第38話
「しかし妙な展開になってきましたね」
大阪府警本部で、木戸が岸本に話しかけた。
「最初から立川組が絡んでいたとはね」
岸本も腕を組みながら首をひねる。
和歌山県で発生した暴力団の抗争がらみで拳銃によって二人が死亡した事件で、三成銀行強盗事件で使用された拳銃の弾痕が発見されたのである。
二人に撃ちこまれた弾丸は別の拳銃によるものだったが、天井と壁に撃ちこまれていた数発の弾丸の線状痕が、三成銀行強盗事件のものと一致した。しかし拳銃は見つかっていない。
「やはり、三成銀行に押し入った山崎は、金を桜井金融に持ち込み、拳銃も立川組関係者に渡したということになりますか」
「そう考えるのが妥当やな」
「焼津の身柄を、早く押さえておくべきでした」
「まあ、あまり気にせえへんで下さい」
大阪府警・兵庫県警・和歌山県警の合同捜査会議が始まった。岸本と木戸が、今までの経緯を説明する。兵庫県警暴対の津川が、立川組に関する最新の情報を補足説明した。
和歌山県警の捜査員の報告が続く。
「近所の住民によりますと、最初の銃声が聞こえたのが午後七時半ごろ、そして次の銃撃戦らしき音が聞こえたのが八時前と、三十分くらいの間があります」
「焼津は胸と腹に各一発、前川は額に一発の弾丸が撃ちこまれ、ほぼ即死だと思われます」
「かなり拳銃を使い慣れたやつやな」
「ええ、しかし三成銀行で使用された銃から発射された弾丸は、いずれも天井や壁から発見されています」
「三十分の間があいているということやから、まず最初に例の拳銃で脅かして何かを聞き出そうとしたんやないか。それを白状したかしなかったか知らんけど、用が無くなったから消しよった」
「そういう風に考えられます」
「しかし、庭に停めてあった車の前輪も撃ち抜かれています。二人とも殺しているわけですから、車を走行不能にする必要はありません」
「他に誰かいたということかな」
木戸が尋ねる。
「百十番通報があって八時三十分ころに現場に到着した時には、被害者以外の人物はおらず、すぐに県道に非常線を張りましたが、それに引っかかる者もいませんでした。ただ夜だったので山狩りまではできず、山越えで逃走した人物がいなかったかどうかは、現在捜査中です。
「遺留品は?」
「被害者の二人が使っていたと思われるグラスなどの食器、それに液体の入った瓶が残っていました。液体の成分は現在鑑定中ですが、覚醒剤及び麻薬の成分は検出されなかったとの報告が入っています」
「なんや、それは」
「神戸の福原あたりで一時流通していた媚薬やないかな。丸政組が関与しているという噂やったから」
津川が発言する。
「でも、脱法ハーブの成分は検出されたものの、包括規制前だから、立件は出来ませんでしたけど」
木戸が付け加える。
「他に、現場からは女性の衣服の一部と見られる布切れが見つかっています」
「女?直前までいたのかな」
「それは分かっていません」
「死ぬ直前まで、その媚薬でお楽しみやったんやないか」
岸本がつぶやく。
合同捜査会議は長時間に及んだが、奈良から和歌山に向かう国道で目撃された不審な黒塗りの車の洗い出しと、立川組内部情報を詳しく探って、実行犯の特定を最優先に行うことに決まった。
捜査会議終了後、木戸は岸本に誘われて、大阪駅ガード下の串カツ屋で立ち飲みしながら、意見を交わした。
「思わぬ方向に進んでいますね」
「そうやねん」
「立川組がらみだったら、もうマル暴に任せて、我々は手を引きますか」
「まあ、山崎の足取りを再捜査して、焼津なり桜井なりにつながったら、あとは任せるほかはないやろうな」
二人は元々、三成銀行で強奪された金の経路と拳銃の行方を捜査していたわけだから、暴力団の抗争事件の捜査に加わるつもりはなかった。
「ただあの女が気になるわな」
「横沢初音ですね」
「そうや、あいつが桜井から借りた金の中に例の札が入っていたか、焼津から掴まされた金の中に紛れ込んでいて、それが桜井に渡ったか、いずれにせよ二人を結んでいるのがあの女やから」
「彼女は単に、金の受け渡しに利用された媒介に過ぎなかったのかもしれませんね」
