じゃあ、またな。
「結局さあ」
半分ほど入ったカクテルのグラスを傾かせ残りを飲む。
「高校の時が一番楽しかったよな」
空になったグラスを揺らし氷を鳴らす。
アルコールで呂律が回っていない紀杜がそんなことを言った。
「だね。就職してからは、何か弾けれないよね」
鍋に残った具を掬う。冷めて温くなった汁は、お酒で温まっていた体には沁みる。どこか寂しさがある。
「分かる。入社した頃は、地元に帰れば少しは羽を伸ばせたけど、今はもう……」
その先はにしなくても伝わってきた。
入社当時は給料日よりも帰省することが出来る長期休みの方が待ち遠しかった。近くなればなるほど、SNSのクラスのコミュニティグループは盛り上がっていた。ボーナスを貰ってもそれほど会話もなかった。誰かが、ボーナス貰った、と書き込んでも二、三人が金額を尋ねる程度ですぐに途切れていた。だけれど、今度帰るー、と書き込まれると地元やその周辺の旧友たちは餌を与えられた肉食獣のように反応する。夜遅くまで書き込んでいたものだ。
物足りない。それが言いたかったのだろう。
十年は経とうとしている今でもお金や家族、恋人の話より帰省した時の話で盛り上がる。地元に残った旧友も、県外に出た旧友も、帰省すれば今でもみんなで集まって朝まで飲み明かし語り合う。
「地元に帰って遊んで飲む。これは、同期と飲みに行くより楽しんだよな」
紀杜はビールの残っている海斗のジョッキを手に取り、喉に流す。
「ははっ。何となく分かる。同期と飲むと会社の話か金の話しかしないんだよね」
「いろんな部署の話聞けるのはいいけど、愚痴は結構止めてほしい。相手が仕事で接することがある時は結構気まずい」
「そうそう、この人確かって考える。金の話されても同期だから大体分かるから面白味無い。如何にも自分が多く貰ってるみたいに。実際、残業してるだけだろって言いたくなる」
「やっぱり、同期ってそんなもんよね?」
「そんなもんっていうと?」
「飲みに行ったり、たまに遊んだりはするけど、笑える事があまりないっていうこと」
ビールを飲み干すと、壁に凭れて寝ている海斗の頬を無意味にビンタをした。ピクッと動いたが起きる様子はなかった。
「止めろよ」
一応止めるが笑っている。
「そういう事ね。確かにそうね。高校みたいなノリはほとんどしないな。しても反応薄いしね」
「やっぱり、地元の友達だな」
「だね」
居酒屋をはしごした後に、ほとんどノリでカラオケボックスに入った。最初は酔いに任せて、気持ちよく歌っていた。スピーカーが弾け飛ぶんじゃないかと思わせるくらい紀杜は叫び、海斗が無意味に奇声を上げた。上手いとか、雰囲気にあっているとか関係ない。歌いたい歌を気のままに歌う。鳥澤が似合わないアイドルの歌を歌い、雄一がバラードを可笑しなテンションで歌った。
学生時代に戻ったかのように、はしゃいだ。
数件の店を回って普段より多い量の酒を飲んで変なテンションで歌ったのに、誰一人として吐かなかったのが奇跡に近い。
途中までは、水を得た魚のようなだったけれど、時間が経つにつれて力尽きたように夢の世界に旅立った。夢の中でも楽しいのか、笑みを浮かべている時々、声を出して笑う海斗にびっくりする。
紀杜と如月は不思議と落ちなかった。
「紀杜が意外に起きてることにびっくりしている」
「そうか。前からだけど」
「高校の時は、寝るの早かったぞ。夜中でもテンション高いのに、気づいたら寝てたし」
その時の光景が脳に蘇り、笑える。
「日向ほどではなかったぞ」
「あいつは早かったね」
「気づいたらっていうか、寝ないとか言いながらいつも一番最初に寝てるもんな」
「そうそう。人の場所取ってな」
「それで起きるのも遅いよな。起きたらみんな居ないってことも普通だったな」
「あった、あった。起こしたのに起きない。今でも、たまにあるけどな」
あいつ元気かな、と紀杜が懐かしむように呟く。
どうだろう。前回、帰省した時は相変わらず気の抜けていて天然なのか馬鹿なのか分からない。的外れなことを言って弥市に言葉攻めにあっていたのは覚えている。その時は、元気そうにやっていた。
