第37話
和樹は、金を偶然見つけて掘り出したこと、それが銀行強盗で強奪された金だったこと、最初はそれを細々と両替して生活していたこと、そしてその金で初音の店に行ったことを話した。
拳銃もその時一度掘り出してすぐに埋め戻したのだが、今回再び掘り出したのだと説明した。
その後再び初音に会った時に自分の情けなさに愛想を尽かし、何とか生活を変えようと、今の事業を起ち上げたことまでを話した。
事業が上手く行って、もうあの金は使わないでおこうと一度は決めたのだが、既に使ってしまった金の出所を隠すために、闇金を利用しようと考えたことも、正直に話した。
初音は驚いた様子だったが、俯いたまま黙って聞いていた。
「呆れた話だろう、軽蔑するだろう。それに僕は君を利用してしまった。それでこんな危険な目に合わせてしまった。謝っても許してくれないと思うけど、とにかく本当のことだけは言っておきたかった。君の安全のためにも、警察に通報するなり好きなようにして欲しい。警察には本当のことを言うよ。君を巻き込んでしまったってことを」
初音は顔を上げ、首を横に振った。
「いえ、あなたのせいじゃないわ。あのやくざに連れて行かれたのには、別の理由があるの」
和樹は驚いて初音の顔を見た。
「私に原因があるの。私もあなたに隠していたことがある」
初音はためらいながらも、あのお香の話をした。そして、警察という言葉に怯えて、あの男の言いなりになってついて行ってしまったと話した。
「だからあのやくざは、口封じのために私を連れて行ったんだわ。あなたが助けてくれなかったら、私はきっと殺されていた」
和樹は国道沿いのユニクロの駐車場に車を停めた。
「そんなことがあったのか、でも、きっと僕のせいだと思う。とにかく今は、あのやくざから逃げることを考えよう。家に帰るのはまずい。しばらくどこかに隠れていた方がいい」
初音の服は、切り裂かれてボロボロになっていた。
「とりあえずジーンズとTシャツを買ってこよう。君は車の中で待っていてくれ」
初音は、後部座席で和樹が買ってきた服に着替え、再び助手席に座った。和樹は車を走らせる。
長い沈黙の後、初音が口を開いた。
「あなたのしたことは確かに悪いことかもしれないけれど、誰も傷つけてはいないわ。それに同じようなことがあれば、私もそうしたと思う」
「えっ」
「それに私はあなたに三度も助けられた」
「三度?」
「今回のことが三度目。お金を貸してくれたのが二度目。でも最初に助けられたのは、心斎橋筋のデートに誘ってくれたこと」
「なぜ?」
「それまであんなアルバイトをしていたけど、あのデートで辞める決心がついたの。結局こんなことになっちゃったけれど、あのままズルズルとあの仕事を続けていたら、もっと駄目な人間になっていたと思うわ。だから、あなたを恨んだりはしないし、軽蔑したりもしていない」
和樹は初音の予想外の反応に驚いた。
「いや、助けられたのは僕の方だ。あのままダラダラと金を使っていたら、もっとどうしようもない人生を送っていたと思う」
「私たちって、似た者同士だったのかもね」
和樹は、大阪駅に近いシティホテルの玄関に車を乗りつけた。
「しばらくは、ここにいてくれ。出歩かない方がいいだろう。当座のお金はこれを使ったらいい。明日の朝電話する」
初音がバッグの中を探ると、携帯電話が見つかった。
「良かったわ。あなたの名前とか電話番号が登録されていたから心配だったの」
「幸い、あいつは僕のことをどこかの組の者だと勘違いしているようだから、身元はばれていないだろう。まさか一般市民が拳銃を持っているとは思わないだろうからね」
和樹は力なく笑った。
「会社をしばらく離れていたから、明日から当分僕も休めない。でも電話で連絡を取りながら、今後の対策を話し合おう」
「ごめんなさいね、色々と迷惑をかけてしまって」
「そんなことはないよ。僕の方こそ悪かった」
初音は笑顔で手を振って、ホテルに入っていった。
和樹は初音に真実を語ったことで、少しは肩の荷を下ろしたような気がしてほっとした。しかも驚いたことに、初音にも負い目があったとはいえ、そんな和樹を受け入れてくれた。
和樹は、初音を全力で守ることを、強く心に誓った。
「社長、東京はいかがでしたか」
事務を任せている女性社員が、お茶と新聞を差し出しながら尋ねた。
「ああ、千葉の中堅スーパーとの話をまとめてきた」
メールと電話でのやりとりだけだったが、実際に契約は取れていた。
「また忙しくなりそうですね」
「ああ、あと何人かを募集しないとね。求人広告の手配をお願いします」
「はい、分かりました」
和樹は女性社員が手渡した新聞に目を落とし、一面の片隅に載っていた記事を見て驚いた。
『暴力団の抗争か? 和歌山で組員二人が死亡』