「しかし、我々が焼津に接触した直後から姿を消しているのを考えれば、あの女は焼津と何かのつながりを持っていることになりますな」
その時、岸本の携帯に連絡が入った。
「何やと、あの女が店に出勤しとるって」
「横沢初音ですか?」
「ええ、横沢初音が新地のクラブに出勤しているということのようです。行ってみますか」
「そうですね」
二人は勘定を支払って店を出て、小走りで北新地へと向かった。
「いらっしゃいませ。まあ! 」
新地のクラブ「雛」のママは少し顔をしかめた。
「詩織ちゃんに御用ですか?」
「ええ、お願いします」
「分かりました。呼んできますので、外でお待ちください」
ママは店の奥へと向かった。
「詩織ちゃん、警察の方がお呼びよ。詩織ちゃんが休んでいるときにも来たけど」
ママは初音にそっと耳打ちした。
「ちょっと失礼します」
初音は席を立ち、ママに従った。
「詩織ちゃん大丈夫なの?借金の悩み事でもあるんじゃないの?」
「ママごめんなさい、迷惑かけちゃって。でも借金は全部返したから心配しないでね」
「なら良いけど」
初音は、その日店に出勤すると、ママから警察が訪ねてきたということを聞かされていた。その時、和樹から言われた通り、借金関係でトラブルがあったと話していた。
「それからママ、ずる休みしちゃって、ごめんなさい」
初音はまた、この三日間休んだのは、彼氏と東京に遊びに行ったことにしていた。これも和樹の指示だった。
表に出ると、刑事らしき男が二人待っていた。
「ママさん、少しの間お借りします」
「横沢初音さんですね」
「はい、でも何か?」
「少しお時間をいただけますか」
「ええ、いいですが」
三人はビルを出て、近くの喫茶店に入った。
「この男をご存知ですね」
木戸は一枚の写真を見せた。初音は頷いた。
「焼津秀樹、広域指定暴力団立川組系丸政組組長です。昨夜殺されました」
「知っています。今日の新聞で読みました」
「横沢さん、しばらく店をお休みされていたそうですが、ご実家に帰省されたとか?」
「何か関係あるんですか?」
「いえ、ただ」
「実家には帰っていません。ちょっと遊びに行っていました」
「遊びに?どちらへ」
「東京です」
「お一人でですか?」
「何故そんなことを尋ねるんですか。ひょっとして、焼津の事件で私を疑っているんですか?」
「いやいや、そういうことではあらへんのですが」
岸本が横から割り込む。
「焼津に借金があったそうやね」
「ええ、確かにあの男から金を借りていました」
「いくらですか?」
「額まで言わなくちゃいけなんですか?」
「いえ、参考まで」
「千五百万円です」
「そりゃたいへんやわ。けど、なんでそんな大きな借金こさえてしもうたんや」
「わたしが馬鹿だったんです。ある事件がきっかけで自暴自棄になってしまって」
「どんな事件ですか?」
「阪急東通りの風俗店で働いていた時、やくざに因縁をつけられて、暴力を振るわれました。それが昼間の職場にも伝わり、クビになってしまいました」
初音は事実を話しているので、淀みなく答えることが出来た。
「そう言えば、そんな事件があったな。あんたが被害者やったんか」
「はい」
岸本が席を離れて署に電話して調べさすと、確かに横沢初音がその事件の被害者ということが確認できた。
「焼津に借金は返されましたか?」
「はい、返済しました」
「でも千五百万も、よく都合がつきましたね」
「私から何を聞きたいんですか?」
初音は苛立った様子で二人に尋ねた。
「いや、よく返済できたなと思いまして」
木戸は初音から何かが引き出せると思った。
「借りました」
「誰から?」
「消費者金融からです」
「担保とか保証人は?普通千五百万円も借りるとなると、それなりの用意が必要ですよね」
「担保も保証人も要らないからって焼津に紹介された、闇金からです」
「桜井金融からですね」
「そうです」
「桜井金融への返済はどうなっていますか」
初音はテーブルにうつ伏せ、声を荒げた。
「もういい加減にして下さい。あの闇金には、他から借りて全額返しました」
初音は声を上げて泣き出した。喫茶店の客が一斉に振り返る。
