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第七話 気軽な一局

 翌日も、

 同じ時間に校門を出た。


 夕方の空は、

 少しだけ曇っている。


「……あ」


 昨日と同じ背中が、

 前を歩いていた。


 ゆっくりで、

 でも迷いのない歩き方。


「こんにちは」


 声をかけると、

 老人は振り返って、にこりと笑った。


「おや、また会ったな」


 それだけだった。


 名前も、用事も、聞かれない。


 数日後。


 下校途中、

 華は、ふと立ち止まった。


 校門の脇にある小さな公園。

 ベンチのそばに、

 見覚えのある背中があった。


 老人は、

 膝の上に、小さな盤を置いている。


「……囲碁」


 声に出して、

 ようやく気づいた。


「おや、知っとるのかい」


 老人は、楽しそうに言う。


「少しだけ……」


「それで十分じゃ」


 老人は、盤を軽く叩いた。


「打つかね」


 質問のようで、

 決まりきった言葉。


 華は、少し迷ってから、

 ベンチに座った。


 盤は、

 学校のものより小さい。


 石も、少し軽い。


「先でも後でも、好きなほうで」


「……じゃあ」


 言われるままに、

 石を持つ。


 ――カチ。


 音が、

 いつもより柔らかかった。


 老人は、

 すぐには打たない。


 盤を、

 じっと眺めている。


「そこは、落ち着いとるな」


 それだけ言って、

 石を置いた。


 ――コト。


 穂香とも、部室の相手とも、

 違う間。


 不思議と、

 焦らなかった。


 中盤。


 華の石は、

 いつも通り、

 少しずつ追い込まれていく。


「……取られますか」


「取られるかもしれんな」


 老人は、

 笑いながら言う。


「でも、その石、

 嫌がっとらん顔じゃ」


「……顔?」


「ほら、ここに居たい、

 って言っとる」


 意味は、

 よく分からない。


 でも、

 分からないなりに、

 石を見た。


「……ここ」


 逃がすように、

 石を置く。


 老人は、

 すぐには返さなかった。


「ほう」


 短い声。


 それだけで、

 胸が少しだけ軽くなる。


 終局。


 勝敗は、

 やっぱり、負けだった。


「ありがとうございました」


 自然と、そう言っていた。


 老人は、

 石を片付けながら言う。


「楽しかったな」


「……え?」


「勝った負けたより、

 今日は、それが大事じゃ」


 そう言って、

 盤をしまう。


「また、会ったら打とう」


 約束のようで、

 約束じゃない言葉。


 帰り道。


 歩きながら、

 華は、考えていた。


 勝てなかった。

 でも、

 苦しくなかった。


 考えすぎて、

 手が止まることもなかった。


「……不思議」


 穂香と打つときの緊張とも、

 部室での焦りとも、

 違う。


 ただ、

 石を見て、

 置いただけ。


 それだけなのに。


 その夜。


 囲碁の本を開くと、

 盤の図が、

 少しだけ、穏やかに見えた。


 正解を探す前に、

 見てみる。


「……ここに、居たいんだ」


 誰に聞かせるでもなく、

 華はつぶやいた。


 盤の上を、

 小さな風が、

 通り抜けた気がした。

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