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crack moon  作者: 蒲公英
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有明月

オートバイの音が家の前で止まったのは、メールを送信してから1時間も経っていなかった。

学校にいる間は動けないと思っていた私の思惑は、はずれていたのだ。

乱暴に何度も玄関のチャイムが押される。

鍵をあけたと同時に扉が開かれ、私の身体を家の中に押し戻した。


「授業は」

「なんだよ、あれ!」

二つの口から同時に言葉が出た。

目を逸らしてはいけない。

「送った通りよ。もう、来ないで」

声が震えてしまうのは、抑えきれない。

涼太の蒼白な顔は怒りのせいだと思った次の瞬間、押し寄せてきた感情に流されそうになる。


「そんな顔させてごめん」と言ったやさしさは、もう私には向けられない。

私の指を唇にあてて「つめたい」と動く時の息の暖かさは、もうない。

まだ節くれだっていない指、しなやかな筋肉のついた腕、熱いほどの体温、それを感じることはなくなるのだ。

自分で選んだものに、自信が持てなくなる。

まだ冗談にしてしまえるかも知れないと、自分の中の何かが囁く。


「大切にしたい人って、何?」

涼太の言葉で思考が戻った。

大切にしたい人という言葉は、嘘ではない。

玄関から居間に場所を移す余裕ができる。


私は、涼太が逆らい得ないものを、知っている。

主語さえなければ嘘にはならないが、涼太の誤解が最大限に利用できる受け答えくらい用意している。

涼太の未経験さや無防備さは、思い込みを強くする要素になる。

私がすることは、返事をすることだけだ。


誰?涼太君の知らない人。

どんな風に?これから先、ずっと私を必要としてくれる人。

俺より、そっちを選びたいって?ええ、そう。

いつから?ここ何週間か。

黙ってたの?そう。

一緒に暮らそうとか言われたわけ?そう、決めたのよ。

俺が子供だから?それもあるわね。


「じゃあなんで!」

涼太の手が強く私の肩を掴んで、痛い。

「昨日もその前も、なんで俺としたんだよっ!」

執着の強さ分の怒り。もっと怒ればいい。許せないほど怒ればいい。

そして私を許さないまま、離れて行って欲しい。

涼太の声が感情的になるほど、冷静になっていく。

ごめんなさい。でも、もう来てはいけない。


乱暴に組敷かれて、手荒にシャツを捲りあげられても、涼太が欲情しているわけではないことを知っていた。

覆い被さるように腕をまわした涼太が、小さく「なんでだよ・・・」と呻くのを聞いた。

ごめんなさい、ごめんね。

本当のことを告げない後ろめたさを、私は幾つも詫びの言葉に変えた。



玄関の灯りを消し、光の漏れない遮光カーテンをきちんと引く。

外に灯りの漏れる部屋に電灯は点けず、気配を殺して夜を過ごす。

家の前をオートバイの通る音がする。

少しだけ速度を緩めて、通り過ぎる。


―苦しい。顔だけでも見たい。

―電話だけでもいい。声だけでいい。

―もう一度でいいから、庭に出て。

いくつもメールが送られてくる。

返信はしない。息を潜めて家の中にいる。


オートバイの音は、夜の間に何回も行き過ぎる。

この通りにオートバイは他には通らない。

時々、夕方に玄関のチャイムが押される。

私は出られない。涼太ではないのかも知れないが、涼太かも知れない。

私が外に出るのは、涼太が登校している時間に限定される。


―何でもするから。

涼太に出来ることは、少なくとも私がして欲しいことは、ないのだ。

もう一度顔を見せてしまったら、私の決意はあっけなく揺らいで、すべてを話してしまいそうな気がする。

息を潜めながら、オートバイの音を待っている。

なんて矛盾なんだろう!


早く、私とは別の人と恋をして。

そこでオートバイの音を響かせていて。

相反した感情だけが、自分の中で渦を巻く。

選んだのは間違いなく私だ。他の選択肢は捨てたのだ。

選び取ったものに悔いはなく、それが私のたった一つの真実であるのに。


月が見たい。

白く輝く月を、掴み取りたい。

オートバイの音を待つことなく、息を潜めて部屋に隠れることもなく、月の光を見たい。


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