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第28話

 関西の中堅スーパーでの輸入ウナギのテスト販売が好調だったことで、和樹はそのスーパーと本格的に取引する契約を結ぶことが出来た。


 考えてみたら、ニホンウナギとは不思議な生き物である。太平洋のどこかで産み落とされて、海流に乗って日本まで辿り着き、シラスウナギという稚魚として川を遡る。そしてそこで成長して再び海に帰り、太平洋の何処かで産卵する。その経路や生態もまだはっきりとは分かっていない。


 あの金も、日本から持ち出し、遠く離れた東南アジアで生まれ変わって日本に戻ってくる。その経路は和樹以外の人間には決して分からない。マネーロンダリングはウナギに似ていると和樹は思った。


 スーパーとの契約も加わって、今度は一度に二千万円の洗浄が出来そうだった。しかもその正規のビジネスでも利益が出て来た。そろそろ夏も近づいてきて、土用のウナギの需要がピークを迎える。そこで更に取引量を増やすことが出来れば、年内で全ての金を洗浄してしまうことが出来るかもしれない。


 和樹は再び山の中に二千万円の札束を取りに行き、フィリピンへと渡った。そして更にウナギの仕入れ先を広げ、今度も順調に両替とビジネスは成功した。


 神戸山手の市街地と港の夜景が見えるバーで、和樹は本城とくつろいで飲んでいた。


 和樹の会社は人を雇うわけにもいかず、輸送の手配から決済まで一人でやっていたから、毎日早朝から深夜まで働き詰めだった。久々にほっとできるひと時だった。


「ビジネスは順調に行っているようですね」


「おかげさまで」


「初年度からかなりの利益が出そうですね。輸出の方も上手く行っているようで、やはり目の付け所が良かったんでしょうね」


「まあラッキーだったようです」


「いえいえ、それは高橋さんの商才ですよ」


 本城に褒められると嬉しいが、後ろめたい気持ちも同時に起こった。


「ところで、うちの銀行としても高橋さんとはもっと取引を拡大したいと思いまして、ご融資させていただけませんか」


 和樹は取引を拡大して一気に金を洗浄してしまうには、確かに手持ちの資金だけでは不十分だと感じていた。


「そうですね、それはありがたい」


「支店長が積極的でしてね」


「ところで、いくらくらいまでなら可能ですか?」


「ええ、僕の感触では、公的助成金も利用すれば無担保で五千万円はご融資できると思いますが」


「五千万もですか」


「まあ、それなりの審査も必要ですが」


 和樹は五千万あれば、今までの洗浄分と合わせて一気に約半分の金を洗浄できると思った。


「分かりました、考えておきます」


「それでは今日は僕のおごりということで、もちろん経費で落とせますから」

 本城は愉快そうに笑った。和樹もつられて笑った。


 和樹が三成銀行に必要な書類を揃えて申請すると、すぐに審査が通って五千万円の融資を受けることができた。それをすぐにマニラ支店の口座に送金する。和樹は再び山の中に金を取に行く。五千万円は今までよりずっと重く感じた。


 今度は成田経由でマニラへ入った。正規のビジネスのおかげで、なんらビクつくこともない。フィリピンでも何の問題もなく入国出来、定宿としているホテルに無事着いた。


 新たに開拓した両替屋も使って、二日で二千万円をペソに換え、前に来たときに作っておいた、三成銀行とは別の現地の銀行口座に入金した。輸出の売り上げが入った時に、その金と混ぜて一緒に三成銀行マニラ支店の口座に振り込むためである。


 一つの店での両替は、二百万円を上限とした。もっと一度に多くの金額を換えることも可能だったが、それくらいに抑えておいた方が、より一万円札が拡散し、足が付きにくいと考えた。だから結構手間がかかり、一日一千万円の両替が限界だった。


 しかし前に国内で金を洗浄した時には一日で十万がやっとだったから、その百倍の効率である。そして後三日で両替を済ませ、ミンダナオ島に渡る予定だった。


 その日の朝も、朝食を取ってから部屋で待っていると、呼び鈴が鳴り、タクシーの運転手が迎えに来た。色黒で小柄な五十過ぎの中年で、最初に来た時にホテルのフロントで紹介された。


 日本にも出稼ぎにきたことがあるということで、片言の日本語もしゃべれる。


「キョウハドコイク?」


 和樹は地図を示しながらルートを説明した。今回も用心のため、ホテルから一回に持ち出す金額は二百万円にしている。だから両替屋とホテルを五往復する計画だ。和樹はその日一回目に換えるための二百万円をポーチに入れて出発した。


