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第35話

 スグル以外にも何人か、あの一万円札を使用した人物が特定され、彼らから話を聞き出すと、いずれも桜井金融との接点があった。兵庫県警の囮捜査官が桜井金融から百万円を借りたところ、そのうちの二枚が、強奪された一万円札と一致した。


 あの金が大量に出回ったのは、最早桜井金融以外には考えられなかった。


「銀行を襲って金を強奪した山崎は、犯行翌日の十月二日に盗難車で神戸に入ったことが、Nシステムの分析などから明らかになっとります。そして盗難車に残されたスコップから、神戸市北西部の土質と似通った土が付着しているのが判明し、我々は、山崎が金をその周辺に埋めたと判断したわけです。そしてその金を偶然掘り出した誰かが、横領したと考えたわけですな」


 岸本が説明する。


「しかしその金が、立川組の資金源ではないかと疑いのある桜井金融から流れ出ている。そうなると、銀行強盗の山崎は、金を隠すためではなく、桜井金融に持ち込むために神戸に向かったとも考えられます。確かに山崎は組の金に手を付けていて、金に困っていた。それで仕方なく桜井金融から金を借り、それを返済するために銀行を襲った、というストーリーも考えられますね」


 木戸が話を引き継ぐ。


 それを静かに聞いていた山下は、


「ですが、そうだとすれば、初めに自動券売機や金沢・広島・仙台で使用した人物の存在が説明できません」

と反論した。


 警視庁捜査三課の総力を上げて割り出した人物像に、山下はこだわりを見せた。


「そこなんですわ」


 岸本も頭を抱えた。


「とりあえず、桜井金融から金を借りて丸政組の焼津に金を渡したという女から事情を聴くしかないですね」


「それと桜井のジイサンもやな」


 兵庫県警暴力団対策課の津川ら数名が、丸政組の事務所を訪れた。準構成員の安田卓に関連した捜査という名目だった。


「だんな方、何か御用ですか?」


 スグルが逮捕されたと聞いて、焼津はすぐに例のクスリを処分していたので、警察に踏み込まれた時も、平然と対応した。


「最近景気が良さそうやないか」


「全然あきまへんわ。わしらみたいにまっとうな商売しとる所は、あがったりや」


「何あほなこと言うとんねん。ちょっと突つけば、いくらでもブタ箱にぶち込めるだけの材料は揃っとるで」


「おお、恐わ。それで何の用や。こっちも忙しいねん」


 津川は、一通りスグルのことを尋ねた後、話題を逸らして女のことにチラリと触れた。焼津は敏感に反応した。


「なんでそんな借金、お前にこさえたんや」


「何度も忠告したんやけど、ホストクラブに入れ込んでな。そこの男に貢いどったんや。それでわしも甘かったんやな。そいつの言いなりに金を回しとったら、あっと言う間や。ええ女やったけどな」


 焼津は鼻の下を伸ばした。


「それで、その女に桜井金融を紹介したというわけやな」


 焼津は驚いて津川の顔を見つめた。


「なんでそんなこと聞くんや?」


 桜井金融の名前が出たことに、焼津は驚いた。桜井義男は、立川組先代の直系の舎弟である。下手なことは話せない。


「とにかくその女に、桜井金融から金を借りさせたんやな」


「止めときやってゆうたんやけど、金貸してくれるところ紹介してくれってせがまれたから紹介したっただけや。何か問題あるんか?」


 焼津は、少し動揺した様子で乱暴に言った。


「その金はもう返済したのか?」


「知らへんわ。金返してもらったら、あの女とは関係あらへん」


「その女の名前は?」


 焼津は、初音のことを探られると、あのクスリのこともあからさまになると恐れた。


「知らへん。東門街のソープで『詩織』って名前で働いとったぐらいしか知らん」


「嘘着け、どこの誰かも分からん奴に、一千五百万も金を貸すアホがどこにおるねん」


 津川は椅子を蹴とばした。


「分かった、言いますよ。横沢初音っていう名前や」


「新地のクラブいるそうやが、店の名は?」


「金返すまでは居所抑え取ったけど、その後はどうなったか知らん」


 焼津は初音の居場所を知っていたが、時間稼ぎのため嘘を付いた。


「ほんまやな」


「ああ、ほんまや」


 津川は、とりあえずスグルの供述の裏がとれたので、引き上げることにした。


 焼津はまずいことになったと思った。


 あの女が桜井金融と何かトラブルを起し、それが元で桜井金融に警察の手が入ったなら、その女を紹介した自分の立場も危ない。それに、あの女が警察にクスリの話をすれば、それもまずい。