「いやあ、我々は、焼津か桜井金融かが関係する事件のことを調べとって、あんたが知っている話を聞きたかっただけやねん。気にせんといてや」
岸本が声をかける。
「お時間を取らせて申し訳ありませんでした。後日またお話を聞くことがあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」
木戸が立ち上がった。
岸本と木戸は、初音を店まで送り届け、ママに礼を言ってから店を後にした。
「木戸さん。あの女は焼津に何か弱みを握られて、金を搾り取られていたようやね」
「確かに。でも、横沢初音が、三成銀行から強奪された金に何らかの関わりがあったとは考えられませんし、今回の発砲事件と繋がる線はありませんね」
「やっぱり銀行強盗を犯した山崎が、桜井に金を持ち込んだと考えるのがええんちゃいますか」
「そうかもしれませんね」
「口直しにもう一軒行きますか」
岸本と木戸は、阪急梅田駅裏の飲み屋街へ向かった。
店に戻った初音は、ママに詫びた。
「ごめんなさい。私が借金をしていた人がやくざで、昨日の発砲事件で殺された人なんだって。それで知っていることがあれば話して欲しいって」
「詩織ちゃん、気を付けなさいよ」
「はい」
初音は早引きしたいとママに頼んで、許してもらった。
着替えを済ませて店を出ると、初音はすぐに和樹に電話を入れた。
「あなたの言う通りだった。桜井金融のことを聞かれたわ」
「クスリのことは聞かれなかった?」
「ええ、そのことは何も」
「良かった。だったら、やっぱり単にあの金に関する参考人ということだろう」
「大丈夫かしら」
「何も知らないって押し切れば大丈夫だ。何も証拠など無い。焼津はもうこの世の中にはいないんだ」
和樹は、初音のところに、あの金の件で警察が訪れることを予想していた。
もし、クスリの件で事情を聞かれたら、「焼津に脅されて売った」ということにすれば良いとも言っておいた。その件は隠しおおせることはできないだろう。
最悪銃撃現場に居合わせたことがばれたとしても、焼津にクスリのことで脅されて連れて行かれたと、正直に話せば良い。銃撃戦の間に隙を見て逃げたことにすれば辻褄は合う。
クスリの件では、何らかの罪には問われるかもしれない。それは仕方ない。しかしそれで自分が初音を突き放すことはしないと約束した。初音はそれを受け入れて、腹をくくってくれた。
和樹自身があの事件現場に行っていたことさえ隠し通すことができたならば、何とかなる。
和樹は、ようやく先が見えてきたような気がした。
「まだ傷は痛む?」
「大丈夫。顔のあざも、お化粧でなんとか隠せたし」
「今度の日曜日、六甲山に行ける?」
「行きたいわ」
「じゃあ行こう」
和樹は電話を切ってから、机の引き出しに隠していた、新聞紙に包まれた拳銃をバッグに入れてアパートを出た。
車で国道をしばらく西に走り、右に曲がって有馬街道を目指す。更に有馬街道を北上して分かれ道で西に曲がり、金を掘り出した山の近くまでやってきた。
しかしその山を貫く県道には曲がらず、更に直進していくと、集落を抜けて再び谷間の道となる。その先には、ダムでせき止められた湖があった。
深夜、一台の車も通らない湖畔の道の傍らに車を停め、和樹は車を降りた。
真夏の夜、街中とは異なる心地よいそよ風が吹き抜ける。
和樹はバッグの中から包みを取り出して、くるんでいた新聞紙を剥ぎ取った。そして、半月の光に鈍く光る重い物体を片手に掴み、ふうっと息を勢いよく吸い込んで止めると、振りかぶって湖の中に投げ込んだ。
数秒後、静まり返った闇の中でポチャンという水のはじける音が響いた。あれを使うことなんて永久にないだろう。
和樹は車をUターンして、街に向かった。だが真直ぐアパートには戻らず、途中で和樹が以前住んでいた住宅地に寄ってみた。
相変わらず、ゴーストタウンのように寂れた街のままだった。和樹がかつて住んでいた家は取り壊され、更地になっていた。
それほど年月が経っているわけではないのに、ここで暮らしていたことが、遠い過去のように思えた。もう後には戻れない、しかしこの先に、わずかだが希望らしき光を感じることができた。




