第10話
お札はいずれ銀行に到達し、最終的には日本銀行に回収される。しかし市中で使われたお札が銀行に達するには、経路も時間差もある。できるだけ広範囲で使用するなら、その経路を遡って行くのは難しいはずだ。しかも、少なくとも一回目は安全だ。和樹はまず、東京で「両替」することにした。
やはり大都会で使うのが最も危険が少ないだろう。しかしコンビニとかは防犯カメラがあるから、やはり避けた方が良い。
調べてみると、最近の防犯カメラの性能は飛躍的に向上していて、レジを写すカメラなどは、お札の番号まで読み取れるくらい解像度が高いそうだ。パチンコ屋や馬券売り場なども警戒が厳重そうだから、やめた方が良いだろう。
もちろんコンビニやそういった場所に限らず、あちらこちらに防犯カメラは設置されている。しかし不特定多数が利用する場所ならば、ある程度は安心だ。それはやはり自動販売機だろう。しかも一万円札が使える自動販売機でなければならない。
和樹は駅の自動券売機を使うことにした。確かに駅は防犯カメラが網羅されていて、記録されることは覚悟しなければならないが、この多くの乗客の中の誰が使ったかなんて、すべての駅の映像記録をつき合わせても、特定するのは不可能なはずだ。しかも、一万円札で一区画の切符を買っても別に怪しまれないから、両替のコストも抑えることができる。和樹はまず、JRの東京駅で最初の一枚を使用した。
JR中央線に乗り、御茶ノ水で降り、地下鉄丸ノ内線に乗り換えて大手町まで戻る。次に出口を出ずに東西線に乗り換え飯田橋で降りる。そこで都営大江戸線に乗り換えて新宿に出た。そこまでで三万円を変えたことになる。コストはしめて六百円也。
JR、東京メトロ、都営地下鉄と、できるだけ違う会社の路線を使い、また帽子とメガネと上着を三つずつ、折り畳んで小さくできるバッグも三つ用意して、途中ですべて取り換える用心深さだった。
たかが三万円を両替するだけでも、予想以上の時間がかかった。しかし使えば使うほど儲かるのだから、苦にはならない。ただやはり、一万円札を自動券売機に差し込む度、心臓が高鳴るのは避けられなかった。
和樹は次に新宿から小田急線で下北沢まで行って降り、京王井の頭線に乗り継いで渋谷に出る。今度は東急東横線に乗り換えて中目黒で降り、メトロ日比谷線で一気に上野まで出る。それから京成本線に乗り京成関屋で降り、牛田から東武スカイツリーラインに乗り込み、東京スカイツリーを横に眺めながら浅草に至り、都営浅草線で新橋まで出た。
途中、下北沢の商店街にあった小さな煙草屋で煙草を二箱買ったので、しめて十二万円分を両替したことになる。電車に殆ど乗り放しだったのでくたくたで、その日の両替はそこで打ち切りとした。
和樹は駅前のビジネスホテルの部屋を偽名で取り、部屋で千円札と小銭で膨れ上がった財布を整理して千円札だけを入れ直し、近くの居酒屋に入って、熱い燗酒と
つまみをとりながら考えた。
今日だけで経費を差し引いて十万円余りの儲けである。日当十万円の仕事なんて、和樹には今まで想像もつかない世界だった。しかも電車に乗っているだけで稼げるのだから、楽と言えば楽である。
だが、一日十万円として一年で三千六百五十万円、一億七千万円すべてを両替するには五年近くもかかる。五年間も日当十万円の仕事が続くと考えれば確かにそれはすごいことだが、やはり面倒くさい。
それに駅で札が使われたと分かれば、警察は駅や交通機関を重点的に警戒するだろう。一万円札が使える券売機をつねに見張っていて、一万円札が使われる度に番号をチェックするくらい、警察ならやりかねない。まあ現実的には難しいだろうが、使われた時間をある程度絞り込み、防犯カメラの画像記録から割り出してしまうかもしれない。だから、そんなに毎日出来るわけはない。
しかしとりあえず、クレジットカードの支払額と当面の生活費を稼がなくてはならない。明日は電車ではなく、店で買い物をして換えてみよう。コンビニやスーパーとかいった所ではなく、街のありふれた商店で試してみよう。どこがいいかなと考えて、和樹はアメ横へ行くことにした。
アメ横は人でごった返していた。観光客も多かった。和樹は大きな袋を持って買い出しに出かけ、三軒おきくらいの間隔で店に飛び込み、種々雑多な品物を買い求めた。もちろんすべて一万円で。
袋には明太子、鰹節、お茶、安物の腕時計と、脈絡のない品物が続々詰め込まれていった。確かにここではすぐに金が使える。しかし切符と違ってコストがかかりすぎる。大体千円近くする商品ばかりだったから、原価率一割と言ったところか。
もちろん利益率九割の商売なんてぼろ儲けには違いないが、やはり資金が目減りしていくような気がしてもったいないと思った。その日アメ横で三十万円は使ったが、儲けは二十五万円ほど、つまり五万円分の商品を買ったことになる。
食品は転売することもできない。腕時計とかは換金できないことは無いが、質屋とかでは足がつく恐れもある。
結局重い荷物をホテルまで持ち帰り、部屋でいくらの醤油漬けを肴に、カップ酒をあおった。
東京に出てきたのが土曜日だったから、昨日今日に使った札は、まだ銀行で仕分けられていないだろうと和樹は考えた。しかし明日月曜日には、早くも使われた札が発見されるかもしれない。
和樹は月曜日にはおとなしく千円札で新幹線の切符を買い求め、神戸まで引き上げた。
神戸に着くと、早速千円札と五千円札をATМで自分の口座に入金した。切符や商品代の他、神戸と東京の往復新幹線代やホテル代で十万円くらいかかったから、純益は三十万円ほどである。これだけあれば、クレジットの支払いも含めて、今月は何とか暮らせる。
しかしみみっちいなと和樹は苦笑せざるを得なかった。一億七千万円もありながら、数万円単位の小遣いしか使えない。もっと効率的な両替方法はないのだろうか。