紀杜はずっと会ってないのか、SNSでも絡むことが少なくなっている。確かに帰省しても紀杜とは会わない。地元よりもこちらで会って飲むことのほうが多い。
「みんな意外に会社辞めなかったね」
「そうね。もっと辞めると思ったけど」
高校卒業したときは、担任に半分くらいは五年以内に辞めるなんて言われたけれど、十年経った今でも最初の会社に勤めている方が多い。こればかりは担任を否定することは出来なかったことを覚えている。みんなもそれなりに辞めると思っていたから。
「次を探すのが面倒っていうのもあるけど、慣れてしまったこと多きよな」
「慣れって怖いな」
スピーカーランキングや最新曲が流れている。
高校生の頃に流行った曲の点数と全国ランキングが画面に表示されっぱなしになっている。一時間前を最後に誰も曲を入れていない。
フルタイムでまだまだ行けるかと考えていたけど、どうやら無理らしい。もう若くないって事なのか。それは何だか悲しい。会社の先輩に聞かれたら、「若いくせに何を言ってる」と笑いながら言われそうだ。十代と二十代では違うとは前から同期に訊いていたけれど、本当みたいだ。精神的問題かもしれないが、高校卒業したばかりの頃よりは無茶が出来なくなっている。
こういう時に、時間が流れているのを感じる。
余韻に浸る暇さえ与えられずに、過去の思い出となってしまう。
氷がぶつかり合う音が耳障りな曲の中から聞こえる。
目を向けると、机に肘を突いた状態で寝ていた。
グラスから零れたカクテルが机に広がっている。
そして、時間もゆっくりと流れて行く。
ビルの合間から漏れた微かな朝日が体に浸みる。
肌を刺す乾いた冷たい風が服の間を通り抜けていく。
少し火照っていた体が急激に冷えて、酔いが醒める。変な体勢を長時間続けていたせいか、体中が痛い。右に左に体を捻って、骨の鳴る音を聞く。空気を肺いっぱいに吸い込む。体の芯から冷えるのが分かり、生きていると感じる。
白い息を少しずつ吐きながら、上を見上げる。
ビルと幹線道路の間からどこまでも青い空が見える。長い間、そればかり見ていると空に吸い込まれそうになる。空に落ちる感覚が体を震わせる。
ダウンジャケットのポケットに手を入れて歩道を歩く。
朝が早いせいか、冬で寒いせいか、人気が少なく活気がない。
フルタイムの最後の一時間くらいは起きたメンバーで、寝起きとは思えない声量で歌った。音程もリズムも掴めなくて、ただ叫んでいるようになっていた。
カラオケボックスを出た時、眠気と疲労で空元気のまま別れた。
「同窓会行く?」
別れ際に紀杜は思い出したように尋ねた。
来月行われる高校の初めての同窓会。卒業して一度も会っていない旧友にも会えるかもしれない。みんなで集まるのは、成人式以来だと思う。
「行く。めっちゃ楽しみにしてる。面白そうだし」
まだ寝ぼけているのか、海斗は質問をあまり理解してない。
「俺は行くよ」
「俺も。休み貰えたから」
雄一と鳥澤も行くらしい。
「お前は行く?」
「多分、行く」
みんな行きたいけれど、思いもよらない用事や仕事が入れば、そちらの対応をしなければいけない。当然、同窓会は地元で行うから、日帰りするのが大変になる。
「じゃあ、またその時な」
笑って手を振りよろけながら去って行った。その後を海斗がフラフラと追いかけて、雄一が支えて歩く。
鳥澤は自転車に乗って、朝陽に背を向けて遠ざかっていく。
路上に止まっていた車が動き出して、音もなく横を通り過ぎる。風が首筋を撫でて、震える。
久しぶりに会ったけど、楽しかった。
忘れかけていた感覚がまた戻って来た。少しずつ掠れていく記憶を補修してセピア色からカラーに戻った。
二度とあの頃には戻れないけれど、こうして会う事が出来る。
ポケットの中の多機能通信端末が震える。
きっと今なら答えられるかもしれない。
ずっと探し続けていた事の一つの答えが、少しだけど掴めた気がする。
相手を確認して電話に出る。
また、どこかで思い出して笑いましょう、昔話で。




