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エピローグ その先の風

 あれから、二年が過ぎた。


 春。


 新しい制服に身を包んだ生徒たちが、

 校門をくぐっていく。


 華は、

 その脇をゆっくり歩いていた。


 肩には、少し使い込まれた鞄。

 中には、いつもの小さな棋譜帳。


 囲碁部の部室は、

 あの頃と変わらない。


 畳の匂い。

 静かな空気。

 石の音。


 ――カチ。


 今度は、

 華が向かいに座っている。


「そこ、いいですね」


 目の前の一年生が、

 目を丸くする。


「え?」


「風、通ってます」


 少し前の自分なら、

 言えなかった言葉。


 一年生は、

 不思議そうに盤を見る。


「……分からないです」


「大丈夫。

 そのうち、見えてくるから」


 華は、笑う。


 放課後。


 校門を出る。


 公園のベンチは、

 今日も静かだ。


 あの背中は、

 もういない。


 名前も知らないまま。


 けれど。


 盤の上に置く一手一手に、

 確かに、あの時間がある。


 華は、

 小さな折り畳み盤を取り出し、

 一人で石を並べる。


 ――カチ。


 澄んだ音。


 風が、

 頬をかすめる。


「……ちゃんと、打ててますよ」


 誰に向けたのか分からない言葉を、

 そっと置く。


 数日後。


 都内の棋院。


 観客席の後ろに、

 華は立っていた。


 中央の対局室。


 そこにいるのは――

 天元 穂香。


 高校生プロだった彼女は、

 今は若手の中でも注目の存在になっている。


 凛とした姿勢。

 迷いのない一手。


 ――カチ。


 あの静寂。


 盤上に光る場所。


 華は、

 静かに見つめる。


 羨ましい、とは思わない。


 遠い、とも思わない。


 ただ。


「……待ってて」


 小さく、呟く。


 穂香が、

 ほんの一瞬、視線を上げた。


 客席の端。


 目が合う。


 一瞬だけ、

 微かに笑う。


 あの時と同じ。


 言葉は、いらない。


 帰り道。


 夕暮れの空。


 風が吹く。


 柔らかく、

 やさしい風。


 華は、

 足を止める。


 あの日、

 半目届かなかった距離。


 でも。


 あの半目があったから、

 今がある。


 石を持つ感触。

 盤を見る時間。

 迷いと、静けさ。


 全部が、

 ここにある。


 華は、

 そっと手を広げる。


 見えない盤の上に、

 一手を置くように。


 ――カチ。


 心の中で、

 音が鳴る。


 盤上のそよ風は、

 終わらない。


 それは、

 誰かに勝つためだけの風ではない。


 自分と向き合う、

 静かな風。


 その風は、

 今日も、どこかで吹いている。


 そして。


 きっとまた、

 二人は向かい合う。


 同じ盤の上で。


 今度は、

 ほんの少しだけ、近い距離で。


(了)

ここまで『盤上のそよ風』を読んでくださり、ありがとうございました。


この物語は、囲碁の強さを描く物語ではありません。

誰かに勝つことよりも、「ちゃんと打つこと」を選んだ一人の少女の物語です。


囲碁には引き分けがありません。

必ず白か黒、どちらかが勝ち、どちらかが負けます。


けれど、盤の前に座る時間は、

決して勝敗だけでできているわけではないと、私は思っています。


迷い。

悔しさ。

静寂。

そして、ほんの少し吹く風。


華が感じた「風」は、特別な才能ではありません。

きっと誰の中にもある、

自分と向き合うときにだけ吹く、静かな感覚です。


穂香は天才かもしれません。

でも、華は“普通”です。


だからこそ、この物語は特別ではなく、

どこかの日常の延長線にあるものとして描きたかったのです。


名前のない老人も、

何気ない一言をくれる親友も、

強くて遠いライバルも。


人生の中で出会う「一局」は、

きっと囲碁だけではありません。


届かなかった半目。

その悔しさが、次の一手を生む。


盤上のそよ風は、

物語の中だけではなく、

読んでくださったあなたの毎日にも、

きっとどこかで吹いています。


もしこの作品が、

何かに挑戦する誰かの背中を、

ほんの少しだけでも押せたのなら。


それ以上の喜びはありません。


またどこかの盤の前で、お会いできたら嬉しいです。


ありがとうございました。

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