第15話
翌朝の目覚めはさわやかだった。和樹の傍らには、可愛い寝顔でスヤスヤと眠っている詩織がいた。和樹はルームサービスで朝食を注文する。ボーイが鳴らしたチャイムで詩織は眼を覚ます。
「おはよう」
「もう起きていたの」
「朝食を頼んでおいたから、一緒に食べよう」
「私シャワー浴びて来るね」
和樹はボーイからワゴンを受け取り、テーブルの上に並べる。ポットのコーヒーを注ぎ、バスルームから聞こえてくるドライヤーの音を聞きながらゆっくりと飲む。やがて着替えとメイクを済ませた詩織が、バスルームから出てきた。和樹はバスローブのままである。
「あれ、もう着替えちゃったの?」
「馬鹿」
和樹は彼女のカップにもコーヒーを入れる。
「私、言っておくけど、誰とでも寝るような女じゃないわよ」
「じゃあどうして僕と?」
「まあ、ちょっと気になったからかな」
「僕だって、見境なく女の子をくどいているわけじゃない」
「じゃあどうして?」
「昔の彼女にちょっと似ていたからかも」
「馬鹿」
確かに詩織は、昔付き合っていた彼女と何となく雰囲気が似たところがあった。顔というより体全体のラインが、何故か昔の彼女を思い出させた
「今日は休みだって言っていたよね。夕方までデートしないか」
「デート?」
詩織は怪訝そうな顔をした。
「お茶飲んだりショッピングしたり」
「何か恋人みたいね」
「まあいいじゃないか。一日ぐらい」
「いいわよ。暇だし」
「よし、食べ終わったらデートに出発」
和樹は楽しかった。女性とこんな会話をするのも何年か振りだった。
二人は御堂筋から心斎橋筋に入り、ブラブラとウィンドショッピングを楽しんだ。和樹がアクセサリーでも買ってやろうかと言ったが、詩織は見るだけでいいと断った。
戎橋まで歩き、橋の上でしばし立ち止まり、グリコの看板を眺めた。
「私、いかにも大阪っていうこの景色が好きなの」
「僕はこんなごちゃごちゃした景色は好きじゃないな」
「へー、どうして?」
「僕が神戸生まれだからかもしれない」
「へー、神戸なんだ。神戸の人って大阪が嫌いなの?」
「神戸の方がお洒落だと思っているからかもしれないね」
和樹は自分の素性の一部を漏らしてしまったことを少し後悔したが、ゆきずりの女でしかない詩織だから、まあいいかと思った。
「私、神戸も大阪も一緒だと思っていた」
「君はどこ出身なの?」
「私は九州、九州は宮崎」
「宮崎か、だったらタイガースじゃなくてジャイアンツじゃないか」
「私野球興味ないから」
「僕もそれ程ね。でも関西にいたら、タイガースファンじゃなければやっていけない」
「確かにそうね。タイガースが勝った日には店も盛り上がるし、野球の話しておけば、結構間をもたせられるから」
「そんなものかもしれないな。でもどうして宮崎から大阪に出て来たの?学生とか?」
「違うわ」
彼女は小さなため息をついた。
「もうあのバイトは辞めようと思っている」
和樹は驚いて彼女の顔を見た。
「どうして?」
「今の生活が楽しくないっていう訳じゃないけど、このまま続けるのもね」
「まあ、そうかもしれない」
和樹も同じような気持ちだった。
「専門学校行って、保育士の資格でも取ろうと思うの」
「ふーん」
「今も昼間は保育園で働いているんだけど」
「保母さんなんだ」
和樹は少し驚いた。
「ううん、正確には保育補助者って言うんだ。やってることは保育士と殆ど一緒だから、子供たちからも保母さんって言われているけど」
「資格取ったら給料上がるとか?」
「それもあるけど、今働いているところは無認可保育園だから、ちゃんと保育士の資格を取って、認可保育園で働きたいの」
「案外真面目なんだな」
「もともと真面目よ。バイトの給料だって、学費のために貯金もしているし」
和樹は詩織の横顔を見つめた。寒風に頬を染めたその横顔は、幼く見えた。そして一億七千万円の使い方を考えている自分との距離を感じた。きっとこの詩織の方がまともだ。
「店辞めてからも、時々会えないか?」
「えっ」
「いや、何となく。嫌だったらかまわない」
和樹は不意に飛び出した自分の言葉に驚いた。しかし、この娘と自分の間に、何か共通するものがあるのを感じた。
「ええいいわ。でもどうやって?」
「メールアドレスを教えてくれないか、連絡するから」
「いいわよ。でもあなたのもよ」
「ああ当然だ」
「それと本名」
「分かった。高橋和樹、本名だ。君は?」
「横沢初音」
「僕の事業が軌道に乗ったら連絡する」
「それっていつぐらい?」
「まだ分からないけど、一年以内には軌道に乗せるつもりだ」
「分かったわ、私もその間頑張って勉強しておく」
「なんか不思議だね」
「そうね、恋愛ごっこやってるみたい」
「ごっこか」
「ごっこね」
二人はメールアドレスを交換した。
「じゃあここで」
「バイバイ」
二人は戎橋で別々の方向へと別れた。
和樹は、本名まで伝えてしまったことに自分でも驚いた。でも、そうすることにより、もう後戻りできないと改めて思った。
確かに自分のやっていることは犯罪かもしれないが、別に誰かを傷つけたわけでもない。享楽のためだけに使うのではなく、今までの自分の生き方を作り変えていくために使うのなら、少しぐらい許してくれるのではないか。
誰に許しを請うわけでもないが、和樹はその思いを益々強くした。




