旧友
これを読み終わったら昔の友達にでも連絡してください。
そして、思い出で笑ってみましょう。
前に二度だけ聞かれたことがある。
学生だった時と会社に就職して六年経ったときに。
一人は他校の生徒で、もう一人も学生だった。
二人とも環境は違ったけれど、同じような質問だった。
「そんなにバカやって楽しい? 何でくだらないことやるの? 将来の事考えた方がいいよ」
その質問は今でも分からない。
君なら何と答えるだろうか。
中学校の同級生の時は、当時僕も高校生だったために「楽しいから」としか答えれなかった。
何故、バカやってるかなんて本人には分からない。
もし、違う高校を選んで真面目に勉強して友達と競って恋人と思い出を作る。一般的な世間が思う有意義な高校生活を送っていたら今の自分はいない。当たり前のことだ。 それでも、考えたりもする。
あそこでこうしていたらもっと良かったんじゃないかと。もっとコミュニケーションを取っていれば大きな輪が出来ていたかも。あんなことしなければ失わずに済んだ。別の部活をしていれば違う出会い方をしてあの人と恋人になれたんじゃないかと。別の高校を選んでいれば。他の企業があったはず。就職せずに進学していれば。自分のやりたいことって何だ。
考え始めたらキリがない。
でも、最後に思うのは高校時代は楽しかったという事だけ。
どんなに後悔しても、それだけは変わらない。変えられない事実。
そんな質問を投げかけて来た彼は同じ地域には住んでいたけれど、遠く離れた県外の有名な進学校に進学していた。中学校を卒業するまでは、人数が少なかった影響でクラス替えもなく義務教育期間は同じクラスだった。だから、僕の進学した高校の事も噂程度に知っていた。
頭は良かったし多くの人に好かれ慕われていた。
そんな彼は僕の進学した高校を見下していた。
昔は家も近所だったためか、仲も良かったしキャンプなんかも一緒の行っていた。
一年半ぶりに出会ったとき彼と高校の話をしている時に言われた。
その時はあまり気にしていなかったが、就職して六年は経った頃に出会った大学生の女の子に訊かれた。彼女は二年生になったと言っていた。人並みには遊んではいるとは言ってはいたが、派手に遊ぶというより控えめな感じが彼女からはした。
この時は、アルコールが回っていても答えることは出来なかった。この時、あぁこれが二回目だな、と思って前も答えられなかったと思い出して勝手に笑った。結局、この時は話をずらしてあやふやのままにした。
その後も忘れた頃に訊いてきた。
その度にあやふやにした。
まだ答えが見つかっていなかった。
つい先日も聞かれたが、口を噤んでしまった。
それからというもの、その言葉が頭のどこかに引っ掛かっていた。
よく男は馬鹿な生き物だと言われることが多い。それは、主に女性の意見であっても世間もそういう風に思うことがあるらしい。
僕が思うに男は馬鹿ではなくバカなのだ。
漢字かカタカナかという違いではなく、表現的にはそれが一番合っている。
女性の中には男がやっているバカな行動が子供っぽくみえるかもしれない。もしかしたら、女性だけではなく男性の中にはバカやった事がないかもしれない。
小説やドラマにでも描いたような青春こそが勝ち組に見えているかもしれない。男だけでバカやって、恋人がいないなんてことが考えられないと思っている人も少なからずいるはずだ。
何がバカで、何が高校生らしい行動なのかは分からない。
結局のところ僕は未だにその質問に対して答えを持っていなかった。
ちらほらと落ちてくる白い結晶の一つが手の平に乗る。
ひんやりと伝わってくる冷たさが何故か心地よく感じる。
触れてすぐに融けて行く。まるで、心にしみ込んでいるかのように。
手の平で融けた結晶を握る潰すように、強く閉じて視線を空へと向ける。
どんよりとした今にも落ちてきそうな灰を水彩絵の具の黒と一緒に水に溶かしたような雲から無数の結晶が降ってくる。
白い息に混じってため息が漏れる。
今年も最高気温を更新して猛暑日の連日続いた夏も終わり、足早と冬が訪れた。大勢の熱中症患者を出した夏とはまるで真逆のようにコートやダウンジャケットを手放せない。
ダウンジャケットの袖を少しだけ捲り、銀色に輝く傷の増えた腕時計で時刻を確認する。