「いつも混んでるね」


「マニラノミチ、イツモコウネ。ウラミチカライクヨ」


 タクシーは混雑している大通りから路地に入った。そして小さな路地を何回も右や左に曲がりながら進んでいく。


 信号で止まった時に和樹は地図を広げ、「今何処?」と尋ねると、運転手は「ココ」と指をさす。


 確かに目的の両替屋に近づいているようである。しかし外の風景は、和樹が今まで見慣れていた近代的なきれいな街とは雰囲気が違っていた。


 タクシーは、両側に薄汚れた家が立ち並び、車が一台通れるか通れないかというような道に入り込み、一軒の店の前で止まった。


「ノミモノカッテクルネ」


 運転手は車を降りて店に入って行く。エンジンはかけたままだ。


 しばらく待っていると、運転手が大柄な男二人を連れて戻ってきた。和樹は嫌な予感がした。


 見知らぬ男二人は、一人は助手席に、もう一人は後部座席のドアを開けて、和樹の隣に座る。


「何のつもりだ」


「オトナシクシタホウガイイヨ」


 運転手は素知らぬふりで車を発進させた。和樹の隣の男は、胸ポケットから拳銃を取り出し、和樹の横腹に突き付けた。


 車は見知らぬ空き地に着き、和樹は車から引きずり降ろされる。


「バッグノオカネモラウヨ」


 一人の男が和樹からポーチを奪い取る。


「ホテルノキート、キンコノバンゴウ、オシエテモラウヨ。ソウシタラコロサナイデアゲルヨ」


 和樹は抵抗しても無駄だと観念して、財布から部屋のカードキーを取り出し、暗証番号も教えた。


「バンゴウウソダッタラコロスヨ」


「本当だ」


 運転手と一人の男がタクシーに乗り込み、空き地を走り去った。拳銃を持った男は背中に拳銃を突きつけながら、崩れかけた廃屋に和樹を押し込む。この男は終始無言だった。


 一時間後、その男の携帯電話が鳴った。しばらくボソボソと話してから、携帯電話を和樹に手渡す。


「キンコアイタヨ、カネハモラッテイクヨ。パスポートモモラウヨ。ワタシシッテルヨ、アノカネガキタナイカネダッテコト。ダカラポリスニハイワナイデヨ」


 男は和樹を外に連れ出し「ゴー」と言って拳銃で背中をつついた。和樹はゆっくりと空き地を歩き始め、途中から全速力で駆け出した。そして建物の陰に入って空き地を振り返ると、男は反対側にゆっくりと歩き出し、建物の向こうに消えた。


 和樹はどことも分からないスラム街を足早に抜けて大通りにようやく出て、タクシーを捕まえて銀行に向かった。幸い引出しカードなどは銀行の貸金庫に預けておいたので、無事である。そこで当面必要な金を引出してからホテルに戻った。


 鍵を失くしたとフロントで申し出ると、もう四回目の滞在なので顔見知りとなっているフロントマンがすぐに再発行してくれ、部屋に戻るとベッドの上にバッグの中身が散乱していて、セフティーボックスの中身は空だった。


 命があっただけでも良かったと、和樹は思った。あの金は仕方がない、もともと無かった金なのだから。それにビジネスの取引には影響ない。もともと支払い分は日本から送金済みである。ただパスポートを盗られたのは厄介だった。面倒な手続きが必要だ。


 和樹はとりあえず、パスポートといくらかの現金を入れたポーチを街でひったくられたことにして、警察には届けず、大使館でパスポートの再発行だけを申し出ることにした。


 予期せぬ災難にあったものの、翌日にミンダナオ島に渡り、無事商売の方は成立した。また市の要職についている人物も紹介され、もっと大規模な養殖施設への出資も持ちかけられ、ビジネスとしては大きな成果を出すことが出来た。あの二千万円は、もうどうでも良くなっていた。


 今回の事件は災難だったが、これを契機にあの金とは縁を切ろうと、和樹は考えた。


 もともと自分の退屈した生活を変えるきっかけが作りたかっただけだ。もうその役割は十分果たしている。それにあの金に頼らずとも、もう自分はやっていける。あの金に頼っている限り、常に罪の意識が重くのしかかる。もうあの金は山の中に朽ち果てるまで捨てておこう。


 和樹はそう考えると、急に気持ちが軽くなった。


 マニラでパスポートの再発行を受け、予定より三日遅れて帰国した。


 神戸に戻ると雨がしとしと降り続き、六甲山が煙って見えた。梅雨に入ったようだった。


 しかしうっとうしい季節の到来も、その先に輝かしい夏という季節がやって来ると思うと、和樹にはその雨空も愛しく感じることが出来た。だが、和樹の心の中に少しだけ空いている穴だけは埋めることは出来なかった。


 初音のことを少しだけ、思い出していた。


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