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第39話

「本城君、高橋通商への投資、OKが出たよ」


 三成銀行三宮支店の支店長が本城に告げた。


「ありがとうございました。早速高橋社長に連絡して、明日にでも詳細を詰めたいと思います」


「よろしく頼むよ」


 本城が高橋通商に電話すると、普段ならどちらかと言えば控えめな高橋社長が、いつよもよりハイテンションで喜んでくれたのに、本城は驚いた。


 それに、お礼に席を設けたいとの申し出があった。しかも妻の亜由美もご一緒にとのことである。


「ひょっとして、社長の彼女もご一緒ですか?」


 本城が冷やかし半分で尋ねると、


「ばれましたか、よろしいですか?」


「もちろんです。では妻と一緒に行かせてもらいます」


 本城は快諾した。


 本城が帰って亜由美にそのことを告げると、亜由美も嬉しそうだった。


「フィリピンに一緒に行った人でしょ?」


「そう。前に話した、ウナギの輸入を手掛けている青年実業家」


「フィリピンで、変な所に行ったりしなかったでしょうね」


「まさか、本店の佐伯部長とも一緒だったから、そんな所には行けないよ」


「一緒じゃなかったら行っていたの?」


「そんなことないよ、まったく」


「だったらいいけど」


「もう。でもね、ちょっとしたアクシデントがあったよ」


「何?」


「向こうの警察から事情聴取された」


「えっ、あなたが?」


「いや、高橋社長なんだけどね」


「どうして?」


「前にフィリピンに行った時、パスポートを盗まれたそうなんだ」


「へー」


「そのパスポートを盗んだやつが、何かの事件に巻き込まれて、拳銃で殺されてしまったらしい」


「恐いわね」


「それで、迷惑なことに、高橋社長に話を聞きたいって、僕たちが打ち合わせをしている時に警官がやってきて、僕もちょっと驚いたけどね」


「フィリピンって治安悪いの?」


「悪い所もあるらしいけど、そういった所に行かなければ、全然大丈夫だよ」


「気を付けてね」


「分かってるよ」


「でも日本でも、この間の和歌山の事件みたいに物騒な事件があるわよね」


「やくざの抗争事件みたいだったね」


「そう言えば、中津支店の強盗犯のうちの一人も、暴力団関係者だったわよね」


「そうだった」


「あの事件って、その後どうなったの?」


「分からない。でも、ちょっと変な噂を聞いてね」


「変な噂?」


「これは内部情報だから、絶対他人に言ったら駄目だよ」


 亜由美は唾をゴクンと飲み込んだ。


「分かったわ。極秘情報ね」


 亜由美の「探偵趣味」が刺激されたようだった。


「実はね」


「実は?」


「あの銀行強盗で強奪された金額は約二億円、正確には二億三百万円ということになっているけど、本当は一億九千八百万円だったらしい」


「本当は、五百万円少なかったってこと?」


「そう。結婚式にも来てくれていた、中津支店の小林から聞いた。お義父さんの中山常務に確かめたところ、確かにそんな噂があって、今調査しているっていうことだった」


「つまり、誰かが五百万円を、事件が起こる前に着服していたってこと?」


「分からない。でもその可能性があるということで、内部調査を始めているそうだ」


「それは大変ね」


「外に漏れたらうちの信用に関わるからね。絶対他人に言ったら駄目だよ」


「分かったわ。これでも元銀行員だもん」


 亜由美は神妙に頷いた。


 和樹と初音は、念願の六甲山に登った。


 阪急六甲駅で待ち合わせて、そこからタクシーで六甲ケーブルの下駅まで行く。六甲山への登り方はいくらでもあるが、ケーブルカーで登るのは、遠足に行くような気分がして、和樹は好きだった。


 花柄のノースリーブのワンピースに麦藁帽という格好の初音も、少女のようにはしゃいでいた。


 ケーブルカーに乗って徐々に斜面を登って行くと、眼下に阪神間の景色が広がっていく。初音はそれを見ながら小さな歓声を上げる。隣に座っている和樹はそんな初音を眺めながら、つい何日か前にあんな修羅場があったのに無邪気に振る舞っている姿に、初音のたくましさといじらしさを感じた。しかし心の中には、きっと深い傷を負っているのだろう。自分がそれを癒していかなくてはならない。和樹は改めて思った。