詳しく読むと、昨夜奈良県と和歌山県の県境の村で、広域指定暴力団立川組系丸政組の組長焼津秀樹と、組員の前川渡が拳銃で射殺されているのが発見されたということだった。顔写真が載っていて、それを見ると、初音を監禁していたあの二人に間違いなかった。
「ちょっと出かけてくる。夕方には戻るから」
和樹は新聞を抱えたまま、事務所を出た。
喫茶店に入り、もう一度詳しく読み直し、また別の新聞も読み比べた。
それによると、昨夜八時頃、集落の外れの家の方からパンパンという鈍い音が響き、一度は止んだものの、しばらくするとさらに多くの音が聞こえたので、村人が何かと思って様子を伺いに行くと、数人のやくざらしき男が家の中から出てきて、急いで車で立ち去ったということである。
焼津と前川は、数発を撃たれて絶命していたらしい。
和樹は思い出した。車で逃げる途中に山道で猛スピードですれ違ったあの車に、別のやくざが乗っていたに違いない。
和樹は最初応援を頼んだのだと思っていたが、何らかの理由で焼津を追っていた別のやくざが、居所を突き止めて殺しに行ったのだろう。
その理由とはなんだろうか。
焼津も和樹に向かって「どこの組のもんや」と言っていた。何か対立する原因があったのだろうか。
しかしそれが初音だとは思えなかった。初音は確かにクスリの片棒を担がされていたかもしれないが、あの男に借金は返済したし、一度は解放されていたわけで、初音がやくざの組織と深く関わっていたとは思えない。
だったらあの金が原因なのかもしれないとも思ったが、それ以上は想像できなかった。
和樹は初音に電話をかけた。
「もう知っているよね」
「あのやくざが殺されたことね」
「そう」
「もちろんあなたが殺したのではないわよね」
「ああ、もちろん。山道ですれ違った車で駆けつけたやつだと思う」
「多分そうだと、私も思うわ」
「ところで、殺されたやくざは、君に何かを話していたかい」
「そうね、しきりと桜井金融のことを気にしていたみたいだけど」
「やっぱりあの金が原因なのか」
「わからないわ。それと相沢っていう人の差し金かとも聞かれたわ」
「相沢?」
「若頭とか何とか言っていたみたいだけど」
和樹は「相沢」という名前に聞き覚えがあった。そう言えば新聞や週刊誌で時々見かける名前である。確か、立川組のナンバーツーで、現組長の有力な後継者であるはずだった。すると、殺されたやくざは、それに対抗する組とかだったのだろうか。いずれにせよ、暴力団内部の抗争であることには違いない。
「事情が詳しく分かるまで、やはりしばらく身を隠していた方がいい」
「ええ、分かったわ」
和樹はネットカフェに行って、立川組のことを調べた。
日本有数の規模を誇る立川組は、五代目組長の篠崎を頂点に、ナンバーツーの若頭相沢、ナンバースリーの総本部長山城以下、最高幹部が十数名、その下に何千人もの組員、準構成員を従えている。だが、絶大な権力を誇っている篠崎も高齢で、そろそろ跡目相続の問題が生じているらしい。
順当ならば若頭の相沢というところだが、総本部長の山城巌も跡目には色気を出していて、立川組の内部では、相沢派と山城派に分かれて少なからず反目しているらしい。焼津の率いる丸政組は、山城派に属していることも分かった。
和樹は、自分たちがそんな恐ろしい暴力団の世界に巻き込まれてしまったのかと、ぞっとした。
しかし考えてみると、あの金が原因だと思われるフィリピンのギャング団の殺人事件も起こっている。初音は「誰も傷つけていない」と言ってくれたが、この金が原因で、もう何人もの命が失われている。和樹は、自分がしでかしてきたことの重大さを、改めて思い知った。
しかし同時に、和樹はある可能性に気が付いた。
立川組が、最近他の暴力団と抗争事件を起こしているとは、聞いていない。それに、たとえ初音がクスリに関与していたとはいえ、巨大な勢力を誇る立川組からすれば、些細なことに過ぎないはずだ。それなのに、これ程の凶悪な発砲事件になるには、もっと重大な別の原因が、立川組内部にあるに違いない。初音がこの抗争事件の直接の原因とは思えない。
それならば、初音に直接関わっていた焼津が死んで丸政組が壊滅すれば、とりあえず初音は、やくざ組織から安全圏に脱出できたということにならないか。
それよりも問題は、今回の事件で警察がどう動いてくるかである。警察の捜査で、あの金が焼津や桜井金融に流れたことは、いずれ判明するだろう。いや、焼津が初音に桜井金融のことを尋ねていたことを考えれば、警察は既に金の存在を掴んでいて、焼津や桜井金融をマークしていたかもしれない。
すると、焼津と桜井金融を結ぶ初音に、捜査の目が向けられるのは間違いない。とにかく、今後の捜査の行方に、より一層注意を払うしかないだろうと和樹は思った。




