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第44話

 兵庫県警の木戸は、パトカーに乗り込み、サイレンを鳴らしながら金の発見現場へと向かった。


 現場には既に制服警察官が配置されており、鑑識係もすぐに後から到着して、バッグの埋まった周辺を詳しく調べ始めた。


「警部、こちらです」


 制服警官が、第一発見者の作業員を木戸に紹介する。


「発見した時の状況を詳しく話してください」


 作業員は、金を発見した時の様子を、興奮しながら説明した。


 木戸たちは、大きなビニール袋に一つずつ入れられたバッグを捜査車両に積み込み、署まで運んだ。


 武道場の畳の上にビニールシートを敷きつめて、鑑識係員がバッグを袋から出し、中から慎重に現金を取り出して百万円の束を床に並べていった。


 大阪府警の岸本も駆け付けた。


「ついに見つかりましたか」


「ええ、偶然工事関係者が見つけてくれました」


 二人は、次から次へと並べられていく百万円の束を眺めていた。


「バッグの鍵は壊されていました」


「一度、全部取り出してみたんやろうな」


「再び埋め戻して、使う時に取りに行ったんでしょう。まだ結構な額が残っているようですから」


「しかし不足分が確定すれば、やつの横領が実証できる」


 木戸と岸本は、これで高橋を追いつめることが出来ると思った。


「中身はすべて取り出しました」


 鑑識係の一人が木戸に報告した。


「全部でいくらだった?」


「はい、まだ束の中身は確認していませんが全部で百七十三束、これが全部一万円札だとすれば、総額一億七千三百万円となります」


「一億七千三百万円?」


 木戸は声を上げた。


「ほんまかいな」


 岸本も驚いた。


 共犯者の自宅から見つかったのが二千万円、死んだ山崎が所持していたのが約三百万円だから、奪われた二億三百万円には七百万円足りない。しかし見つかった金を加えれば、それを超えてしまう。


「どういうことや」


「金が使われていなかったということか?」


「そんなあほな」


 二人は予想外の出来事に戸惑った。


「それで、記番号は確認したか」


 木戸は係員に尋ねた。


「まだ一部しか確認していませんが、通報されている番号の一万円札もありましたが、そうでない札も混ざっているようです」


「どういうこっちゃ?」


「とりあえず、この金が三成銀行中津支店から強奪された金かどうかを確認しましょう」


 木戸は三成銀行中津支店に連絡し、行員に来るように要請した。


「小林君、うちから強奪された現金が発見されたという連絡が、今警察から入った」


「ついに見つかってしまいましたか」


 小林は舌打ちをした。支店長も険しい表情をしていた。


「君は、本店のコンプライアンス統括部長と一緒に行ってもらいたい」


「はい、分かりました」


「前に打ち合わせていたように、くれぐれも慎重に対応してくれ」


「はい」


 小林は、強盗犯の逃げ去る車にカラーボールを投げつけた勇敢な男だが、今回の仕事は出来るなら避けたかった。警察相手に、どこまであの理屈が通用するのか不安だった。しかし、弁護士資格も持つコンプライアンス統括部長が、なんとかしてくれるだろうとも思った。


