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第一話 出会い

 下校の時間だった。


 校舎の中は、もうほとんど人がいない。

 廊下に残っているのは、窓から差し込む夕方の光と、

 自分たちの足音だけだった。


「今日は静かだね」


 隣を歩く霧島楓果が、伸びをしながら言った。

 天音華は、曖昧にうなずく。


 そのときだった。


 ――カチ。


 小さく、乾いた音がした。


 誰かが何かを落としたのかと思った。

 けれど、その音は一度きりではなかった。


 ――カチ。

 ――コト。


 規則正しく、

 それでいて妙に静かな音。


「……今の、なに?」


 楓果が足を止める。

 華も、自然と立ち止まっていた。


 音は、空き教室の方から聞こえてくる。


 部活の声ではない。

 話し声もない。

 ただ、石が何かに触れるような、

 不思議な音だけが、廊下に滲んでいた。


「ちょっと、見てみる?」


 楓果がそう言ったとき、

 華はもう、音の方へ歩き出していた。


 教室の扉は、少しだけ開いていた。


 中は、驚くほど静かだった。


 窓際の机を向かい合わせにして、

 盤のようなものが置かれている。

 その前に座っていたのは、

 一人の女の子だった。


 背筋が伸びていて、

 制服の着こなしがやけに整っている。


 その子の指が動くたび、

 あの音が鳴った。


 ――カチ。


 華は、なぜか息をひそめていた。


「囲碁、だよね」


 楓果が、小声で言う。


 華は、首を横に振った。


 名前は聞いたことがある。

 でも、それ以上は知らない。


 白と黒の小さな石が、

 盤の上に置かれている。


 それが、なぜか目を離せなかった。


「……やってみる?」


 突然、その子が顔を上げた。


 凛とした目が、華を見た。


「え?」


 声が、喉で引っかかる。


「座ってみればいい」


 淡々とした口調だった。

 誘っているのか、確認しているのか、

 分からない。


「華、やるの?」


 楓果が、半分冗談みたいに言った。


 華は、自分でも理由が分からないまま、

 椅子に座っていた。


 盤の向こう側に、

 その子が座る。


「ルールは?」


「知らないです」


 正直に言うと、

 少しだけ恥ずかしかった。


「じゃあ、好きなところに置いて」


 それだけだった。


 華は、石を一つ渡される。

 小さくて、少し冷たい。


 どこに置けばいいのか、分からない。

 でも、置かなければ始まらない気がした。


 適当に、盤の端に置く。


 ――カチ。


 音が、少しだけ大きく感じられた。


 そこから先は、

 よく分からなかった。


 石が増えていく。

 白と黒が、絡み合う。


 何が起きているのか、理解できない。

 けれど、

 盤の空気だけは、重くなっていく。


 気づいたときには、

 もう、どうにもならなくなっていた。


「終わり」


 その子が言った。


「……これで?」


 楓果が、目を丸くする。


「うん」


 盤の上を見ても、

 華には何も分からなかった。


 ただ、

 負けた

 ということだけは、

 はっきりしていた。


「ありがとうございました」


 気づいたら、そう言っていた。


 相手の名前も知らないまま、

 教室を出る。


 廊下に出た瞬間、

 急に現実に戻された気がした。


「すごかったね」


 楓果が言う。


「何が?」


「分かんないけど、

 華、ずっと見てた」


 華は答えなかった。


 胸の奥に、

 静かなものが残っていた。


 悔しいのか、

 怖いのか、

 それとも、ただ気になっているだけなのか。


 自分でも、分からない。


 帰り道、

 小さな書店の前で、足が止まった。


 囲碁の本が、並んでいる。


 表紙の黒と白を見て、

 手に取る。


 中は、ほとんど分からない。


 それでも、

 華はその本を買って、

 鞄にしまった。


 理由は、まだ分からない。

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