表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/15

第十話 聞こえてくる声

 囲碁部の部室は、

 いつもより人が多かった。


 盤の数は変わらないのに、

 空気だけが、少し重い。


「交流戦、出る人決まった?」


 誰かの声が聞こえる。


 華は、

 盤を拭きながら、耳を澄ませた。


 プロ・アマ交流戦。


 名前だけは、

 前から知っていた。


 テレビで見る、

 遠い世界。


「アマ枠、少ないらしいよ」


「強くないと無理だな」


 そんな言葉が、

 軽く交わされる。


 華は、

 何も言わなかった。


 その日の帰り道。


 公園に寄ると、

 老人は、すでにいた。


 いつものベンチ。

 いつもの盤。


「こんにちは」


「おう」


 それだけで、

 石が並ぶ。


 ――カチ。


 音は、

 変わらない。


 数手進んだところで、

 公園の入口から、

 声が聞こえた。


「……あれ?」


 中年の男性が、

 足を止めている。


 昨日、

 老人と打っていた人だった。


「先生……ですよね?」


 その一言で、

 空気が変わった。


 華は、

 思わず盤から顔を上げた。


「……人違いじゃ」


 老人は、

 静かに言う。


「いえ。

 間違えません」


 男性は、

 少し困ったように笑った。


「昔、

 ずいぶんお世話になりました」


 それだけ言って、

 深く頭を下げる。


 老人は、

 何も答えなかった。


 男性が去ったあと、

 しばらく、

 風の音だけがあった。


「……知り合い、ですか」


 華が、

 小さく聞く。


「昔の話じゃ」


 それで、終わり。


 石を置く。


 ――カチ。


 いつもより、

 少し重い音。


 対局は、

 静かに続いた。


 今日は、

 華の石が、よく残った。


 勝敗は、

 やっぱり、負け。


 それでも。


「今日は、

 よう見えとった」


 老人が言う。


「……交流戦って、

 知ってますか」


 思わず、

 そう聞いていた。


「うん」


 短い返事。


「……出たこと、ありますか」


 老人は、

 少しだけ、盤を見た。


「出る側にも、

 迎える側にもな」


 それ以上は、

 言わない。


 帰り道。


 胸の奥が、

 ざわついていた。


 先生。

 迎える側。


 言葉の意味を、

 全部は理解できない。


 でも。


 あの盤の前に座る老人が、

 ただの人じゃないことは、

 もう隠しようがなかった。


 翌日。


 部室で、

 顧問が言った。


「交流戦の校内選考、

 希望者は手を挙げてくれ」


 一瞬、

 教室が静まる。


 手が、

 いくつか上がる。


 華は、

 自分の指を見つめた。


 上げる理由は、

 まだ、言葉にできない。


 でも。


 盤の上で、

 風を探してきた時間が、

 そこにあった。


 ゆっくりと、

 手を挙げる。


 放課後。


 公園。


「……出ることに、しました」


 老人は、

 少しだけ、目を細めた。


「そうか」


 それだけ。


 応援も、

 忠告も、ない。


「勝ちたいですか」


 不意に、

 そう聞かれた。


 華は、

 少し考えてから答えた。


「……ちゃんと、

 打ちたいです」


 老人は、

 静かに、うなずいた。


「それで、ええ」


 盤の上。


 ――カチ。


 音が、

 いつもより、澄んでいた。


 遠くで、

 何かが動き始めている。


 まだ、

 穂香には届かない。


 でも。


 風の向きが、

 少しだけ、

 はっきりしてきた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