第6話
もう昼前となっていて、リビングルームには、窓からレースのカーテンを通して、眩しい光が差し込んでいる。和樹は部屋の電気をつけてから遮光カーテンを引いた。
ガムテープを剥がして中を見ると、一万円札の束がきちんと詰め込まれていた。和樹はパン工場から持ち帰ってきたシリコン製手袋をつけてそれを取り出し、ブルーシートを敷いたリビングの床に、隙間なく並べていった。
ほぼ二畳分くらいのスペースに収まり、それを数えていくと、百万円の束が百七十三あった。しめて一億七千三百万円。
報道されていたように、高橋の分け前として二千万円を差し引き、恐らく当面の資金として一千万円くらいを懐に入れていたとすると、残金は一致する。
今まで見たことのない大金を目の前にして、和樹は嬉しいというより恐ろしくなってきた。とんでもないことをしでかしてしまったのではないか?
今ならまだ間に合う、一銭も手を付けていないのだから。たまたま掘り出してびっくりしたのでとりあえず持って帰ったという理由をつければ、警察に通報しても、なんとか言い訳にはなるだろう。
通報しなくとも、このまま燃やしてしまうなり、跡形もなく存在を消し去ってしまったなら、誰からも気付かれるはずはなく、金の存在自体、いずれ忘れ去られてしまうだろう。
しかし、隠した本人が口を割る前に死んでしまったのだから、この金を掘り出したことなど、誰も気付くはずがない。
突然金遣いが荒くなったりするならば、何らかの疑惑を生むかもしれないが、幸い和樹は、すぐに金に困っている状況ではない。
フリーターとは言え、両親が遺してくれた家がある。とり立てて趣味といったものもなく、彼女がいるわけでもない。食べていくだけならば、時々アルバイトでもすれば何とかなるだろう。
この地球上では、貧困や飢えに苦しんでいる多くの人々がいるのだろうが、少なくともこの日本で、体を動かすことの出来る若者が、食べるものが無くて死んでしまうといった状況に陥ることなど滅多にないだろう。
ただ心配なのは、将来のことである。今は良いにしても、身寄りもなく、老後に収入が途絶えた時にどうなるかといった、随分と先のことだが、それのみが心配だ。そのため普通なら、年金を積み立て、保険をかけて老後に備えているわけだが、自分にはそれが欠けている。
もし国なりが、「六十歳以上は無条件で生活を保障してやる。だからそれまでは好き勝手にやれば良い」といった制度を作ってくれていたら、もっと楽しくて創造的な社会になるのではないだろうか。そうであったら、自分も商社を辞めた時、給料に引かれてあんな外食チェーンになど転職せず、自分でしたいことをやっていたかもしれない。
「しかしそうなれば、誰も働かなくなってしまうかもしれない」
和樹は思わず苦笑いした。
和樹がこの生涯賃金に匹敵するような額を手にしてまず思ったのは、そういったずっと先のことを心配しなくてもよくなったということだった。この金で贅沢三昧をしようとか、これを元手に何かもっと儲けようなどの考えは、不思議と起こらなかった。
つくづく、自分はつまらない人間だなと、和樹はため息をついた。若い時に自分のしたいことも出来ず、老後の備えのためにひたすら働き、そして年老いてからそのわずかな蓄えを食いつぶして死んでいくなんて。
しかし、この金を老後の保険ということにしてタンス預金にしておくことで、今の日常がもっと気楽に、そして楽しく暮らしていけるなら、それだけでもいいじゃないか。
少し冷静になって考えてみると、どれも真新しい札束であるから、お札の番号が記録されているかもしれないと思った。いや、記録されているのは間違いない。むやみに使うのは、確かに危険だろう。何十年後かに、既に「時効」となってから使えば良い。
この金の横領が、どんな犯罪に当たり、そもそも「時効」が存在するのか、またあったとして何年なのかは全く知らないが、そうするのが安全だし、なんとなく罪悪感も薄らいでいくような気がした。
和樹は別に用意したバッグに札束をきれいに詰め直して、押し入れの荷物を一端出してから一番奥に押し込んで、荷物をその前に積み上げて隠した。