第40話
大阪府警・和歌山・兵庫県警の合同による捜査で、和歌山での事件の当日、奈良市内から向かう不審な車が明らかとなり、実行犯は、立川組系山城組傘下の、大阪市西区に事務所を構える沢松組の構成員だと特定された。いわゆる「鉄砲玉」である。
すぐに大阪府警が三人の実行犯のうち二人の身柄を押さえ、残る一人を指名手配した。
犯行に使われた拳銃も押収されたが、その中に三成銀行で使用された拳銃はなかったが、指名手配されたもう一人が、それを所持したまま逃走しているものと思われた。
沢松組はもとより山城組の事務所まで家宅捜査し、立川組ナンバースリーの山城巌にも事情聴取を行ったが、その背景は不明のままだった。
しかし兵庫県警の内偵調査から、立川組先代の舎弟であり、現若頭の相沢との繋がりも強い桜井に、山城組傘下の焼津が何かのへまをやらかし、このままでは立川組総本部長である山城巌の立場に影響が及ぶとの懸念から、相沢への生贄として焼津が消されたということが推察された。
立川組における若頭相沢の勢力は、近年他の組を圧倒していて、さすがの山城巌も、もはや逆らえないと考えていたようだった。
「やはりあの金が原因やったんやろうか」
「ええ、でも、それ以外にも、最近焼津が相沢組系のシマを荒らしていたという情報もあります」
「まあ焼津は、人身御供ということやな」
「そうですね」
「銀行強盗犯の山崎との線はどうなってます?」
「まだ直接の繋がりは明らかになっていませんが、焼津組の金庫から一千万円を超える番号の一致する紙幣が見つかっていますから、証拠としてはそれで十分かもしれません。残りの金は見つかっていませんが」
「すると、あの女が焼津から金を受け取って、桜井に回したということですな」
「横沢初音は、他の闇金から借りて桜井金融に返済したと言っていましたが」
「焼津は女に闇金からわざと金を貸させて、その返済にあの金を当てて洗浄したんやないかな」
「もう一度、横沢初音から聞いてみますか」
「その必要がありそうやな」
二人は、新地のクラブ「雛」の前で、初音が出てくるのを待った。
「少しお時間をいただけませんか」
「刑事さん、まだ私に何か?」
初音は迷惑そうな表情を見せた。
「桜井金融に返済した金の件で、もう少し詳しくお話を伺いたいので」
「またあのお金のことですか」
三人は、以前の喫茶店に再び入った。
「横沢さん」
「はい」
「あなたは、焼津から借りた一千五百万円の借金を、桜井金融から借りて返済しましたね」
「ええ」
「その借金を、別の闇金から借りて返済したって言っていましたよね」
「前に言った通りです」
「本当ですか?」
初音はビクッとした。
「本当って?」
「桜井金融に返済した金って、本当は焼津から渡されたんじゃないんですか」
「どういうことですか?」
「あなたが桜井金融に渡した金の中に、ある事件で手配されていた一万円札が混ざっていたと考えられるんですよ」
「銀行強盗や、大阪の中津の銀行から奪われた金や」
初音は驚いたように二人の顔を見つめた。
「その銀行強盗と私に何か関係があるとか?」
「いや、そうは思っとりまへん」
「じゃあどうして?」
「つまり、焼津が関係しているんやないかと考えておるんですよ。あんたを利用して、金を洗浄したのやないかと」
初音は落ち着きを取り戻し、話し始めた。
「闇金から借りて桜井金融に返済したのは確かです。でも、闇金から借りた金を一度焼津に渡して、焼津から桜井金融に返してもらいました」
「どうして、そんな回りくどいことをしたんだね?」
「自分が交渉して、利子を安くしてやるって言われたからです」
「で、他の闇金から借りた借金は、どうやって返したんや」
「焼津から借りました」
「ということは、焼津に結局金を借りたままだったということやんか」
「いえ、本当は借りたくなかったんですが、闇金からの取りたてが厳しくて、闇金から借りて焼津に返済しても、結局また焼津から借りてしまうという繰り返しでした。このまま一生焼津にお金を返せないのかと、半分あきらめていました。焼津も、それが目的だったのかと思います。でも知り合いがお金を貸してくれたので、ようやく全部返せたんです」
「知り合いって、誰から借りたの?」