 山上駅に着いて、すぐ横にある展望台から景色を眺める。大阪湾の向こうに紀伊半島もくっきりと見えた。


「ポートタワーからの眺めも素敵だったけど、やっぱりスケールが違うわね」


「一応標高九百メートルはあるからね」


「結構高いのね」


「少し歩いてみよう」


 二人は木立の中を歩き始めた。途中にいくつか別荘のような建物が建っていて、表札を見ると、企業の保養所が多いようだった。


「こんなところで何日か、のんびりと過ごしたいよね」


「そうね、色々あったから」


「今度、どこかに旅行に行かないか?」


「えっ、でも、お仕事忙しいんじゃない?」


「すぐにとかは無理だけど、お正月とかだったら休めるだろう」


「そうね」


「でも宮崎に帰省しなくてもいいのか?」


「家出同然で出てきたから、帰れないわ」


「しかし、いずれは顔を見せなければね」


「どうして?」


「やっぱりね」


「まあね」


 和樹は何か言いたそうだったが、初音にはそれが何か分からなかった。でもそれ以上は聞かなかった。


 二人は六甲山牧場で牧羊犬による羊の追い込みショーを見たり、チーズ工場を見学したりした。日差しは強かったが、山上の空気は気持ち良かった。


 二人はそこでたっぷりと時間を過ごしてから、バスで六甲山ホテルへと向かった。


「すてきなホテルね」


 初音は、山小屋風の、近代化産業遺産にも指定されている落ち着いた造りの旧館を見て感激したようだった。


「レストランは本館の最上階だけど、旧館も見学して行こうか」


「ええ」


 二人は本館からつながる通路を通って、ひっそりとしたレトロな雰囲気が色濃く漂う旧館に進むと、ロビーの一角にブライダルサロンがあって、純白のウェディングドレスが飾られていた。初音はそれを見ようともせず、階段を上ろうとする。


「ちょっと待ってよ」


 和樹が初音を呼び止める。


「何?」


「これって、初音に似合いそうだよね」


 和樹がウェディングドレスのショーケースの前で立ち止まっている。


 初音はびっくりして和樹を見つめる。


「バカ」


 和樹は階段を駆け上り、踊り場で初音を抱きしめた。


「結婚しよう」


 初音は、体の力がふっと抜けていくのを感じた。そして涙が一気に溢れ出した。


「嘘」


「本気だ」


「私みたいな女でもいいの?」


「それより、僕みたいな男でもいい?」


 初音は頷いた。


 和樹は初音を強く抱きしめ、二人は唇を合わせた。


 本館最上階のレストランで、食前酒として頼んだドライシェリーを飲みながら、二人は言葉もなく、ただ眼下に広がるパノラマの風景を眺めていた。


 ウェイターがオードブルを持ってきて、ようやく和樹が口を開いた。


「フィリンピンの事業に、三成銀行も投資してくれることが決まった」


「すごいわね」


「うん、こんなに上手く進むとは思っていなかったよ」


「元々才能があったのよ。それを発揮するためのきっかけが、ちょっと変わっていただけ」


 日が落ちて辺りが薄暗くなり、いわゆる一千万ドルの夜景が徐々に広がり始めていた。


「それでね、今度そのお礼に、三成銀行の本城さんと彼の奥さんを食事に誘おうって思っているんだ」


「本城さんって、あなたをお店に連れてきてくれた人?」


「そう、彼がキューピットと言うわけだからね」


「そうね」


「その席に、君を連れて行きたい」


「私を?」


「いいだろ」


「えっ、でも、私が行っても良いの?」


「ああ、君を紹介したいんだ。婚約者として」


 初音ははにかむように、外の景色に目をやった。


「本当に私でも良いの?」


 初音は再度尋ねた。


「フィリピンのホテルでも、マニラ湾に沈む夕日を見ながら、君のことを思い出していた」


「私も、いつもあなたのことが、頭から離れなかった」


「初めは恋愛ごっこだと思っていたんだけどね」


「恋愛ごっこ?」


「きみが言ったんじゃないか」


「私、そんなこと言ったかしら」


 和樹は可笑しそうに笑った。


「でも、これからはずっと一緒にいようね」


 初音も笑顔で頷いた。


 すっかり日は暮れ、眼下には、眩いばかりの光の海が広がっていた。


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