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crack moon  作者: 蒲公英
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繊月

街灯とガーデンライトだけの明るさで、顔はよくわからない。

「すみません」

若い男はもう一度言って、首だけを動かした。

どうも、頭を下げる動作だったらしい。

「明日の朝まで、こいつ(とオートバイに目を落とした)を置かせて貰えませんか」

まだ二十歳前後の体つきだろうか。


私が黙ったままだったので、彼は仕方なさそうに言葉を繋いだ。

「エンジンが急に止まっちゃって押しがけてもかからないし、ここはまだ駅から遠いでしょう?

駐輪場は見つかんないし、置きっ放しにもできないんで困っちゃってて」

ああ、そういうことか。それで一晩庭に停めさせることくらい、なんでもない。

「構いませんよ。そちらからまわると、車庫がありますので、そちらにでも」

答えると、ほっとしたような溜息が聞こえた。


「良かったあ!もう、足も肩も死にそうで。助かります!」

死にそうだとは思えない元気さで、彼はオートバイを動かしはじめた。

気がつくと、冷える夜間だというのに上着は腰に巻き付け、長袖のシャツを肘までたくしあげている。

車庫で私の小さな軽自動車の横の場所を指示すると、オートバイをそこに駐車した彼は、改めて私に視線を向けた。

街灯が近くなり、今度は顔が見える。

青年になりかけた少年、そんな表現で通じるだろうか?

首は細く、顎のラインがくっきりと美しい。

シャツは汗ばんでいて、どれくらい長い距離オートバイを押してきたのかと気の毒になった。


「助かります!明日、引き取りに来ますから」

笑った顔にはあどけなさが見え、それが私の警戒心を解いた。

「オートバイは置いてもいいけど、あなたは?帰る場所は近いの?」

彼は五つ六つ先の駅名を答えた。

「電車はもうないわよ。どうやって帰るの?」

「歩きます。始発を待つのとどっこいの時間だし、公園で寝られる時期じゃないんで」

はきはきした口調と話す時の視線に、育ちの良さを感じた。


「それは大変すぎるわ。送りましょうか?小さな車がイヤでなければ」

「そんなにご迷惑をお掛けできませんよ。大丈夫です、若いですから」

本当に申し訳なさそうに言うので、却って好感を持つ。

「ヒトリモノですから、誰にも迷惑はないですよ。それとも、こんな歳上とドライブするのは気が引けますか?」

再三固辞する彼を半ば強引に車に乗せたのは、ひょろりとしたシルエットが頼りなく見えたからだろうか。


松村涼太と名乗った彼は、幼さの残る顔でしきりに恐縮した。

「大学生?」

「専門です。3年しかない。来年は就職が決まってればいいけど」

義肢装具士という資格をはじめて耳にした。

「こんな時間に、本当に申し訳ないです。オートバイは明日、引き取りに行きます。勝手に出していいですか」

普段他人と話すことの少ない私に、人間の声は懐かしい。

「お礼は改めて・・・えーと?」

「坂口柊子。でも、お礼はいらないわ」


道が入り組んでいるからと彼は大きな通りで降りて、最敬礼で私を見送った。

巣から落ちた雛鳥を救ったら、それは思いの外育った鳥で、よく響く声でさえずりを聞かせてもらった。

そんな気分だった。

近所の人間でもなく、仕事の請負元でもない人間と話したのは、どれくらいぶりだったのだろう。

奇妙に浮き立つ気分で自動車を走らせた。


翌日、松村涼太はオートバイショップの軽トラックに自分のオートバイを積み込んで、店主と一緒に去っていった。

ひとり暮らしでは消費するのに何日もかかりそうな菓子折が残った。

去っていくトラックを見送りながら、予感が残る。


彼には、もう一度会いそうな気がする。


連絡先など当然知らないし、どこかで会うことなどけしてない筈だけれども。

そして、共通点を見出せない彼と私の間に、何らかの繋がりが築かれる筈もないのだけれど。




庭の木々は葉を落とし、夜の空気が一際冴える季節になった。

唇にやさしい陶器のマグカップの紅茶ではなく、ステンレスの保温用マグカップで温めたワインに切り替える頃だ。

アルコールはあまり得意じゃない。

酔いそうになると、自分にブレーキがかかる。

あなたには酔った挙句の戯言っていうのができないから、相手する男は大変ね。

ずいぶん昔に、そう言われたことはある。


家の前で、大きなオートバイが止まった。

「しゅーこさん、こんばんは」

ひょろりとした影から、夜半の静かな住宅街に似つかわしくない声がした。

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