既に七時を回っていて、指定された集合時間から十分ほど過ぎていた。
ポケットの中でバイブレーションが震えていることに気付き、最近新しく購入した通信端末を取り出す。見慣れたアドレスのメールを開き、いつものと変わらない機嫌を損ねず、事務的にもならないように返信する。
これを何回繰り返しただろう。
本当にいろんな意味を持った疲れたため息を吐き出す。
返信したはずの画面が明るくなって、メッセージを表示した。送り主には懐かしい名前があった。
何故か少しだけ笑みが浮かんだ。
もうすぐ着く、とだけ入力して送信する。
日も落ちて真っ暗なはずの空もこの街の光でどこか明るかった。昼よりも明るく感じるのは、居酒屋の前にぶら下がった提灯が赤く光り、そこらかしこで輝くネオン管の派手な色せいだろう。
初めて来たときは、本当に『眠らない街』という印象を持っていたが、もう数え切れないほど見たその街の夜の顔はいつからか寂しいという表情をしているように見えた。
チラシを持った体格の良い大柄なオジサンが自分の店は「飲み放題」と言いながら客を集め、反対側では、白いスーツとワックスでビシッと決めたまだ二十代前半であろう青年が二人組の女性を必死に笑顔を崩さず勧誘している。
そんな声を横に目的の場所へと向かう。
途中、制服を着た女子高生が中年男性とホテル街へ入っていくのを見たが、これさえも見慣れてしまった。こっちに来た事なら犯罪現場で犯人が知り合いで鉢合わせた時のような気まずさを勝手に持っていた。
(なんか、いろいろと染まった)
でも、待ち合わせの場所に戻ればきっと少しぐらいは『あの頃』に戻れる気がした。
駅から十分ほど歩いたところにある外見は古びているが中に入ってみると、まだ新しく木の匂いが微かに漂っている。最近、改装をしたらしい。
ここ最近は、あまり来る機会が少なくなっていて最後に来たのは夏草の瑞々しい香りが漂い始めた頃だったと思う。
若い看板娘に案内された個室の襖を開けると、そこには懐かしい顔触れが揃っていた。
今年のお盆は帰省していないため、会うのは初夏以来なる旧友たち。
「おお、やっと来た」
「遅いよ」
「いやいや、いつも通りだろ」
ダウンジャケットをハンガーで掛け、空いている所に座る。
「何飲む?」
そう尋ねて来たのは、髪をブラウンに染め耳たぶにピアスを付けた小池海斗。
「とりあえず、ビールで良いよ。それと酢蛸があるなら頼んで」
「オーケー」
湯気だったもつ鍋の中身をお玉杓子で掬う。
一口食べてみるけれど、熱く勢いで飲み込んでしまった。胸やけが襲ってきた。近くにあった氷の入った水を一気に飲む。
空気を吸い込み、吐き出して呼吸を整える。
「ハッハハ。相変わらずの猫舌だな」
水の入ったグラスを笑いながら差し出す。
宵宮雄一。去年にあったときは黒だった髪が銀色に変わっていった。銀髪にしたと聞いていたけれど、実際に見ると似合ってないなと思ってしまう。
「ありがとう。久し振りだな」
「一年ぶりか? 去年会って以来だな」
「そうだな。いつ銀にしたんだ」
「去年の会社の新年会で罰ゲームでな」
「銀髪似合ってないな」
つい思っていたことが出てしまった。
うるせぇ、と笑った。
案内してくれた店員からビールジョッキを受け取り、一気に半分くらいまで飲む。
春夏秋冬、冷えたビールは美味しい。
「すいません、ビール追加で」
「あっ、俺も」
雄一と海斗が襖を閉めようとした看板娘に言った。
「鳥澤は何か飲む」
「カシスオレンジ」
グラスに残ったサワーを飲み干し、グラスを看板娘に渡しながらお洒落な眼鏡を掛けた鳥澤優弥は答える。
いくつかメニューを追加して、繰り返される注文を適当に聞き襖が閉まるの待ってから尋ねた。
「いつからビール飲めるようになったんだ。前にあったときは、まだ苦いとか言ってたくせに」
「最近だよ、最近」
「俺は前から飲めてたぞ。去年くらいにむーさんと飲んだ時に飲んでみたら意外においしくって」
去年か。仕事が立て込まずに急な出張も入っていなければ、きっとその場に居ただろう。
「なあ、ビール美味しいだろ。鳥澤も飲んでみろよ」
半分くらいになったビールジョッキを勧めてみるけれど、いいよ、と言って断られた。
