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crack moon  作者: 蒲公英
3/13

眉月

松村涼太の登場は、前回と同じくらい唐突だった。

私は、やはり大判のショールを肩に掛け、サンダル履きで空を見ていたのだ。

「近くを通ったから、ちょっとこの道に回ってみた。会えて良かった」

何故わざわざ?と疑問に思うよりも、住宅街に響くエンジン音が気になった。

「ごめんなさい、エンジン切ってくれる?このあたりは、夜とても静かなの」

素直にキーを回した涼太は、前回と同じ場所にオートバイを停めて、庭に入ってきた。


「おお寒。冬にオートバイなんて、マゾだとしか思えない」

自分のことなのに、軽々と笑う。

「しゅーこさん、こんな夜に庭に出て寒くないの?」

二回顔を合わせただけで砕けた物言いになるのは、若い証拠だ。

「一日中家の中にいるから。時々は外の空気を吸わなくちゃと思って」

「外に出ないの?オトナのヒキコモリ?」

「家で仕事をしてるのよ。買い物と納品にしか外出はしないの」

涼太は私が手に持っているマグに目を留めた。


「それ、暖かいもの?一口頂戴」

友人とどころか、家族とでさえ飲み物をシェアしたことなどない。

どう答えて良いのかわからないうちに、涼太は私の手からマグを引き抜いた。

それから一口飲んで、酒だ、と呟いた。

「オートバイなのに、それではいけないでしょう?紅茶を入れてきましょうか?」

彼は一体、何をしに来たのだろう。

「ちょっと回り道しただけだから、いい。すぐ帰るし」

涼太は私にマグを返しながらそう言った。


「何か御用だった?」

若くて綺麗な娘ならいざ知らず、私の顔を見ても仕方ないだろうに。

「なんでかな。なんとなく、しゅーこさんが毎日庭にいるような気がした」

涼太は笑いながら、もう一度なんでかなと呟いた。

「広い庭だね。ヒトリモノって言ってたけど、住んでるのもひとり?」

「ええ、そう。両親が遺してくれたものなの」

「寂しくない?」

寂しくはないような気がする。

実は、自分でもよくわからない。


静かな住宅地にオートバイの音が響く。

涼太は3日と置かず姿を見せた。

「しゅーこさん、こんばんは」

夜には場違いな明るい声が私に呼びかける。

「バイトの帰りにこの辺を通るの。そうすると、しゅーこさんが庭にいそうな気がして」

毎晩、遠くから聞こえるオートバイの音が私の注意を惹く。


二度三度と続いたある日、隣の家の主婦に声を掛けられた。

「柊子ちゃんの家、最近夜にオートバイのお客さんが来るのね」

ぎくりと心臓が鳴る。

「すみません。仕事が立て込んでいて、夜にバイク便を何回か呼んだんです。ご迷惑でしたか」

貼りついたような笑顔になる。

「ああ、そう。柊子ちゃんは家でお仕事だものね。家の中ばっかりじゃ、旦那さん見つけられないわねえ」

「ええ、良い人がいたら紹介してください」

心にもない近所との会話は、もう苦痛を伴わない。


「しゅーこさん、こんばんは」

その晩現れた涼太に、もう来ないように告げたのは、近所の目の煩さを懼れているだけだと自分でもわかっていた。

「なんで?俺が来るの、迷惑?」

そうじゃない。涼太がここに来る目的はわからなくても、私の元に訪れてくれるのは嬉しい。

近所の人との挨拶や、仕事の申し送りとは違うのだ。

「この辺は年配の方が多いの。ご近所にね、オートバイの音が迷惑だから」

「だってここは公道でしょう?何か言われたの?」

「いいえ、でもそう思うの。涼太君だって、おばさんの顔見たって仕方ないでしょう?」


思いがけない強い視線で、涼太が私を見返した。

「しゅーこさんは、おばさんじゃないよ。俺はおばさんだと思ったことない」

この視線の強さは、何を意味しているんだろう。

「でも、迷惑だったらやめる。ごめん」


涼太は大通りに行ってからエンジンをかけると言って、オートバイを押しながら出ていった。

迷惑だったらやめる。

その言葉は、私に惜しいものを壊した気分を与えた。



赤ワインを温めて、オレンジピールとシナモン少々。

保温マグの中身を少しずつ飲みながら、重なった枝の間の空を見上げる。

雨の降る日は家の中で、少しだけ窓を開けて雨の音を聴く。

一人でいることは、怖くない。


遠くに聞こえるオートバイの音。

もう、来ることはないだろう。

夜に人恋しくなっていたりして、誰でも良いからと訪れていたんだろうか。


「しゅーこさん、こんばんは」

マグを取り落としそうなほど驚いて、声のするほうに目を凝らす。

「何故?」

「向こうの通りに停めてきた。歩くと、確かにここは静かだね」

涼太はのんびりと庭に入ってきた。

「それとも、俺自体が迷惑だった?」


右手にヘルメット、その中につっこんだグローブ。

「迷惑だなんてことはないわ。だけど、何故来るの?」

涼太は少し考える顔になった。

「しゅーこさんが庭にいるかもと思うと、来たくなるんだよ。何を見てるの?」

「空を」

涼太は空を仰いで、枝が邪魔だねと言った。

「枝で切り取った空が好きなの」

「俺は広くて青い空がいいな。夏に北海道にツーリング行った時みたいな」

それが似合う、明るくて無邪気な口調。


私の持っていない人懐こさに圧倒される。

若いだけじゃない。私はこんな風に、他人とかかわりあいを持とうとすることはできない。

「また、来てもいい?この通りにオートバイで乗り入れないから」

「楽しくはないでしょう?」

涼太は少し言葉を探す風だった。


「外から声かけた時ね、しゅーこさんと庭が、すごく似合いに見えたの。なんか小説の中覗いたみたいだった。

だから今、読みかけの本を楽しみに読んでる感じ」

意味を掴み損ねているうちに、涼太は庭から出ていった。


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