第42話
「高橋和樹の逮捕状を請求しましょう」
兵庫県警の木戸が主張した。
「確かに限りなくクロやな」
大阪府警の岸本も同調した。
「しかし」
警視庁の山下はまだ踏ん切りがつかないでいた。
公開捜査ではなかったので、金沢・広島・仙台の防犯カメラの映像に写った人物を特定するのは困難を極めた。金が隠されたと推測された有馬街道沿いに走る神戸電鉄の各駅に配置した兵庫県警の捜査員も、何の成果も上げることは出来なかった。
しかし、初音への事情聴取でほぼ焼津が横領したと断言しかけた木戸が、その裏付け捜査のため初音の身辺調査を行ったところ、一人の男性の存在が浮かび上がった。
その男が、初音の借金を肩代わりした人物であることはすぐに推測された。そして驚いたことに、その人物が防犯カメラに写った人物と極めて似ていたのだった。
早速その男を隠し撮りして画像を科捜研に送って解析してみたところ、防犯カメラに写された人物と同一との結果が出た。
「問題の一万円札の周辺に必ずやつが絡んでいます。もうこれは、やつしかいません」
木戸は主張した。
しかし状況は十分過ぎるほど整ってはいるが、公判に持ち込むには物証がまだ不足している。
合同捜査会議での検討の結果、金の洗浄に利用されたと考えられる横沢初音から証言を引き出すことに方針が決まった。
問題の金を高橋和樹から渡されたという証言さえ得られれば、決定的な証拠となる。そのために初音を重要参考人として取り調べを行ったのだった。
「横沢初音は、高橋和樹から金を受け取ったことは認めました。しかし、焼津から借金を繰り返したとの主張は変えませんでした」
山下は初音への事情調書の結果を報告した。
「焼津が死んでしもうたから、その真偽を立証することは無理やな」
「ええ、我々が予想した以上に、あの女は狡猾です。闇金から借りた金を、高橋和樹から渡された金とすり替えて返済に使ったということは、最後まで認めませんでした」
山下は、苦々しく言った。
「まあ、金に色なんてついていませんからな。財布の中に入っているどの金を使うかなんか、普通考えまへんわ。でもこれで、やっこさんが慌てて残りの金を処分しようと動いてくれれば、問題は解決や。高橋を揺さぶることは出来たんやないか」
岸本は、気落ちしている山下に言った。
初音は深夜まで行われた事情聴取から解放されると、和樹に電話を入れた。
「警察に呼ばれたわ」
「例の件で?」
「あなたのことを聞かれたわ」
「そうか」
和樹はついにやって来たかと思ったが、初音が自分に電話できるぐらいだから、まだ大丈夫だと考えた。
「それで」
「電話では話せないから、会いたいわ」
「分かった」
「でも気を付けてね。多分警察があなたを見張っていると思うから」
「じゃあ、六甲山カンツリーハウスで会おう。ペアリフトがあるから、それに乗って話をしよう」
和樹は車で六甲山頂へと向かった。
初音が言っていたように、背後には、尾行らしき車が二台ついている。しかし和樹は無理に尾行をまこうとはせず、表六甲ドライブウェイを、制限速度を守りながら登った。
和樹と初音は六甲山カンツリーハウスで落ち合い、二人でリフトに乗り込むと、初音はようやく少し元気を取り戻したようだった。
「どんな話を聞かれた?」
まわりの風景を楽しむような振りをしながら、和樹は初音に尋ねた。
「金沢・広島・仙台の商店街の防犯カメラに写ったあなたの写真を見せられたわ。変な帽子と眼鏡をかけていて、おかしかったわ」
初音は笑った。
話の内容は深刻なのに初音は余裕があるようで、和樹も緊張を少しほぐして笑った。
「そうか、警察はそこまで掴んでいたのか」
「警察はあなたの行動を、かなりの所まで掴んでいるわ。でも決定的な証拠がないみたいだから、あくまでも推測の域は出ていないと思う」
「それで、何を話した?」
「前の話を繰り返しただけ」
「そうか、ありがとう」
「それから、聞いて」
