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crack moon  作者: 蒲公英
7/13

小望月

月が白い。

涼太は黙って庭に入り、横に立つ。何も言わない。

私も話しかけない。黙って勝手口の扉を開ける。

三度も続くと、最初の日におずおずと靴を脱いでいた涼太は、手馴れた風にスニーカーの靴紐をほどくようになった。

寝室には入れない。

居間でだけ繰り返される。


「しゅーこさん、たまには外に出ようよ」

「夜に?」

「なんで夜?学校、もう冬休みだもん。映画とか、水族館とか」

「いや」

涼太はまだ学生なのだ、若いのだと実感する。

「俺、しゅーこさんが声上げて笑うところも見たことない。一緒に同じもの見て、感想を言い合ったりしたい」


思い出を共有することに、意味を見出すことができない。

それは結びつきを強めたいと思っているときに考えることだ。

―――私は、涼太と結びつきを強めたいと思っているわけではないのか。

では何故涼太を家に入れ、身体で彼を受け入れるのだ。


「泊って行きたい。しゅーこさんがどんな生活してるのか、見たい」

「ダメ」

灯りを消した部屋の窓のカーテンを開け、空を見上げる。

庭の上に輝くのは、ひびわれた月だ。

隣に立つ涼太の、くもりなく健康な呼吸が息苦しい。

明日は今日よりも成長した自分がいるのだと、信じられる強さが疎ましい。


腰に手をまわして抱き取られるたびに、首に手を添えて顔が近付くたびに、耳元に掠れた声を聞くたびに

乖離していくかのような自分を持て余す。

それでも扉を開けるのだ。

「しゅーこさんが何を考えてるのか、教えてよ」

教えることはできない。何も考えていないなどと。


下腹部に鈍い重さがくる。

手洗いに入って経血を確認する。

女の生理はいつまでめぐるのか。

「セックスしに来てるんじゃない。しゅーこさんに会いに来てるんだよ」

涼太の腕に肩を包まれながら、自分の気持ちが身体に追いついていないことを知る。


クリスマス・イブの夜、涼太はずいぶんと早い時間に現れ、勝手口ではなく玄関のチャイムを鳴らした。

「しゅーこさん、駅前のライトアップ見てないでしょ?」

駅前をライトアップしていることは知っていたけれど、夕方以降そちらに行くことはなかった。

私が駅を使うのは、客先と細かな打ち合わせがある場合だけだ。

黙っていると、行こう、と手を引っ張るようにもう一度言う。

「一緒に行ってくれないと、ここから動かないよ」

言い張った顔がまったくの子供の表情で、気分が動いた。


本当に座り込みそうな涼太を、とりあえず玄関に引き込む。

まだ夜の早い時間、誰かが見てもどうとでも言い訳ができる。

「コート着て、準備して。ここで待ってるから」

「お化粧くらいはさせて頂戴。そんなに急かさないで」

溜息をつきながら、可笑しくなった。

母親に玩具をねだる時の顔つきは、多分こんな風だったのだろうと想像ができる。


「笑ったね、しゅーこさん」

見返すと、はじめて見る表情があった。

私も涼太の嬉しそうな顔を見たことがなかったのだ、と気がつく。

「やっと笑った。」

つい、と腕が伸びて、私の首に巻きついた。

「すっげえ幸せ」

あまりにあけすけでストレートな言葉に、対処の仕方がわからない。


早く早く、と急かす涼太と一緒に、はじめて外に出た。

通りを抜けるまでに行き過ぎた人は見知らぬ顔で、ほっと溜息をつく。

暗い道の中で、手をまさぐられる。

「止めて。誰かが見たら、変に思うわ」

「なんでそう思うの?思わないよ。不倫してるわけじゃないじゃない」

涼太の手が私の指を握って、そのままカーキ色のコートのポケットに押し込まれる。

「しゅーこさんの手は、やっぱりつめたいんだ」


「今日はダウンのジャケットじゃないのね」

人通りが激しくなる前に、手を離す。

「今日はオートバイじゃないんだ。道に長時間置いておけないから。

駐輪場に入れるなら駅の近辺にしかないし、そうしたら酒も飲めるし」

ベッドタウンの商店街が工夫を凝らし、クリスマスの飾り付けをしている。

都会に出るほど華やかでなくても、トナカイやスノウマンの電飾が並べられ、花屋の店先にはポインセチアが並ぶ。

洋菓子店の店先にはホールサイズのケーキの箱が詰まれ、家族連れがフライドチキンの箱を提げて笑い合っている。

ずいぶん遠ざかっていた、賑やかな景色。


大学生らしき集団が、早い時間にもかかわらず酔った声の大きさで話しながら歩く。

本当ならば、涼太はあちら側に居る筈だ。

もしくは可愛らしい恋人と、やさしい時間を過ごしている筈なのだ。


「しゅーこさん、お腹空かない?」

向かい合って食事をしたことはない。

まともな会話もしていないのだ。

「どこも混んでるわ。何かテイクアウトしましょう」


「行っていいの?」

戻った言葉と表情に驚く。

「強引に連れ出したから、本当はすっごく怒ってるんじゃないかと思ってた。そうしないと、しゅーこさんは外に出なさそうだったし」

「怒ってないわ」

肩に回そうとした手を外しながら、前を向く。

一緒に居る相手が私でなければ、こんな気など遣わずに楽しい時間を過ごせたろうに。


住宅街に続く道は人通りが少ない。

涼太が空を見上げて言う。

「月が綺麗だ」

仰ぎ見ると、空にはくもりのない月が出ている。

「しゅーこさん」

呼ばれて、顔をあげた。


「しゅーこさんの庭の月は、いつもどこかが欠けてるけど、庭から出れば綺麗な月が見えるんだよ」

「何それ?気障ね」

街灯の下で涼太は一度立ち止まって、私の顔を覗きこんだ。

「庭に居るしゅーこさんは、いつも寂しい顔してるんだ」

寂しい顔になっているだろうか?

「それでね、俺が隣に居ても、やっぱり寂しい顔のままなの」


家に到着して、少しだけスパークリングワインを飲んで、涼太が食事するのを眺める。

若い男の子らしい健やかな食欲に感心した。

「しゅーこさん、ここに座って」

ソファの横をポンポンと叩き、私を引き寄せる。

「しゅーこさん、笑って。俺にできることなら、何でもするから」

大切なものを扱う手つきで、髪に手が添えられた。


どうか、私をそんなに大事に扱わないで欲しい。

涼太が求めているものは、別れた夫が私に求めたものと同質のものだろうか。

その晩、涼太は唇をやわらかく押し付けただけで帰って行った。

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