第22話
三月に目標の三百万円を両替し、家も予定していた額より大きい一千二百万円で売れ、姉夫婦の出資の約束も取り付け、元町商店街の海側に事務所兼自宅として新たにアパートを借り、和樹はいよいよ会社設立に取り掛かった。
専門家にもアドバイスを受けるため、今後メインバンクにと考えている三成銀行の三宮支店に、家を売った金を入金したのを手掛かりに、相談を持ちかけた。
その時和樹の応対をしたのは、この四月に東京から転勤してきたという本城という行員だった。本城は人当たりが良く誠実そうな人物だったので、和樹は信頼して相談できると思った。
「このたびはご入金ありがとうございました」
本城は和樹を応接室に通し、タオルと通帳ケースの粗品を手渡しながら礼を言った。
「ところで、会社設立をご相談とのことですが、どんな会社ですか?」
年齢も和樹と同じくらいだと思った和樹は、自分がかつて商社で働いていた経歴を交えながら、小規模だが今までに他社が扱っていないような魅力的な商品を輸入して販売する会社の構想を、本城に熱っぽく語った。
「神戸は貿易の伝統がありますから、きっといい会社になると思います。私どもともぜひお取引をお願いします」
和樹は本城に紹介してもらった司法書士に会社設立の手続きを任せ、ビジネスの構想をじっくり練ることにした。
もちろん「本業」はマネーロンダリングなわけだが、最初に考えたように、まず初めは小規模な実際の取引を行って信用力を着け、また海外での金のやり取りに慣れてから、大規模な両替に移行する。しかも両替で足がつく恐れの低い地域はどこだろうかと考え、やはり東南アジアが良さそうだと思った。
本業では儲けは無くても損さえ最小限に抑えれば良いのだから、かなり良心的な取引ができるだろう。それに適した商材は何か。
そう考えて、和樹の頭に「ウナギ」が閃いた。それならば商社時代にプロジェクトを計画した経験もあるし、何よりもツテがある。
和樹はウナギを扱うことに決め、パソコンのファイルから当時のプレゼン資料を呼び出した。
和樹は当時交渉していたフィリピンの業者に、試しに少量を輸入したいとメールで交渉を持ちかけた。そしてそれと共に、鰻専門店を訪問するため上京した。
昼休みが終わり、店が少し落ち着く時間帯を狙って店に飛び込む。
「こんにちは、高橋通商の高橋と申します」
和樹は真新しい名刺を取り出して、店の主人に手渡す。
「以前、もう三年くらい前になりますか、丸栄物産の社員としてお伺いしたことがあります」
「ああ、そう言えば見かけた顔だね。会社変わったの?」
「はい、独立しまして」
「ほう、若いのに立派だね。でっ、前と同じで海外産の話?」
「はい」
「あの時はうちもそんなに乗り気ではなかったからね。でもこう高くなっちゃったら、本気で考えないとね」
「ええ、そう思いまして、ご案内にうかがいました」
「中国産?」
「いえ、中国でもウナギが不漁でしてね、今手がけているのはフィリピン産です」
「どうなの?」
「ミンダナオ島では天然ウナギも捕れるんですが、稚魚から養殖している業者がいて、管理された環境で育てますから、ニホンウナギ並みに脂がのっていて、おまけに安いですから、一度試していただければと思って」
「そうだね、今年の土用は確実に品薄になるから、いまから色々と試しておいた方がいいかもな」
和樹は東京と大阪のいくつかの鰻専門店を巡り、とりあえず試食用に使ってもらう約束を取り付けた。それと同時に、浜松に寄り、生きたまま輸入したウナギを飼ってもらう生簀も手配した。輸送と通関の業者も決め、和樹は自分にこれほどの情熱と実行力があるのに驚いた。
和樹は三成銀行の三宮支店を再び訪れ、マニラ支店に口座を開設した。
「いよいよですね。フィリピンでどんな取引をなさるんですか?」
「ウナギです」
「ほう、フィリピンにもウナギがいるんですか」
「ええ、結構美味しいですよ。それに安いし」
「それはいい。私も食べてみたいですね」
「今度試しに取り寄せたウナギを大阪の専門店で料理してもらいますから、よろしかったらその時にご招待しますよ」
「えっ本当ですか。楽しみだな」
和樹は何度かこの銀行を訪れているうちに、本城と仲良くなっていた。
和樹はいよいよフィリピンに渡ることにした。
今回は、きれいな金だけを持っていく。二百万円を持っていき、出入国時の税関での申告方法やその検査方法、そしてフィリピンでの両替方法、そして三成銀行マニラ支店での現地通貨の入金などを予行演習してみるつもりだった。
すべての準備を整えて明日出発となった夜、和樹はこれからのことを考えると、緊張と興奮で、なかなか眠りに着けなかった。
気持ちを鎮めるために窓を開けて外を眺めると、そこには、低いビル群の向こうに、ライトアップされたポートタワーがそびえていた。それを見つめながら、なぜか初音のことを考えている自分に気が付いた。