「何だい」
「あのお香の件、問題なかったわ」
「どういうこと?」
「あのお香、麻薬とかではなかったらしい。脱法ハーブの成分が含まれていたらしいけど、罪にはならないって」
初音は嬉しそうに言った。
「そうだったのか」
和樹も喜んだが、それならば余計に、初音を自分の犯罪に巻き込むわけにはいかない。
「もし辛かったら、警察に本当のことを言ってもいいよ」
和樹はさりげなさを装って初音に言った。
「まさか、そんなことしないわ」
初音は、和樹の左手を強く握った。
「本当に、それでいいのか?」
「もちろんよ」
「ありがとう。それならば、今まで通り普通の生活を続けて行こう。そうすればまず大丈夫なはずだ」
「そうね。もうあのお金は手元にないし」
「でも、結婚はもう少し先に延ばそう」
「仕方ないわね」
「すまない」
初音は少し寂しそうな表情をした。
和樹と初音は、毎日電話で言葉は交わしたが、しばらく会わないでそれぞれの日常を送った。
初音は、和樹の仕事の都合で結婚の予定が遅れるからと、年が明けてからも新地のクラブを続けた。和樹は、ミンダナオ島の工事の進捗状況を視察するため、何回かフィリピンに渡った。
和樹はいつも監視されていることに気付いていたが、普段通りに振る舞った。後二年持ちこたえられれば逃げ切れる。
『刑法二五四条
遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する』
和樹は自分の犯した犯罪がこれに相当すると考えていた。
もちろん法律の専門家ではないし、また弁護士に相談するわけにもいかないから本当のところは分からない。しかしもしこれに相当するならば、公訴時効は三年である。もう一年以上経過しているから、後二年持ちこたえれば、逃げ切れる可能性がある。
初音との結婚はその後にしなければならないと和樹は考え、初音にも伝えた。
初音はそれを了解し、それまでは我慢すると言った。
なかなか尻尾を出さない二人に、警察は焦りの色が出始めていた。
「重要参考人として引っ張って尋問すれば、ボロが出るんやないか」
岸本は強行突破を主張した。
「しかし高橋が否認または黙秘した場合、我々は決め手となる証拠を示せません」
山下はあくまでも慎重だ。
「確かに、高橋は問題の金は既に処分しているだろうから、やつの身近から出てくる可能性はないでしょう。ただし、残りの金が発見できれば、横領の事実だけは実証できます」
木戸が指摘する。
「確かに金が無くなっているわけやからな。誰かが盗ったということだけは確かや」
「しかし一端掘り出したとすれば、同じ所には隠していないでしょう。高橋に監視を付けてから、金を隠した場所に近づいた形跡はありません」
「やっかいやな」
操作は手詰まりとなった感があった。しかし数日後、思わぬところから決定的とも言える証拠が発見されたのだった。
「インターポール経由の情報ですが、マニラの殺人事件で逮捕された人物が、該当する一万円札を多数所持しているとのことです」
山下が報告する。
「殺人事件?」
「ええ、マニラでギャング団の仲間割れか、五人が射殺される事件がありました。そのうちの一人が、高橋和樹のパスポートを所持していました」
「パスポートを?」
「確かに、高橋和樹はパスポートを盗まれたと大使館に届け出ていて、再発行を受けています」
「パスポート以外に現金も盗られたということやね」
「恐らく。ただナカノというマニラ市警の警察官が高橋から事情聴取した際、現金の被害は少額のペソだったと言っていたと報告しています」
「金を盗られたとは言えませんからね」
木戸も頷いた。
「これで落とせます。重要参考人として連行して、証言を引き出した段階で逮捕に切り替えましょう」
山下は言い切った。
「高橋は今どこや」
「マニラです。二日後の便で関空に到着予定です」
「よし勝負や」
三人は久々に威勢を取り戻した。