第8話
目が覚めるともう十時半を回っていて、十一時のチェックアウトには間に合わない。和樹はフロントに電話を入れて、レイトチェックアウトを申し込む。
バスタブに湯を張って、ゆっくりと体を沈める。昨夜の酔いがまだ残っていたが、宿酔いと言うほどひどいものではなかった。バスから上がると、和樹は冷蔵庫から缶ビールを取って栓を開けた。
計算してみると、この二日で七万円ばかりを使ったことになる。パチンコでの儲けを差し引いても四万だ。こんな浪費をしたことなど、ここ数年なかった。
午後にホテルを出て、御堂筋の歩道をブラブラと歩いた。通り沿いの銀杏がそろそろ色づき始めていたが、まだ温かさが残る、穏やかな秋の日だった。
ゆっくり歩いている和樹を、多くの会社員たちが足早に追い抜いて行く。かつては和樹も、追い抜いて行く方の立場だった。
仕事にやりがいを感じ、いつか自分の手で大きな事業を成功させてやろうと意気込んでいた時もあった。しかしいつの間にか、仕事も辞め彼女とも別れ、社会から取り残されて山を徘徊するしかできない自分になってしまっていた。
そんな時に、この金が転がり込んできた。金さえあれば、昨夜のような贅沢な時間も持つことが出来る。それなのに、老後の保険だとかいった考えしか持てないでいる自分に、ほとほと嫌気がさしてきた。
和樹は、神戸に向かう阪急電車の中で、金の使い方を考えてみた。
昨日みたいに美味しいものを食べて、女の子といちゃつくのも楽しいだろうが、まとまったお金で、もっと大きなことができるのではないだろうか。
しかしすぐに、あの金がそのままでは使えないことを思い出した。手にした金はどれも真新しい札だった。札の番号で足がつく可能性がある。マネーロンダリング、つまり金の出所を隠す必要があるのではないだろうか。
和樹は、札の番号が証拠となって逮捕されたというニュースを確かに聞いたことがある。しかし、どうやって足がつくのかを考えてみたが、見当もつかない。
大体、一万円札を受け取った人が、一々番号など確認するはずはない。どの段階で札の番号が記録され、どのように管理されているのか。元々札の番号が、本当に銀行で記録されていたのだろうか。そもそも札の番号に、どんな意味や利用方法があるのか。今までそんなことを考えてもみなかったから、全く分からない。
和樹は家に帰り着くと、パソコンをネットにつなげ、「お札 番号」とキーワードを打ち込んで検索してみた。
まずヒットした「国立印刷局」で調べてみると、札の番号のことを記番号と言うらしいが、その番号のつけ方の仕組みくらいしか記載されていなかった。しかし、現在でも使える紙幣の中でも記番号のない札があることを知って驚いた。とは言ってもその紙幣とは、昭和二十一年発行の、壱円・五円・拾円といった、まだ使えるそうだが、一円・五円・十円の支払いで使うようなものでは当然ない。他のサイトでも調べてみたが、それ程意味のある番号ではなさそうだ。
では、札の記番号が証拠となって逮捕されたという犯罪にどんなものがあったかを検索してみると、事務所のロッカーから頻繁に金銭が盗まれ、被害者の一人が札の番号を控えていて、疑わしい従業員の財布の中から同一番号の札が見つかったとか、その程度でしかない。
和樹は、何だそんなものかと、札の番号を必要以上に重大なものと誤解していたと安心し、翌日から気楽に使っていこうと考え、ノートパソコンの蓋を閉じた。