 小林はタクシーで中の島の本店に寄って、コンプライアンス統括部長の飯島を拾ってから生田警察署へと向かった。


 車の中で飯島と小林は、最終打ち合わせを行った。


「小林君、まず君は、強奪された金かどうかを、帯封がついているならば、それで確認して下さい」


 帯封とは、百万円を束ねる紙テープのことである。


「はい」


「帯封がうちのものに間違いがなかったら、奪われた金だと断言すること」


「分かりました。しかし帯封が無かった場合は?」


「通報した記番号の札を、一枚でも見つけてください。恐らくあるはずですから」


「了解しました」


「それからここが肝心ですが、通報した記番号以外の紙幣が混入していても、うちの銀行から奪われた紙幣であるとの主張は変えないこと」


「はい」


「もちろん理由を聞かれるはずだから、ここからは私が説明します」


「お願いします」


 警察署に到着すると、二人はすぐに武道場に案内され、床に並べられた札束を見せられた。


「兵庫県警の木戸です」


「三成銀行中津支店の小林です」


「三成銀行本店コンプライアンス統括部長の飯島です」


 二人は木戸に名刺を差し出した。


「では早速、この紙幣がおたくの銀行から強奪されたものかどうかの確認をお願いします」


「はい」


 小林は手袋を渡され、それを着けてから手渡された一つの札束を詳しく見た。その帯封には、確かに三成銀行のロゴと中津支店担当者の印鑑、そして日付が記載されていた。


「はい、間違いなくうちの中津支店から盗まれた紙幣です」


「こちらはどうですか」


 木戸はもう一つの札束を本城に差し出した。見ると帯封は一度解かれたようで、帯封に隙間があった。


「犯人が一度帯封を外したようですね」


「ええ」


「帯封を外して枚数を数えていいですか?」


「ではこちらで外します」


 鑑識係が帯封を切らないように丁寧に札を引出して、机に並べた。


「百枚ですね」


 小林は確認した。


「帯封自体は、うちから強奪された札に付けられていたものに、間違いありません」


「札は?」


「と言うことは、もちろんそのはずです」


「ちょっと待ってや」


 岸本が横から口を挟んだ。


「番号がちゃいまっせ」


「いや、それは」


「記番号については、私から説明いたします」


 飯島が口を開いた。


「実は、申告した記番号に誤りがあった可能性があります」


「誤り?」


「はい、まことに申し訳ございませんが、我々も今この瞬間にそのことを確かめることができたのです」


「一体どういうことなんですか?」


 木戸と岸本は、狐につままれたようだった。


「実は」


 飯島は、一呼吸おいてから話し始めた。


「元弊行中津支店の支店次長が、意図的に被害額と記番号に関して虚偽の報告を行った疑いがあるのです」


「どうして?」


「彼を仮にA氏と呼ぶことにしますが、A氏は二年前から不正な入出金を繰り返していた疑惑が、内部調査で浮上しました」


「横領ですか?」


「横領とは断定できていませんでした。銀行強盗が起こる前日までの支店の残高に問題がなかったからです」


「では何故不正があったと思われたのですか?」


「入出金のデータを改ざんした形跡が見つかりました。そのデータにアクセスする権限は、次長以上の人間でした」


「それで?」


「それが分かったのは強盗事件以後のことでして、残高に問題ない以上、我々としては、それ以上の追及をすることは出来ませんでした。多分、市中金融から貸し借りを繰り返して、自転車操業的になんとか帳尻を合わせていたのだと思われますが、それを証明する手段はありませんでした。銀行員としては恥ずかしい限りですが。A氏はその後、自己都合で退職いたしました」


「それが分かった時点で、なぜ警察に通報しなかったのですか。隠蔽するつもりだったのでしょう」


 木戸は落ち着こうと努めていたが、声は震えていた。


「いえ、滅相もない」


 飯島は逆に落ち着き払って話を続けた。


「今この瞬間、A氏の不正が明らかになりました。ですから我々三成銀行は、A氏こと山田光則を、電磁的記録不正作出及び業務上横領で刑事告訴します」


 飯島は懐から封書を取り出し、それから告訴状を取り出して示した。


 木戸は告訴状を奪い取って一瞥してから問いかけた。


「どうしてそれが今なのですか?」


「記番号です」


「この記番号が?」


「そうです。山田が不正に金庫から金を持ち出した場合、その記番号の札が当然無くなります。同じ額の札をこっそりと返したとしても、総額は一致しますが、記番号の異なる札に置き換わっているわけです」


「そりゃそうや」


「銀行では、入出金の際に札の記番号は記録しますが、毎日金庫に保管している紙幣の記番号をチェックしているわけではありません。入出金の記録から、当然金庫に残っている紙幣の記番号が分かるからです」


