第25話
土質から神戸市北西部に金が埋められていた可能性が高いことが判明して、大阪府警の岸本は兵庫県警の協力の下、捜査を進めた。この事件は既に警察庁の広域重要指定事件として、警視庁捜査三課の山下を中心として、全国で捜査協力体制が敷かれていた。
だが埋められていたと思われる地域の範囲が広すぎて、思うように捜査は進んでいなかった。しかも金はもう掘り出された後なのだから、跡形もない可能性もある。しかし、警察はもう一つの懸念、つまり銀行強盗で使用された拳銃の行方も追っていた。
銀行強盗に押し入った際に二挺の拳銃が使われた。山崎を銃撃戦の末射殺した時には、拳銃は一挺しか押収していない。つまりもう一つはどこかに隠されている。これが第三者の手に渡れば、新たな事件を引き起こす恐れがある。拳銃が金と同じ場所に隠されている可能性もあるので、警察はとにかく金が埋められていた場所を探すことにした。
一方山下は、防犯カメラの映像解析に集中していた。
幸いなことに、広島の商店街のドラッグストアでは自動釣銭機付のレジを使っていて、一万円札が使われた時間がかなり絞られた。金沢の鮮魚店でも、普段は店が終わってから夜間金庫に預けるところ、その日は支払いがあったので、お昼過ぎに一度経理の職員が銀行に入金しているので、午前中に使われたことが分かった。
二つの商店街の防犯カメラの映像をくまなく調べ直し、山下は気になる数人をあぶりだすことができた。
「確かにニット帽も眼鏡も違うが、靴が似通っているんじゃないか」
「確かにどちらも、三本線が入った白のスニーカーですね。しかしこのタイプはありふれていますから」
「眼鏡と帽子は手軽に持ち運べるから、着け替えるのには便利だ」
「そこまでやるでしょうか」
「眼鏡とニット帽と三本線の入ったスニーカー、普段ならごくありふれた格好でことさら特徴がないと思うかもしれないが、何千人かを映し出した二つの商店街の画像の中から、その三つが一致したのは、この五人だけだ」
「しかも年齢も近そうですね」
「この五人の顔を、更に画像修正で鮮明にできないか?」
「大丈夫です、やってみます」
「よし、それを各県警に送ってくれ。それと他の地域の防犯カメラの映像も、この特徴で絞ってくれ」
一歩一歩捜査は進展している。しかし人物が特定されたとしても、身元を割り出すにはまだまだだと、山下は認めざるを得なかった。
和樹は本城の話を思い出し、やはり不安を感じ始めていた。
確かにあんな大勢の中から、あの一万円札を使った人物などを特定するのは無理だと思った。仮に自分に使用の嫌疑がかけられても、知らぬ存ぜぬで言い逃れもできるかもしれない。指紋も残していない。
万が一自分が使ったという確かな証拠を示されたとしても、今度はその入手先で言い訳が可能だ。例えばパチンコ屋で換金したとか、いざとなったらポストに投げ込まれていたとかだって言えるかもしれない。
しかし何より危険なのは、この金を押し入れの中に隠し持っているということだ。使った現場を押さえられなくても、何かの容疑で家宅捜査されて見つかってしまったら、さすがに言い逃れはできない。逆にこの金さえ見つからなければ、何とでも言い訳ができる。
和樹はこの札束を、再びどこかに隠すことに決めた。そして海外へ持ち出すときだけ、そこから取り出せば良い。
しかしいざ隠そうと思っても、どこに隠していいか分からない。銀行の貸金庫やコインロッカーなんかもってのほかだ。
強盗犯の山崎が、あんな山の中に隠した気持ちがようやく分かった。やはり誰にも見つかることのない山の中が一番だ。和樹は原付にまたがり、有馬街道を北へ走った。この金を掘り出した場所がどうなっているかを確かめに行こうと考えた。
有馬街道は、神戸の市街地からすぐに山の中に入る。谷間の道を走っていると、どんな山奥につながっているかと思えるような道だ。だが途中の長いトンネルを抜けると、鈴蘭台の住宅群が左手に広がっている。そこからは神戸電鉄に沿っていくつかの住宅地を結びながら有馬温泉に至る。
和樹の家があったのは、鈴蘭台よりも少し北の方だった。そして有馬街道はそのあたりで枝分かれしていて、枝分かれした道はより深い山の中へと続いている。その途中に、あの金を掘り出した林道があった。
有馬街道に何故かパトカーが目立ったような気がしたが、この県道まで来ると、さすがに車は殆ど見かけなかった。和樹はそれでも慎重にバイクを走らせ、他の車が来ないのを確認して林道に入った。