ビールと一緒に来た酢蛸を食べていると、ちょうど看板娘が先程注文したビール二つとカシスオレンジを持ってきた。
「じゃ一度乾杯すっか」
ジョッキを片手に持ち上げ降矢は言った。
「いや、良いわ」
「酢蛸おいしいな」
「あの娘可愛いな」
それぞれが海斗の言ったことを意図的に別の言葉を発することでスルーする。
あくまでスルーしていて無視しているわけではない。
「マジなにー」
ビールを一口飲んでそんなことを言った。
それに、思わず笑ってしまった。
多分、海斗以外は少し懐かしく感じたかもしれない。その言葉は、高校時代によく口にしていたからだ。
「最近どう?」
仕事か、恋愛か、家庭か、人間関係か、健康か、趣味か、将来か。
人によってそれぞれ捉え方が違う。
いろんな意味が込められた問いかけだった。
「この前、係長が変わってからやり難くなったよ」
でも、この中では仕事で一致していた。
男が飲みの席で最初に話すことと言ったら、やっぱり仕事関係になると思う。
「何か人がやってくることに文句付けてくるんだよ。なんか、仕事が面倒になって来たんだよな」
そう切り出したのは、意外にも鳥澤だった。
プライベートが順調にいっていたのはSNSなどで知っていて、たまに飲んだりもしていたがそんなことを言うのは初めてだった。
「分かるよ、それ。俺も地元にかえろうか、なんて考え始めた」
雄一も何か疲れように言う。
「最初は、給料が良いとかボーナスが周りよりも一番高い、なんて言われて入ったけど、結局そんなことはなかった。なんで選んだんだろう。騙されたよな」
それは、会うとまたに愚痴を零すけれど、入社当時から言っていたことだった。
初めのうちは、まだまだ役に立ててないから低い、もっと頑張らなければ、と言っていたけれど、だんだんと分かってきたように愚痴を零すようになった。
当時のクラスメイトが聞いたら、ほとんどが納得するかもしれない。
騙されたと。
「だね。仕事は慣れたけれど、なんかやっぱり違うなと思う」
鳥澤はボイル(豚もつ)をお玉杓子で掬い皿に入れ箸に持ち替えて口に入れる。息を深く吐き出し、カシスオレンジを飲んだ。
「十年働いてるし、今やめないともう就職とか無理だよな」
いきなり話が重いな、と感じ始めた。
この時間帯に真新しい居酒屋でするには、あまりにも場の雰囲気が違う気がしたが口にはしなかった。
襖越しに聞けてくる中年男性やその部下であろう若い青年たちの声。複数のカップルやサークルの飲み会でテンションが上がっているのか、大学生と思わしき男女の声が混じっている。
「降矢は会社どう?」
通信端末をいじっていた海斗に雄一が尋ねた。
「うん、楽しいよ」
通信端末を後ろに置き、何もないように答える。
「最近、後輩連れて久しぶりにダーツに行ったけど、やっぱり楽しい」
二人とは打って変わって、降矢は疲れた様子もなく言った。
「まあ、降矢はどこに行っても苦に感じないだろ」
そう言うと、
「あっそれ分かる」
「なんか無駄に適応力高いよな」
疲れた表情をした二人が言った。
「そんなないよ」
否定する海斗。
彼は自分が周りへの適応力高いことを自覚していないのかもしれない。
「いやいや、高い」
「そう言えば高校の時、復讐ノート書いてるって言われてたよな」
鳥澤が思い出したように言った。
「あった、あった」
「あれでだろ。学校では言わないけど、された事を書いてそいつの悪口を書くというやつ。裏の海斗」
「それそれ」
「あったね。それで本当に書いてた?」
笑いながら雄一が尋ねる。
「やってない、やってない。マジでやってない」
手を振って否定しながらジョッキを傾ける。
ゴックン、と喉を鳴らし。
「本当に書いてないよ。てか、書くことないじゃん?」
「あるだろ」
「あるな」
「普通にある」
きっぱりと全員に否定される。
「ないって。ただ遊んでただけじゃん」
「世間から見たらあれは遊びじゃなけどな」
「まあね」
思い出したら、思わず笑ってしまう。
幼稚なんて言われもしたが、やってる本人たちは至って真面目で楽しそうで幸せそうだった。
そんな話をしていると自然と楽しくなってきた。
さっきまで、重かった空気をなくなり、周りと何も変わらない真新しい居酒屋にあった賑やかな雰囲気に変わった。