第26話
大阪の鰻専門店とは国産の半値という価格で折り合いが付き、注文を取ることが出来た。東京の店もその値段ならということで取引が成立し、試しにと輸入した三百キロのウナギは、試供分と合わせて全部はけて、少しばかりきれいなお金で回収することができた。
和樹はそれらの専門店への販売実績を武器に、今度は関西の中堅スーパーへの売り込みを図る。そこでもとりあえずテスト販売の契約を取り付けることができた。事業は順調に滑り出した。
和樹はもう一つのビジネス、つまり現地で買い付けた金額以上を入金するための口実、つまり輸出の方も手掛けなければならなかった。
こちらの方はまず最初に、ウナギ養殖に使う配合飼料に決めた。日本に輸入する以上、日本の食品安全基準にのっとった養殖方法が必要だしその方が高く売れる、と現地の養殖業者を説得すると、将来性を認めてくれて契約が成立した。飼料は、日本での飼育をお願いしている浜松の養殖業者の関係する業者から買い付けることができた。それに加え、輸送に必要な中古トラックも数台調達してほしいとの依頼もあって、約五百万円の輸出額を確保した。
いよいよ本格的なマネーロンダリングのスタートである。
和樹は夕刻、レンタカーを借りて神戸を出発した。今回もナビの電源は切っている。和樹はドライブマップを見ながら、前回と違うコースで金を埋めた場所へ向かう。
日がとっぷりと暮れ、真っ暗な山道を和樹の車一台だけが走っている。目印の標識を過ぎ、小さな脇道に入り込む。そのまま進むとダムに突き当たる道であるが、その途中で車を止め、他に車が無いことをもう一度確認してからガードレールを乗り越え、林の中に十メートルほど分け入る。
金を埋めた時にそのあたりの状況を記憶に焼き付けておいたので、真っ暗の中、懐中電灯の光だけが頼りだったが、すぐにその場所は見つかった。
目印として置いた大きめの石を横にどけて、持ってきたスコップで掘り進める。一度掘り起こされた地面は柔らかく、それほど深い穴でもなかったので、すぐに突き当たる。
一千万円ずつ束にしてビニール袋に入れておいたうちの一つを手早く拾い上げ、再び土をかぶせて石を置いた。十分ほどの時間でその作業を終えることができた。
和樹はビニール袋の土を手で払いのけてから、車のトランクに入れる。そしてUターンして元来た山道を遡る。神戸に着いた時には、既に日は上っていた。
和樹は部屋に戻って袋から一千万円の束を取り出して机の上に並べた。
金を最初に掘り出して家に運び入れた時もドキドキしたが、今の方が更に恐ろしい。
あの時はまだ金に手を付けていなかったし、たとえ発見されても言い訳は効くという気持ちがあった。それに、老後の保険に置いておこうと考え、持っていることだけで安心だと思っていた。しかし今は、持っていること自体が恐怖だった。
しかしこれをフィリピンに持ち出さなければ先は開けない。
和樹は金を鍵のついたアタッシュケースに入れ、その日の午後、関西空港に向かった。
今回持っていく現金は、前回の二百万円の五倍である。しかもやばい金である。だから今回はわざわざ商用ビザを取って行くことにした。きちんと仕事もしてくるのだから、怖気る必要はない。自分の胸にそう言い聞かせて、出国手続きをする。すると、今回も問題なく出国できた。
やはり香港経由でマニラに着いた。今度は入国手続きである。ここも申請が必要だった。前回は書類だけで通ったが、現金を見せるように言われてドキッとした。しかしアタッシュケースを開けて見せると、「ビジネス?」と聞かれたので「イエス、ビジネス」と答えると、「ビーケアフル」と言われただけで無事通過した。
第一関門は突破した。
和樹は前回泊まったホテルに宿泊した。ここのセキュリティーがしっかりしていることは、前回で確認済みだ。和樹はここを拠点に、まず持ち込んだ円の両替から始める予定であった。
一か所に全部持ち込むのはやはり避けて、前回の下見で目途を付けていた五か所に分散して両替することにした。面倒だが、現金はホテルの部屋のセフティボックスに保管しておき、一回両替するごとに持ち出すことにした。ひったくりなどに遭遇した場合に、最小限の被害に抑えるためである。もしこの金が盗まれても、警察に届けるわけにはいかない。
二日で一千万円の両替はすべて済んだ。和樹は緊張感から解き放たれてどっと疲れが出た。部屋でウィスキーをロックで飲みながら、このペソを再び円に換えて日本に持ち帰るだけでも良いような気がした。
しかし正規のビジネスもしておかねば、後々で厄介なことになるかもしれない。和樹はエネルギーを振り絞って、翌日タバオへ飛んだ。
商談は順調に進んだ。前回の五倍のウナギを買い付け、飼料と中古トラックの売り渡しもうまく事が運んだ。
養殖業者の男性から招待を受けて、彼の家に食事にも行った。家族みんなが歓迎してくれ、このビジネスが彼のためにもなっていることを確認し、嬉しかった。
スーパーが本格的に取り扱うようになれば、次はもっと取引を拡大していくことに同意した。そして彼は、周りの同業者にも声をかけてくれることを約束してくれた。
マニラに戻って、三成銀行マニラ支店にあらかじめ日本から送金していた一千万円をペソに換え、ウナギ養殖業者に振り込んだ。その後市内で両替した一千万円分のペソを入金する。
引き出してすぐに入金した格好になっているが、ウナギの支払いと、輸出した飼料とトラックの手付金ということで、名目は付く。ウナギ業者から更に代金として五百万円分がこの口座に振り込まれることになるが、それは輸出代金の残額ということならば問題ない。
すべて思惑通りに行った。次回は更に何倍かの金を一度に洗浄できると自信を深めた。
しかしそれ以上に、このビジネス自体がひょっとして成功するかもしれないと思った。マネーロンダリングのことなど忘れて、ビジネスの将来を楽しく想像した。
そして初音のことを思った。
和樹はマニラ湾に沈む美しい夕日の眺められるホテルのラウンジで、ドライマティーニを飲みながら初音に教えられたアドレスにメールを送った。
「仕事が順調に軌道に乗った。君の方はどう?もし約束を覚えていてくれるなら、今度会いたい。連絡をください 高橋和樹」
しばらくしてメールの着信があった。急いで開いてみると、しかしそれはエラーメールだった。アドレスを交換した時は確かに届いたはずだ。アドレスを変更したのだろう。
和樹は笑い出した。そりゃそうだ。あんな出会いで続くはずがない。
和樹は携帯を胸ポケットに戻し、マティーニを一気に飲み干し、二杯目を注文した。
「恋愛ごっこか」
日は水平線の向こうに沈み、マニラ湾は鮮やかな夕焼けに包まれ始めていた。




