクさせ、右側だけが上に引き攣る。

 そんな顔を見せられれば、笑いしか出てこない。

 本人はその事に気付いてい無いようだった。

 引き攣った顔で頭を擦っている日向に、それを引き起こした張本人である柊は笑いながら何もなかったように言った。

「とりあえず椅子に立とう」

 肩に手を置いてはにかんで見せた。

 えっ、というような顔をして擦っていた手が止まった。

「鬼畜だな」

 机を挟んで反対側に向かい合うように座っていた鳥澤優弥は笑い声に混ざりながら呟いた。

 本当にそうである。

 そこで断わるのが普通で、断っても誰も文句などは言わないはず。

 一般的な常識があるのならば。

 敢えてノリに乗っているのか、友達としての機嫌を損ねず弄られたくないからなのか、それとただのMなのか。どちらにしろ、馬鹿ということには変わりはない。

 海斗を椅子から退かして、その椅子に頭を抑えながら背もたれを掴んで立つ。

 さすがに椅子に立つだけでは、滑って落ちるなんてことにはならなかった。

 少しづつ回転数が上がっていくが、動きが気持ち悪い。

 バランスを取ろうとしているのは見れば分かるが、クネクネとさせている体は無駄に激しく、だからといってキレがある訳でもない。無意味にも思える動きも混ざっている。顔も変顔ではというような表情をしている。

 奇妙な動きでバランスを取っている日向に、

「動きがうるさい」

と村崎透は言った。

 「動きがキモイ」ではなく「動きが五月蠅い」である。比喩や上手い例えを言ったつもりは本人にはないだろう。

 そう感じ取れたから、何も考えず思った言葉を口に居たのだろう。

 それがツボにでも入ったのか、その隣に居た鳥澤が噴き出すように笑った。

 うるさいとは確かに意味は間違っているかもしれないないが、目の前の光景では上手い表現かもしれない。

 言葉に表現できない動きはキモイよりもうるさいという表現も間違っていない。

 噴き出して笑った鳥澤に釣られて周りに拡散していく。

 十分な回転数が上がったところで、またしても二人が蹴りを入れようと足を引いた。でも蹴りを入れるよりも前にバランスを崩した椅子が傾き、回っていた日向も空中に投げ出された。

 えっ、というような顔をした二人はお互いの顔を見た。

 まだ、蹴ってはいない。

 何もせずに勝手に倒れようとしている日向に二人のほうが驚いた。

 倒れていく体制が良かったのか、海斗同様に先に床に足を付けた。勢いを全て殺しきれんかったために少しだけ前に進んだ。海斗ほどは勢いがなかったため、途中で止まることは出来るスピードだった。

 二メートルほど進んだところで、あと二、三歩もすれば止まると言うところで床とは別の物にぶつかった。

 前を見る見る余裕がなかったことで避けることが出来なかった。

 目の前の椅子に気づいた時には既に体制を崩して床へと視界が一気に近づいていた。

 物音も大きくなく見た目も激しくなかった。普通にぶつかって誰も想像できるように倒れた。

 ただ、椅子と共に落ちていたらそれなりにしか笑えなかったかもしれない。その前に三回は見ているのだから。大爆笑とまでは行かなくても落ちたことに対しては笑い声も少しは漏れたかもしれない。

 動きと顔に対する笑いは誰も予想できなくて笑ってしまうが、落ちることには慣れてくる。

 でも、落ちた後に自分の座っていた椅子に当たるとは思っていなくて、不意打ち貰いカウンターを喰らったように爆笑が起きた。

 変顔に、うるさい動きに、椅子に当たるという変化球には誰も我慢することは出来なかった。

 カーブでタイミングをずらされたようだった。

 椅子に覆いかぶさるようになっている日向は手の平を肩のすぐ下の床について顔を体を起こそうとした。

 そこで、コンピューター室に繋がる唯一のドアが音を立てて開いた。

 声の大きさを気にせずに笑っていた笑い声が小さくなり始めていたが少しだけ大きくなった。

 ドアを滑らせて入って来たのは、ガタイの良い三十後半の男性だった。その男性は、部屋全体を見るのではなく、椅子に覆いかぶさっている日向に目を向けた。

 そこで笑いがほとんど聞こえなくなった(笑っている生徒はまだいるし、笑いを堪えて声を出さないようほとんどの生徒がしている)。

 ドアの前に立つ立つ男性はこのクラスの担任である吉井だった。

 日向の前まで歩いて行き、見下ろした。

「どうした?」

 目がそんなことを言っているようにも見えた。

 後ろに集まって見ていた生徒は誰も関わろうとせずに椅子で滑って自分の席に戻ったり、立ち上がりながら操作していた通信端末を見つからないようにポケットに戻している。

「とりあえず、立って椅子を起こせ」

 そう静かに吉井は言った。



 頭を抑えながら俯く日向の向かいで、「なんで俺まで」と柊が零した。

 椅子とじゃれあう様な格好で覆いかぶさっていた日向はもちろんながら椅子に座ることはなく、その場で正座となり拳骨が落ちた。それを笑いを堪えながら見ていた柊に、不意打ちが襲った。