「出かけるで。前川、運転せい」


 初音に桜井とのことを聞き出し、クスリのことも口止めしておかなければならない。焼津は尼崎へ向かった。


 初音は土曜日の店勤めを終え、客に食事の誘いを受けたのを断って、真直ぐタクシーで尼崎のアパートへ向かった。明日の日曜日は、和樹と六甲山へ行く約束だった。


 タクシーをアパートの手前のコンビニで降り、朝食にとサンドイッチと缶コーヒーを買って、アパートに向かう暗い路地を曲がった。


 アパートまであと十メートルの所まで来たときに、玄関前に車が停まっているのに気が付いた。


 何だろうと思った時に急にヘッドライトが点灯し、眩しさで目がくらむ。ドアの開く音が聞こえ、たちまち男に羽交い絞めされ、口をふさがれた。


「車に押し込め」


 聞き覚えのある声が聞こえた。


 後部座席に押し込められると、隣にあの男が座っていた。初音は恐怖で気が遠くなりかけた。車は静かに発進する。


「何の真似よ。お金はちゃんと返したじゃない」


 初音は力を振り絞って声を張り上げた。


「まあ落ち着け。別に取って食おうというわけやないから」


「じゃあ何よ」


「ちょっと頼みたいことがあってな」


「何よ」


「しばらく、姿をくらませておいてくれればええんや」


「なぜよ」


「おまえにとってもその方がええで」


「どうしてよ」


「おまえも警察の厄介にはなりとうないやろ」


 初音の顔が青ざめた。


「どういうことよ」


「例のお香、おまえも売り歩いていたやろ。わしらと同罪や」


「それは……」


 初音は言葉に詰まった。


「少しの間でええから、わいの別荘で大人しくしておいてくれ」


「別荘って何処よ?」


「まあ、しばらくやから我慢してや」


 初音は無言で頷いた。


 焼津は話しを続けた。


「ところで、おまえ桜井の爺さんと何かもめ事起こさへんかったか?」


「どうして?」


「ちゃんと金返したんか」


「全部返したわよ」


「その金、どこから掴んだ」


「借りたわよ。桜井金融よりましな所から。だからどうして?」


「ほんまやろうな」


「本当よ」


 焼津は初音のバッグから携帯電話を取り出して、電源を切ろうとする。


「ちょっと止めてよ」


「しばらくの間やから」


「私、明日人と待ち合わせしているの。何も言わないですっぽかしちゃったら変に思われるわ。それにお店も」


「誰と待ち合わせや、男か」


「店のお客さんよ」


「あいかわず体で稼いどるんやな」


「そんなんじゃありません」


「まあええ、それやったらメールでも打っときや。そのかわり変なこと書くな。わいに見せてから送信せえ」


「分かったわ」


 初音はまずクラブのママにメールした。


『父親が急に倒れ、実家に帰らないといけなくなり、突然ですが、しばらくお休みをいただきます』


「これでいいでしょ」


「まあええわ」


 初音はママ宛のメールを送信した。その間にも、和樹にはどう伝えようかと必死に頭を働かせた。


『明日急にお仕事が入って、ご一緒出来ないことになりました。ごめんなさい。詩織』


「これでどう?」


「まあええわ」


 初音は、「詩織」とわざわざ名前を書いたことで、和樹が気付いてくれることを願って送信ボタンを押した。


「じゃあこれはしばらく預かっとくからな」


 焼津は初音から携帯を取り上げ、電源を切った。


 初音は車に二時間ほど乗せられて、山の中の人里離れた民家に連れ込まれた。外観は古ぼけているが、中はリフォームしたのか、案外きれいだった。


「前川、お前残ってこの女を見張っとけ。色々聞きたいことがあるからな。地下室があるから、そこに入れとけ」


 初音は驚いた。


「それって監禁じゃない。約束と違うわ」


「約束?何か約束したか」


 初音は恐怖に顔を引きつらせた。そして警察と聞いて大人しくついてきてしまったことを後悔した。こんなことだったら、どうなっても必死に抵抗すべきだった。


 初音は前川の手を振り払って逃げようとした。焼津が初音の足を払い、初音は床に倒れ込む。


「大人しくしとったらなんもせえへんが、逃げようとしたらタダじゃすまへんからな。前川、わいは片付けもんがあるからちょっと戻るが、よう見張っとけよ」


「ええ、アニキ」


 焼津が立ち去り、前川と初音の二人だけとなった。


「まあ、そんなに恐がらんでもええ。こっちに来て酒でも飲まんか」


 男がウィスキーを二つのグラスに注ぎ入れる。


「いらないわ」


「ほんならこのお香試してみよか。これ嗅いだら天国行けるで」


男はそう言って、ポケットから小瓶を取り出した。


「よしてよ」


 前川は初音は押し、瓶の中身を小皿に注ぎ、初音の顔の近くで火をつけようとした。


 初音は必死に抵抗して、男の持っていた瓶を奪い取り、壁に投げつけた。


「このアマ」


 男は初音の髪の毛を掴み、床に押し付ける。初音はなおも抵抗しながら、足をばたつかせた。


 その時テーブルの上に置かれた携帯電話が鳴った。男は「ちっ」と舌打ちをしながら、その電話を掴んだ。


「へいアニキ、大丈夫です。なんもしとりません。女は大人しくしとります。ええ、分かりました」


 男は不機嫌そうな表情で初音の腕を掴み、地下室へと連れて行った。


 初音は地下室に閉じ込められた。ノブを何回も回したが、鍵がかかって開かなかった。ドアを何回も叩いたが、何の反応も返ってこない。


 投げ込まれた服を身につけながら、狭い部屋を見渡した。薄暗い蛍光灯がついたその地下室は八畳くらいの大きさで、埃っぽくて、湿気がひどかった。もちろん窓はない。


 部屋の奥にベッドが一つあり、薄いマットレスが敷かれていた。 初音はようやくはっきりとしてきた頭の中で、状況を理解し始めた。そしてそれを理解すればするほど、絶望的な気持ちになっていった。


 金を返して断ち切れたと思っていたあの男との関係だのに、あのお香の件が表ざたになり、警察が調べているのだろう。だったらこの自分は、口封じとして消されてしまうかもしれない。


 せっかく幸せを掴みかけたかもしれないと思っていたのに、やはりそんなには甘くなかった。あんなことなどしなければ良かったと後悔しても遅い。


 初音は薄汚れたベッドにうつ伏して、電車の窓から見上げた六甲山の緑を思い出しながら、声を押し殺して泣いた。



 


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