第19話
「係長、やつの指紋が出ました」
大淀警察署の若い刑事が、岸本係長に勢い込んで伝えた。
「どっちのだ?」
「山崎、中田の両方です」
「その車はどこにあったんだ?」
「尼崎の工場の駐車場です」
岸本は、山崎が銀行から金を奪ってから立て籠もり事件を起こすまでの足取りを追っていた。
山崎は、奈良・和歌山・京都・滋賀と、近畿一帯を広範囲で移動していた。そして 山崎を警官が発見したのは梅田から阪急電車で二つ目の「十三」駅前の簡易宿舎で、人質をとって立て籠もったのが尼崎だった。山崎が電車やバス・タクシーで移動したとは考えられなかったし、どうやら山崎をかくまっていた共犯者もいないようである。ならば山崎が移動手段とした何かがこの辺にあると踏んでいた。
「やっぱり盗難車か」
岸本は、銀行強盗前後に発生した車の盗難事件を、まず洗い出すことにしていた。
「どんな車だ」
「軽トラックです」
「ナンバーからNシステムで移動経路を割り出してくれ」
「はい、既に手配済みです」
「よし、ご苦労」
岸本は車の発見現場に向かった。
既に制服警官がその車を保存していて、鑑識課員が軽トラックの運転席に入って調べていた。
「指紋以外の遺留品は?」
「空になったコーラの空き缶と煙草の吸殻がありましたので、既にDNA鑑定のため、科研に送っています」
「それ以外は?」
「はい、荷台にスコップが一つ」
鑑識課員が工事用のスコップを見せた。
「スコップもすぐに送るんだ」
「了解」
「この車に乗り換えて逃走し、途中で中田を下ろして山崎一人でずらかったということやな」
「多分そうでしょうね」
若手の刑事も頷く。
大淀警察署で捜査会議が開かれていた。
「車はダイハツのハイゼット、九十四年式で、幌はつけられていません。ナンバープレートは偽造。昨年九月二十八日に、大阪市生田区の土建業者の駐車場から盗まれています」
「犯行後の乗り換え用として、あらかじめ準備していたということやな」
「そう思われます」
「移動経路は」
「はい、Nシステムその他による移動経路のご説明をいたします」
ホールの前面に張られたスクリーンに、近畿地方の地図が映し出された。
「銀行が襲撃された十月一日以後の足取りで、判明した経路です」
岸本はメガネを取り出してかけた。
「まず十月二日、阪神高速環状線を経由して午前七時五分、十五号堺線住吉出口で高速を降りています」
「中田を送り届けたということか」
「その後、経路は不明ですが、午後三時過ぎ、国道二号線芦屋を通過しています」
「芦屋?大阪から西へ向かったわけか」
「午後七時半頃、西宮北インターチェンジから中国自動車道に入り、豊中から名神、吹田から近畿自動車道、東大阪ジャンクションから十三号東大阪線を経て第二阪奈道路に入り、奈良に向かっています」
「一度西に向かい、神戸辺りから中国自動車道まで六甲山を抜けて、大阪へと引き返してきたということやな」
「そう考えられます。十月三日には、奈良県大和郡山市から、国道二十四号線を通って和歌山に向かっています」
その後の移動経路は、山崎が立ち寄ったホテルや簡易宿舎の足取りと一致した。
「犯行翌日に神戸に立ち寄ったのが、不思議やな」
岸本は呟いた。
「ところで、煙草の吸殻の鑑識結果は?」
「はい、吸殻に付着していた唾液が、山崎のものと一致しました」
「スコップの方は?」
「はい、スコップは車を盗まれた土建業者がもともとトラックの荷台に置いていたものでしたが、スコップに付着した土を今科研で詳しく分析中です。まだはっきりとは言えませんが、土建業者が最近請け負って工事をしていた大阪市街地の土質とは、明らかに異なる土が付着していたというところまで判明しています」
「別の土が付いていた?」
岸本は、山崎が逃走経路のどこかで、このスコップを使って金をどこかに埋めたのではないかと閃いた。そして、それを掘り出した人間が金を使っているのではないだろうか。
その人物が何者かは全く見当がつかない。山崎の知りという線もまだ捨てきれないが、もし山崎と全く関係のない人物であったら、それこそ人物を特定するのは至難の業であろう。
岸本は、山崎の逃走経路をもう一度見直した。
「一度神戸に向かい、わざわざ六甲山を超えて北から大阪に戻ったというのが、不思議やな」
中国自動車道の西宮北インターチェンジは「西宮」ではあるが、六甲山の海側にある市街地ではなく、六甲山の裏側に位置している。神戸市の北端、有馬温泉のすぐ隣りである。
六甲山の海側市街地から西宮北インターチェンジに至る経路はいくつかある。もっとも時間的に早いのは、新幹線の新神戸駅付近から六甲山を貫く新神戸トンネルを抜けるコースである。
六甲山ドライブウェイに入り、六甲山頂経由も考えられる。ここは有馬温泉に抜けるドライブコースとして、観光客にも人気の道である。
「山崎は神戸に土地カンがあるのか?」
「以前、神戸に住んでいたことがあります」
岸本は神戸の地図を見ながら、市街地から北へ向かう道路を見比べた。
「この道はどうや、お前神戸出身やったな」
「ええ」
声をかけられた若い刑事は地図を見ながら
「有馬街道といって、三宮からもう少し西に行った平野という所から有馬温泉に抜ける道です。神戸電鉄という私鉄が並行して走っています」
「交通量は多いのか?」
「ええ、あの辺は山を切り開いた新興住宅地が多いですから、朝夕のラッシュはかなり混みます。ですが、谷間に沿って走る山道っていう感じですね」
「山崎は、土地カンのある神戸まで、金を隠しに来たんやないか」
「確かにその可能性はありますね」
「隠す場所は当然人気のないところや。山の中に掘って隠すんが一番や。死体遺棄事件を見ても分かるやろう。ならばトンネルはもちろん、観光客の多い六甲山も避けるやろう」
「すごい飛躍した推理ですね」
しかし科研での詳しい土質分析の結果から、その土はまさしく、岸本が推測していた通り、有馬街道の西に位置する、六甲山から兵庫県の中部に連なる、丹生山系と呼ばれる一帯の土質に近いことが分かった。
岸本は、兵庫県警の応援を仰いで、この一帯の捜査に取り掛かった。




