第12話
三成銀行市ヶ谷支店では、十一月初旬、年末の特別警戒に向けて、強盗に襲われたという想定の防犯訓練が行われていた。
先月大阪の支店で実際起こったわけなので、いつもより真剣に行われていた。
「本城君、非常ベルはちゃんと押せただろうね」
「はい支店長、大丈夫です」
「よかろう。中津支店でも金は奪われたが、お客様や行員に怪我もなく、被害は最小限に抑えられたと言ってもいいだろう。これも日頃の訓練の成果だ。まあ、二億円はちょっとでかかったけどね。ははは」
日本のメガバンクの一角を占める三成銀行ならば、二億円ぐらいどうっていう額ではない。
「とにかくコンビニ強盗と一緒で、適当な金を掴ませて、早く追い出すのが一番だ。ただし、渡す金にちゃんと記番号を記録しておいた金を紛らせておくこと」
支店長がその手順について再度反復してから訓練を終えたが、中津支店に同期の小林がいる本条は、事件後に彼と会う機会があってその恐ろしい体験を聞かされていたから、本当に用心しないといけないと思った。
しかし、共犯者から回収した二千万円と、死亡した犯人が持っていた一千万円弱以外の金は、どこに行ってしまったのだろうか。
もし共犯者がいるならば、死んだ山崎から横取りした金を悠々と使うだろう。そうなれば、いずれ近いうちに、記番号が一致する札がどこかで見つかるはずだ。しかし、警察の発表によると共犯者はいないようだから、あの金はどこかで眠っていて、その可能性はかなり低いだろうと本城は考えた。だが、本城の予想に反して、その札は思わぬところから見つかった。
防犯訓練から三日後の月曜日、窓口が閉まった頃に本城が外回りから帰ってくると、店の中が妙にざわついていた。
「亜由美ちゃん、どうしたの?」
本城は窓口の中山亜由美に尋ねた。
「ええ、問題のお札が……」
「問題のお札って?」
「本城君、ちょっと来てくれ」
支店長が本城に声をかけてきた。支店長室に入ると、支店長代理・次長、そして出納係の他、現金輸送の警備会社の警備員など数人が集まっていた。
「本城君も聞いておいてくれ」
本城はまだ若手とはいえ、支店長に高く買われていた。
「実は今日、都営地下鉄の駅から午前の便で輸送されてきた売り上げの中に、中津支店で奪われた一万円札が一枚見つかった」
「えっ、本当ですか」
「ああ、奇跡と言うのかね。うちのお金が伝書バトのように戻って来るなんてね」
「どこの駅からですか?」
「飯田橋駅です」
警備員が答える。
「午前の便と言うことは、今日は月曜日だから、先週の金曜日の午後から今朝の午前十時までに使われたということですな。それで一枚だけだったのか」
「はい次長」
出納係が答える。
「警察に届け出よう。しかし年末に向けて忙しい時に、やっかいなことになったな。まあ、元々うちの金だから仕方がないが」
支店長が困ったように嘆く。
「ところで本城君、今の仕事はなんとかケリがつかないか?」
「はい、後は契約だけですから」
「じゃあ悪いが、警察の対応は君にお願いするよ。まあそんなにかからないとは思うが」
「わかりました。では私が窓口となって対応しますので、発見された時の状況などを担当者に詳しく聞いておきます」
「頼んだよ」
支店長は本店の常務に連絡してから、警察に通報した。
三十分もしないうちに警察がやって来た。支店長が通用口から招き入れ支店長室に通す。
「警視庁捜査三課の山下です」
一人の私服刑事が警察手帳を見せる。
「支店長の田中です」
「見つかったという一万円札はどこですか」
支店長は、ビニール袋に入れた札を本城に持ってこさせた。刑事は手袋をはめてその札を取り出して別の袋に入れ、もう一人の私服刑事に手渡した。
「見つかった経緯をお話しいただけませんか」
「はい、わかりました」
ここからは本城が、みんなから聞き出した情報をまとめて刑事に話した。
「すると、都営地下鉄飯田橋駅で先週金曜日の午後から今朝十時頃の間に使われたということですね」
「一万円札はつり銭には使用しませんから、他の紙幣と違ってほぼ全部持ってきますので、まず間違いないと思いますが、駅で確認して下さい」
「途中で他の売り上げと混ざるということはありませんか?」