「それはちょっと」
「まあええわ、よう分かった。変な奴から金なんか借りんなよ」
「ええ、もうコリゴリです」
その後の捜査で、初音が借りたという桜井金融以外の闇金の金庫からも問題の一万円札が見つかり、横沢初音の証言の裏が取れた。
「結局焼津が根っこか。被疑者死亡のままで送検やな」
「まあ、その線でしょうかね」
木戸と岸本は、あの金の事件は、そろそろ終わりだと感じていた。
芦屋の閑静な住宅街にある老舗料亭の一室で、和樹と初音は本城夫妻が来るのを待っていた。
「私で大丈夫かな?」
「心配ないよ」
「だって三成銀行の重役の娘さんでしょ。私なんか、話を合わせられるかしら」
「なんでも推理小説好きみたいだけど」
「私、本なんか、あまり読まないし」
「いや、君が刑事に話した作り話、即興だったのに見事だったよ。それにお店で色々なお客さんとの会話で鍛えられているだろうし」
「あれは営業」
「ははは、大丈夫、大丈夫」
和樹は実際、初音の頭の良さに感心した。刑事に話した初音の話で、完全に辻褄が合う。焼津が死んでしまった以上、それ以上の追及は不可能だ。
「おまちどうさま」
ふすまが開き、本城夫妻が部屋に入ってきた。
「この度は妻共々お呼びいただき、ありがとうございます」
「いつも主人がお世話になっています」
「いえいえ、こちらこそ」
「初めまして、横沢初音と申します」
初音も畳に手を付いて、丁寧にお辞儀した。
顔を上げた本城が、「あれ」という顔をして、和樹を見つめた。
「本城さんは初めてではないですよね」
和樹の方から話題を向けた。
「なんだ、そういうことだったんですか。高橋さんも隅に置けない」
亜由美が、何のことかと不思議そうに皆を見渡す。
「本城さんに連れて行ってもらった大阪のお店で出会ったんです。ですから本城さんがキューピットということで」
和樹が亜由美に説明する。
「そうなんですか」
亜由美は初音を見た。初音が笑顔で返す。
場は急に和み、ビールで乾杯してから、運ばれてきた上品な先付に箸をつけた。
「宮崎出身なのに、ジャイアンツじゃなくタイガースファンだって言ってた人さ。前に話したよね、亜由美」
「そう言えばそういう話をしていたわね。お父さんもよく通っているお店でしょ」
「タイガースファンっていうのは、お客様にお話を合わせただけで、実はあまり野球のことは知らないんです」
亜由美は本城の横っ腹をつついて笑う。
「男性なんて、そんなもんよね。すぐにいい気になっちゃうんだから」
すっかりと打ち解けて、楽しく食事会は進んだ。
和樹と本城は、養殖場施設の将来性についての話で盛り上がっていた。初音と亜由美は、食べ物やファッションの話題で話が弾んでいるようだった。
「ところで高橋さん、ご結婚のご予定はいつですか?」
「ええ、まだ具体的な日取りは決めていないんですが、ミンダナオの施設が着工してからと思っています」
「そうですね、それまではなかなか忙しいですからね」
「その時にはお呼びいたしますので、是非奥様とご一緒にお越しください」
「楽しみにしていますわ」
そろそろお開きにということになり、和樹と初音は二人を外まで見送りに出た。
再び部屋に戻った二人は、燗酒をもう一合注文した。
「お疲れ様。でも本城さんたちも楽しんでくれたようだね」
「疲れたわ。緊張しちゃって」
初音はぐったりとした様子で足を投げ出した。
「そうかな。すごく自然だったけど」
「あなたの顔を潰しちゃいけないと、もう必死だったんだから」
「ありがとう、初音」
二人はお猪口を合わせて、小さく乾杯した。
「このまま、何もなく上手く行くのかしら」
「上手く行くよ」
「でも、クスリの件が残っている」
初音は悲しそうな表情を見せた。
「もしあなたに迷惑がかかるようだったら、そうなる前に私を捨ててね。私は全然かまわないから」
和樹は驚いて初音を見つめた。
「まさか、そんなことするわけない無いじゃないか。それを信じてもらうために、今日初音を本城さんに会わせた」
「そうだったの」
初音の目が潤んだ。
「私、泣き虫になっちゃったみたい」
初音は和樹にもたれかかって、小さな声を上げて泣いた。
