第五話 知らない相手、同じ盤
放課後の校舎は、
いつもより少しだけ賑やかだった。
廊下の先から、
笑い声が聞こえる。
「今日は人いるね」
霧島楓果が、そう言いながら歩く。
「……うん」
華は、少しだけ歩調を緩めた。
あの静かな教室とは、
空気が違う。
囲碁部の部室は、
思っていたよりも狭かった。
盤がいくつか並んでいて、
知らない生徒たちが座っている。
「初心者、ですか?」
声をかけてきたのは、
二年生くらいの男子だった。
「はい」
言葉にすると、
少しだけ緊張した。
「じゃあ、軽く一局どう?」
断る理由は、なかった。
向かいに座った相手は、
穂香とは全然違った。
表情がよく動いて、
石を置く音も、少し大きい。
「ここ、どう?」
そう聞かれて、
華は、困ったように首をかしげた。
「……分かりません」
「そっか」
それだけで、
会話は終わった。
――カチ。
石が置かれる。
盤の上は、
やっぱり難しい。
でも。
穂香と打っていたときの感覚が、
少しだけ、戻ってくる。
置く前の一瞬。
見渡す時間。
「……ここ」
華は、
自分でも驚くほど、迷わず石を置いた。
中盤。
取られた石は、
やっぱり多い。
「お、そこ逃げたね」
相手が言う。
その言葉に、
胸が少しだけ跳ねた。
「……はい」
理由は、
ちゃんとは説明できない。
でも、
逃がしたかった。
終局。
結果は、負けだった。
点数は、分からない。
ただ、
相手のほうが多かった。
「でもさ」
片付けながら、相手が言う。
「途中、ちょっとやりにくかったよ」
「……本当ですか」
「うん。
最初より、全然」
その言葉は、
思っていたよりも、重かった。
帰り道。
「負けたね」
楓果が、あっさり言う。
「うん」
「でも、なんか、
顔ちがくない?」
華は、少し考えてから答えた。
「……穂香じゃなくても、
同じ感じだった」
「同じ?」
「考える前の、
あの時間」
楓果は、
分かったような顔でうなずく。
「それ、もう自分のものじゃない?」
その日の夜。
華は、囲碁の本を開いた。
今日は、
盤の図が、少しだけ生きて見えた。
学校の部室。
知らない相手。
それでも、
同じ盤。
「……まだ、遠い」
そう思う。
でも、
遠いと分かったことが、
なぜか、悪くなかった。
穂香の打つ一手。
今日、向かいにいた相手の手。
その間に、
自分の場所が、
少しだけ見えた気がした。