「それはありません。うちの支店と契約している駅には、各駅ごとに専用のケースを用意していて、向こうで受け取るときに警備会社の担当者が金額を確認後、施錠して引き渡されます。鍵は駅とうちの銀行にしかありませんので、途中で別の回収分が混じることはありません」
「わかりました。この一万円札はお預かりしますが、よろしいですね」
「はい」
「今後、何回か事情をお伺いすることになると思いますが、よろしくお願いします。それからこのことはまだ公表しないように。他の行員さんや警備会社の人にも念を押しておいてください」
「はいわかりました。これからは私本城が担当しますので、よろしくお願いします」
本城は二人の刑事に自分の名刺を手渡した。
窓口の亜由美が、着替えを済ませて残っていた。
「食事でもして行かない?」
本城が彼女を誘う。
「いいわね、何食べる?」
「居酒屋でもいい?」
「ええ、いいわよ」
「仲がいいね。結婚式にはちゃんと招待してくれよ」
支店長が冷やかす。
「もちろんです」
二人は来年の春に結婚が決まっていた。
本城と亜由美は、よく仕事帰りに立ち寄る大衆居酒屋に来ていた。
本城は難関と言われる国立大学卒で入行五年目、市ヶ谷支店は入行してから二つ目の支店であり、今は融資係をやっている。高校時代はラグビーをやっていただけあって体格はガッチリしていて、さわやかなスポーツマンらしい性格は、上司や同僚からも好かれていた。
中山亜由美は、女子大を卒業後すぐに市ヶ谷支店に配属されて二年目、艶やかな長いストレートの黒髪が男性の目を引き付ける、お嬢様タイプの美人である。本店営業部部長の娘さんだ。
本城が市ヶ谷支店に配属になってすぐ付き合い始めたが、同僚たちはやっかむというより、「あの二人だったらお似合いだね」と祝福するしかない雰囲気だった。
「しかしびっくりしたね。あんなことがあるなんて」
本城は焼き鳥を肴に二杯目のビールを飲みながら、亜由美に話しかけた。亜由美は一杯目のチューハイを飲んでいる
「そうね、本当に偶然よね」
「共犯者がいたんだろうか」
「でも死んだ犯人は、捕まる前にいくらかは使っていたんでしょ」
「ああ、だけども、犯人は大阪で使っていたんじゃないかな。新聞記事によると、犯人は大阪や神戸を逃げ回っていたみたいだから」
「大阪でお札を受け取った人が東京で使ったとか」
「その確率はかなり低いと思う」
「どうして?」
「一万円札の寿命は四五年と言われている。案外短いとは思わないか?」
「確かにそう言われればそうね」
「日本銀行の各支店が地域に供給しまた回収するわけだから、年数がたてばもちろん分布は広がっていくだろうけど、使われたお金は地域の銀行に入金され、それがまた地域の人に手渡されていく繰り返しの方が圧倒的に多いと思う」
「遠いところへの送金なんて、ただデータのやりとりだけだものね」
「そう、電子マネーが発達した今の時代ならば余計に、現金の拡散は低いはずだ」
「本城さんって理系向きよね」
「理屈っぽいてこと?」
本城は今度は日本酒を熱燗で二合注文した。
「ううん、論理的と言うか、そこが好きなんだけど」
亜由美は恥ずかしげに小声でつぶやいた。
「まあ、こんな短期間であのお札が東京で見つかるなんて、何人かの人手を経て移動したと考えるより、あの金を持った人物が、直接持ち込んだと考える方が合理的だと思う」
「確かにね」
「しかも使われたのが、恐らく駅の自動券売機だ。あの金を手にした人物が、マネーロンダリングしようとしているのに違いない」
「と言うことは、犯人、まだ共犯者かどうか分からないけど、が、お札から足がつくということに気が付いているってこと?」
「そうだろうね。多分お札の記番号が照合可能ということを知っているはずだ」
「本城さんって、刑事さんみたい」
「小さい頃から推理小説が好きだったからね。銀行員にならなかったら、警察官の試験を受けようと思っていたくらいだから」
「えっ、初めて聞いたわよ、そんな話」
「そうだっけ」
「実は私も大の推理小説ファンなの」
「えっ、そうだったの?」
まだまだお互いのことで知らないことがあったのが嬉しくて、二人は遅くまで、今までに読んだ推理小説の話題で盛り上がっていた。