「僕はあの金を、使ってしまった分を元に戻して、埋め戻すつもりだ。そんなことで許されるとは思わないが、君とずっと一緒にいるために、それだけはしておこうと思っている。もし君が何らかの罪を償わなければならなくなっても、僕は君とは離れない」
初音は、肩を震わせて嗚咽した。
ミンダナオ島のウナギ養殖施設の建設のため、和樹は頻繁にフィリピンに渡った。会社の業績は順調に伸びて行った。そして和樹は中小の飲食店との取引では現金取引を行い、せっせと一万円札を貯めていった。
初音は結婚するまではお店を続けると、相変わらず尼崎の古いアパートから店まで通った。
夏も過ぎ秋の気配が漂い始めるころ、和樹はようやく今までに使ってしまった金額を一万円札で作ることが出来た。
日曜日の昼下がり、和樹は初音と元町で昼食をとりながら話を切り出した。
「ようやく使った分の一万円札が貯まった。この金を埋め戻してくるよ」
「私も一緒に行ってもいい?」
「駄目だ。人目についてもまずいから、僕一人で片付けてくる」
「分かったわ。気を付けてね」
和樹は初音と別れてからすぐに、車で兵庫県と岡山県の県境にある山を目指した。金を移し替えて隠した場所である。
姫路あたりで時間を潰し、日が落ちてから山道に入った。相変わらず車の殆ど通らない道である。
ダムへつながる脇道に入り込んだ頃には夜の十時を回っていて、新月のその夜は、辺りは闇に包まれていた。しかし目的の場所はすぐに見つかり、用意してきたスコップで掘り返すと、簡単にバッグを掘り出すことができた。
掘り出した四つのバッグのうち二つは、まだ手つかずの一万円札が詰め込まれていて、ずっしりと重かった。和樹はそれらのバッグの土を払ってから、車のトランクに積み込む。和樹は金をそこに埋めるのではなく、元有った場所に埋め戻すつもりだった。
一年前にこの金を見つけてから、自分の人生は急激に変化した。それまでは何年も同じような日々を繰り返し、人生なんてそんなに簡単に変わるものじゃないと思っていたのに、ちょっとしたきっかけで大きく変わることがあるのだと、和樹は初めて知った。
バッグをアパートに運び入れ、中身を点検する。
二つのバッグには、黒いビニール袋に入れられた一万円札が、ぎっしりと詰まっていた。空の二つのバッグには、新しい黒のビニール袋に入れた一万円札を詰めていく。しめて一億七千万円、掘り出した時の金額である。
今では何億もの金を動かすことが出来るようになった和樹だが、やはりこれだけの現金を目の当たりにすると、恐ろしく感じた。
二日後の夜、和樹はバッグを車に載せて有馬街道を北上し、金を掘り出した山を目指した。
相変わらず夜になると車も殆ど通らない県道から林道に入り込み、その突き当りまで進む。
ヘッドライトを消すと、真っ暗な闇に支配される。しばらく窓を開けて、車の中から周囲の様子を観察する。早く作業を始めたかったが、誰もいないことを慎重に見極めるつもりだった。
「よし」
和樹は車を降りて懐中電灯を点け、トランクからスコップとバッグ一つを取り出して林の中に分け入る。
サクサクという土を掘り起こす音がやけに響く。金を掘り出した時と同じだ。
ようやく必要な深さの穴を掘りあげ、バッグを底に置く。
車に引き返して、二つのバッグを抱えて再び林の中に入り、穴の中に静かに下ろす。あと一個だ。
その時突然、林の奥でガサガサという音が鳴った。
和樹は懐中電灯を消して息を潜める。
その音は段々と近づいてくる。和樹の額から汗が噴き出る。
小さな光る物体が、茂みの中にじっとして動かない。和樹は思い切って懐中電灯をつけ、茂みを照らし出した。
「ニャオ」
うずくまっていた猫が次の瞬間に茂みの中に飛び込み、和樹は一瞬全身から力が抜けた。
和樹は最後のバッグも無事運び入れ、上から土をかぶせ、念入りにスコップで叩き、足で踏んで固めた。そして小枝や草を拾い集め、その上を覆った。
これを見つける人間が再び現れるかどうか、和樹には想像がつかなかった。
もし見つけたら、自分と同じことを考えるのだろうか。
和樹はそれも見当がつかなかった。
車をUターンさせて県道に出る。そのまま真直ぐには帰らず、拳銃を投げ入れたダム湖に寄った。
「これでもう完全に終わった」
和樹は真っ暗な湖面を眺めた後、「すべて終わった」と初音にメールを送った。




