第23話
改稿しました。
「詩織ちゃん、この壺も売ってきてね」
初音は、笑顔を無理やり作って「はい」と頷いた。
この教団では「詩織」という名を使っていた。詩織は前に勤めていた保育園で預かっていた三歳の女の子の名前だ。
詩織ちゃんは少し発達の遅い子で、周りの子供たちと一緒の行動が難しかったので、初音は特に彼女の世話を焼いていた。でも目が大きくて色白の可愛い女の子だった。その「詩織ちゃん」が今、愛想笑いをしながら、純朴なお年寄りに、高価な壺を売りつけている。
「はい、お疲れ」
分団長がその日の日当を手渡す。今日は五人の客に壺が売れたから七万五千円。多い方だ。不況のせいで以前より信者が随分と減ったということで、かつては月に何百万も稼いでいた教団員もいたということだが、今では、この分教会一の稼ぎ手と言われる詩織でも、月に百万には届かない。
もちろん普通の仕事に比べれば何倍もの高額だから、ちゃんと蓄えていけば、この仕事から早く足を洗うことも出来るだろう。しかし、ここまで良心を捨てて堕ちてしまったら、少しぐらいのきっかけではやり直すことは出来ないだろう。
それでも初音は、和樹との出会いを、時々初恋の日のように思い出して、それが唯一の手がかりのような気がした。
「詩織ちゃんご指名、三番の部屋に行って。やーさんだけど、よろしく」
やくざと聞いて、初音は身振いした。
「やくざは苦手なんですけど」
「そんなこと言わんでよ」
もちろん信者の選り好みなどは出来ない。初音は仕方なく三番の個室に入った。
腕に鮮やかな刺青を入れた男が、ソファの皮椅子に座っていた。
「おう、別嬪さんやな。早速お願いするわ」
初音は壺をテーブルに置き、お香を取り出して火をつけようとした。
「そんなしんけくさいことせんでええから」
男は身を乗り出して、「いくらで売ってもらえるんや」と尋ねる。
「これは販売ではなく、信者様のご寄付ですから、こちらから『おいくらくらい』とかは申しません」
「面倒くさいことはええねん、さっさと済まそうや」
客は初音の隣に座りなおし、10万円を差し出した。
「このお香も付けたら、もっと信心深くなるで」
客は小瓶を取り出し、ふたを開けて何かの粉末を皿に注ぎ、火をつけた。
初音はその煙を吸い込んだ瞬間、今まで感じたことのない強烈な快感が込み上げてくるのを感じた。そして、そのうち訳が分からなくなってきた。
「ああっ」
初音は男の胸に崩れ落ちた。
「どうやった?これ覚えたら、もう忘れられへで」意識が遠のいた初音は、その声をどこか遠くから聞こえてくるように感じていた。
一週間後またあの客が来て、初音を指名した。初音は部屋に行く前に、もう体中がムズムズしてくるのを感じていた。
「どうやった、またあのお香焚いたろか」
初音は拒否する素振りを見せたものの、体はそれを拒めない。初音は目を閉じて、その男に催促する。
「やっぱしな」
男は期待通りの行動に満足し、お香に火をつける。
その日も初音は、何度も気が遠くなるような快感を感じた。
「ちょっと付き合ってくれへんか」
ソファでぐったりしている初音に男は声をかけた。
「分団長には話しつけてるさかい」
初音は頷いた。
ロッカーで着替えを済ませてから教会の外に出ると、男が煙草を吸いながら、車の前で待っていた。
「乗りな」
男は煙草を投げ捨て、初音を車の助手席に押し込んだ。
「どこへ行くの?」
「ええとこや」
初音は不安に思いながらも、もうあの快感からは逃れられなくなっていた。
連れて行かれた先は、港の近くにある古ぼけた小さなビルの一室だった。男は鍵を開けて小さな事務室のような部屋に入り、電気を付け、初音を招き入れる。部屋には事務用デスクと壁には鍵のついたロッカーが並んでいた。
男は一つのロッカーの鍵を開け、中から小瓶を取り出した。
「これや、これが欲しいんやろ」
男は小瓶を机の上に置いた。初音は恐る恐るその小瓶を手にした。
「もう一回試してみるか?」
初音は初め躊躇したが、首を縦に振る。小瓶の蓋を開け粉を皿に盛り、火をつける。その瞬間、またあの快感がよみがえってくる。
「ああっ」
初音は再び快感の虜になり、何度も意識が遠のいていく。
男は煙草を吸いながら、まだうつろな表情の初音に声をかけた。
「このお香、一瓶三万円でどうや?」
初音はコックリと頷く。
「それと、これ他の女の子に売ってくれたら一瓶あたり一万円やるけど、どうや?」
初音は再び頷く。
「これで商談成立やな。携帯の番号教えてや、後でこっちから連絡する」
初音はメモ用紙に自分の電話番号を書いた。
三万円払って瓶を持ち帰った初音は早速それを焚いてみて、再び快感の虜となる。多分ヤバいお香なんだろうとは分かっていたが、もう後戻りできない。