「そうでしょうね」


「山田はいずれ、その記番号のデータも改ざんしようと考えていたのだと思いますが、あの強盗事件が起こってしまった。だから、本来そこにないはずの記番号を報告するしかなかったわけです。しかしそのことは、今強奪された紙幣に報告したものとは異なる記番号の札が存在することが明らかになって、初めて確証が掴めたという次第です」


 飯島は自信を持ってそう言い放った。


「そんなあほな。俺たちは、その記番号とやらを唯一の手がかりとして捜査をしていたんやで」


 岸本の目は、怒りで充血していた。


「申し訳ありませんでしたが、我々としても致し方なかった。しかし発見された額から、横領の実態も明らかにすることが出来ると考えています」


「今我々は、問題の記番号の一万円札を多量に使用したと思われる人物の取り調べを行っているんですよ」


 木戸は飯島の弁護士バッジに目をやりながら、強い口調で飯島に詰め寄った。


 飯島は一瞬驚いた様だった。


「そうですか。確かにその一万円札は、かつてうちの銀行にあったものであることは確かです。しかし、どういう経緯でその方に渡ったのかは、こちらとしても不明です。強盗事件で奪われたお札かどうかは判断出来ません」


「警察としては、その人物が奪われた金を偶然発見し、横領したと見ています」


「当方としては、発見された金額が奪われた金額と相当するならば、中身が仮に入れ替わっていたとしても、被害は無かったと考えます。後はそちらの問題でしょう」


 飯島は、その人物について、それ以上の興味を示さなかった。


 木戸と岸本は、和樹の事情聴取を行っている山下を呼び出して、三人で対応を協議した。


「私は、高橋和樹があの金を使用していたのは間違いないと考えています」


 山下は主張した。


「しかし、唯一の証拠である記番号の信憑性が崩された以上、公判を維持するだけの証拠がない。しかも被害者の三成銀行が、被害が無かったと遺失物横領そのものを否定している以上、元々事件は無かったということになりますかね」


 木戸が力なく言った。


「全くふざけたやつや。三成銀行を虚偽告訴罪で立件したろうか」


 岸本は怒りを抑えることができなかった。


「三成銀行自体が支店次長を告訴しているわけですから、それは無理でしょう」


「高橋和樹を、遺失物横領罪ではなく、遺失物法第四条『拾得者の義務違反』つまり犯罪の犯人が占有していたと認められる物件を速やかに警察に提出しなかったということで立件できませんか?」


 山下はなおもこだわった。


「高橋があの金を発見したということを立証するのは、使用したという事実無くしては、難しいでしょうね。それに遺失物法第四条なんて、微々たる罪状に過ぎません」


 重い沈黙が三人を支配した。


「この事件はもうお終いや。中津支店次長の横領事件に、大阪府警は切り替えますわ」


 岸本が投げやりに言った。そして木戸と山下は、静かに頷くしかなかった。


 休憩を挟んで十二時間にも及んだ事情聴取で、和樹の体力と精神力は、既に限界を超えていた。


 午前零時を過ぎ、数々の証拠を突きつけられてもう駄目だと諦めの気持ちが起きかけてきた時に、山下が部屋を一度出て、再び戻ってきた。


 しかし山下は、さっきまでの鋭い眼光は消え失せ、視点の定まらないうつろな目を泳がせていたので、和樹は驚いた。


「高橋さん、お時間を取らせました。本日はこれでお引き取り下さい」


 和樹は突然のことでびっくりした。


「帰っていいのですか?」


「ええ」


「次はいつ来なければならないのですか?」


「その必要はありません」


 和樹は何が起こったのか、見当がつかなかった。


「僕の容疑が晴れたということですか?」


「いや、私はあなたがあの金を使用したと確信している」


「ではどうして?」


 山下はドアを開けて、和樹に出るように促した。


「警察はそれほど暇ではない。被害者がいない事件にこれ以上深入りするつもりはない」


 和樹は十二時間ぶりに解放された。




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