金を掘り出した時とは季節が移り変わっていた。
あの時は木々の葉も落ち寒々とした山の風景だったが、初夏の今、木々の緑は鮮やかで、森の奥にも眩しい光線がシャワーのように注ぎ込んでいた。落ち葉に覆われていた地面にも草が生い茂り、目印に置いた石を隠していた。
林の奥に生い茂った草を踏みながら分け入ると、見覚えのある場所に出た。そこも草が落ち葉を隠し、明らかにあれから誰も来ていないようだった。
和樹はここに一度金を戻しておこうかと考えた。しかし、自分が偶然これを見つけたのは、この道が山へ登るハイキングコースの入り口となっていたからでもある。ならば、もっと安全な場所、そう、あの拳銃を埋めた場所の方が適当だ。和樹はその場所を後にし、バイクで更に県道を進んだ。
バイクを道端に置き、茂みをかき分けて獣道を進む。しかし目印を間違えたようで、目的の木は見つからなかった。そう言えば、もう少し先のカーブを曲がった辺りだったことを思い出す。
しかしあの場所も、茂みをかき分けて入らなければならないのは同じだから、県道から一万円札の束を運び込むのはやっかいだなと思った。それに、バイクを道端に止めておかねばならないから、目立つ恐れもある。
やっぱり別の場所を探そうと茂みをかき分けて県道まで下りてきたとき、バイクの横にパトカーが止まっていて、二人の警官がバイクを見回していたので、和樹は息をのんだ。
「君のバイクか?何してる」
和樹はとっさに言い訳を探した。
「急にお腹が痛くなりまして」
「そう、ところでこの近所にお住まいですか?」
「まあ近くですけど」
「免許証見せて」
和樹は免許証を素直に渡した。住所はまだ変えていなかった。
「時々この道通るの?」
「いや滅多には。でも今日は休みで天気もいいし、久々にツーリングでもと思って」
和樹は動揺を悟られないように必死に平静を保った。
「この車、この近くで止まっていたりするのを見かけなかった?半年くらい前なんだけど」
警官は和樹に車の写真を見せた。それは軽トラックだった。
「さあ、覚えていないです」
「半年も前だし、ありふれた軽トラックだからな」
一人の警官がもう一人に話しかけた。
「何かあったんですか?ひき逃げとか」
和樹は思い切って尋ねてみた。
「いや、お時間をとらせてすまなかった」
警官はパトカーに乗り込み、赤色灯を付けて走り出した。
和樹はパトカーが視界から消えた途端体が震えだした。あの写真に写っていた軽トラックは、和樹があの日に林道で見た車ではなかったか。それがどうして、警察がこんな近くで探しているのか。
和樹はUターンして有馬街道まで出て、市街地に向かって走りながらも、まだ動揺は収まらなかった。
どうして警察はここまでたどり着けたのだろう。ひょっとして既に自分が捜査範囲に入っているのだろうか。
アパートに辿り着いた和樹は、冷蔵庫から缶ビールを取り出して一気に飲み干し、ふらついた頭の中で必死に考えようとした。
どうしてあの辺だと分かったのだろうか。和樹はもう一缶開けたビールを飲みながら、少し冷静さを取り戻して考えた。
一万円札を使った経路から分かるはずがない。東京・大阪・金沢・広島・仙台・福岡など、神戸とは離れた場所でしか使っていなかったから、そこから神戸にまで辿りつくのはどう考えても不可能だ。
ならば、自分が既にマークされているのだろうか。しかしそうであれば、あの警官たちは、もっと何かを質問してきただろうし、免許証をもっと詳しく調べただろう。あれは単なる通行人に対する聞き込みに過ぎなかったように思える。
和樹は徐々に頭を働かせながら、一万円札の使用経路からではなく、強盗犯の足取りからあの辺が割り出されたのではないかと考えた。
強盗犯があの人質籠城事件を起こすまで、多分盗難車か何かで移動していたのを掴んで、その足取りを追っていたにちがいない。それならばまだ自分の所まで繋がっているはずはない。和樹はそう考えて一安心した。
しかし警察の捜査力は、和樹の想像以上だった。いずれ空になったバッグが発見されてもおかしくない。それに、拳銃も発見されるかもしれない。しかし発見されたとしても、この金さえ見つけられなければ、自分と結び付けるものは何もない。早くこの金を使い切ってしまわねば。
和樹は翌日、押し入れから金を取り出し、レンタカーを借りて西へ走り、兵庫県と岡山県の県境の誰も訪れることもない山中にそれを埋めた。