「誰が他にやった」という吉井の問いに、口にはしなかったが目線が明らかに柊のほうを向いていた。視線を辿った吉井は、手招きをして呼んだ。

「はぁ」

 まさか、自分に目線を向けるとは思っていなかった柊は驚きと裏切った疑問が混ざった声を上げた。

 一応は反論するかと思ったが、裏切りは裏切りを呼んだ。悪循環が発生したんだ。

「海斗が最初に始めました」

 自分だけ裏切られては納得いかなかったのか、海斗を巻き込むように言った。すでに正座をして拳骨を喰らってはいたが、頭を抑える代わりに海斗のほうに指をしていた。

 最低だな、と思うかもしれないがこれは万引きなどの一人でも出来るようなものではない。少なくと二人いなければ出来ない。「自分一人です」と言ったところで信じてらえないし押し通すことも出来ない。だったらもう一人巻き込んだところで変わりはない。

 それに自分も売られたわけだし、別の奴を売ったほうがその場が盛り上がることもあると考えたのかもしれない。

 まぁそんな事を考えてるはずがないが。

 結果的には、教室の中は笑いが起きた。

 これも恒例行事と言ってもいい。

「えっ! ちょっと待って」

 語尾だけゆっくりとしていた。

 椅子から立とうともしない海斗を「早く来い」と吉井が促した。

「何で」

 疑問を零して立ち上がった海斗のお尻を平手で、紀杜は叩いた。

「文句言わんで早く行け。やったんだろ」

 そんな紀杜素で爆弾を投下させた。

「はぁ、紀杜だってやっただろ」

 本人は暴露するつもりも悪気もなかったはず。ただ反論しようとしただけに過ぎなかった。

「やってないわ」

 咄嗟に否定したが、目線で吉井に呼ばれた。

 ある意味で悪循環は終わっていなかった。


 早く行けって、と周りが笑いながら囃し立てるために紀杜に文句言いたげのまま吉井の元へ向かった。何も言われることなく、正座をそっと目を閉じると同時に全身に衝撃が走った。声を上げそうになったがグッと堪えて無言で頭を抑え目を開けた。

 紀杜は言葉を一言たりとも発すことなく獲物を狩る前の捕食者が息を潜めるように静かになり気配を消した。

 囃し立てる周りのおかげで、吉井の視線を紛らすことが出来た。

 紀杜だけが難を逃れることが出来た。

 というのが事の顛末である。

 そして、今は三人を席に戻した吉井は部屋の奥へと進みホワイトボードの前に立って生徒の顔を見渡した。

「お前らもう二年生ぞ。下級生がいるんだから少しは落ち着け。馬鹿も休み休みやれ」

 このセリフを二年生になって、いや、同じようなことを入学して以来彼の口から何度聞いただろうか。耳に胼胝とが出来ると言ってもいい。その言葉がどのタイミングでいうかも何となく分かるくらいになっていた。

「同じ言葉も休み休み言え」

「聞き飽きたわ」

 後方から誰かが呟いた言葉が掠れて無くなりそうになりながら聞こえた。

 みんな考えていることは同じで、いくら同じ言葉を言われてもクラスには響いていない。

 また、繰り返すと分かっている。

「じゃ授業を始める前にまずは紹介します。こちらへどうぞ」

 吉井と一緒に入って来たこの教科の担当の眼鏡を掛け痩せ形の小倉は言った。

 後ろに目線を移すと、中央を通って五十代くらいの男性がホワイトボードの前に立った。

 半分くらい黒髪に混じった白髪が目立った男性は会釈をした。

「この方は大学で教授をされている岡村教授です。この教科では教授に特別に授業を行っていただきます」

 簡単な説明をが終わると、小倉からマイクを受け取った。

「岡村です。大学では、電子情報通信工学を主に教えています。高校生に授業をするのは初めてなので不慣れながらもよろしく」

 落ち着いた口調はマイクを通じてでも伝わって来た。

 よろしくお願いします、と小倉は言って持っていた資料の半分を吉井に渡すと二人で資料となる紙とファイルを配っていく。

 その様子を見ながら資料が行き渡ったことを確認して、キーボードのENTERキーを押して、ホワイトボードに映し出されたポワーポイントのスライドショーを次のスライドに変わった。

「ではこれかれ半年ほどかけて、みんなにやってもらう……」


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