第八話 甘酸っぱい甘夏
日の落ちる速度が遅くなり気温も暖かくなり始めた日。
俺は一人校門に寄りかかりながらある人物を待っていた。
それにしても今日はやけに帰宅する人の数が多い。
部活が休みなのだろうか。
俺にとって部活のことは無関係だと思っていたがこういう情報を知れないのは少し困る。
俺も部活に入るべきだったか?
いや、それだと仕事をする時間がない。
俺は大きなため息をつく。
一週間前の鉄工所の放狼。
あの件の後、俺たちは一時事情聴取を受けたがすぐに釈放された。
理由の説明は曖昧でわかりにくかったが、簡単に要約すると子供らからの証言と上からの圧力が原因ということらしい。
どうやら本当に妖術師の仕事には政府側が関わっているみたいだ。
あまり下手なことはできないな。
因みに子供たちはというと、あの後病院にそのまま搬送され、意識を取り戻した頃には俺が放狼と戦った記憶はすっぽり抜けていたみたいだ。
ショックで記憶を無くしたのか無くされたのか、どちらかはわからないが俺は悶々と燃える火事の中から勇敢に子供たちを助けた少年ということになった。
ほぼ俺も放火犯と言って過言ないんだけどな。
俺はそう一人で考えながら片手に持っていた本のページを進ませる。
普段小説など読まないが久しぶりに読んでみると少し面白い。
さすが、図書館の扉の真ん前に落ちていただけのことはあるな。
ページの合間には貸出日が書かれた貸出用紙がある。
5月6日、一年B組「甘夏葵祢」
どうやらこの少女は借りて、たった次の日にこれを落としてしまったらしい。
不思議とその名前だけは聞き覚えがあった。
多分本好きな少女。
俺は頭の中で黒髪三つ編みツインと伊達メガネの少女を思い浮かべその少女がこれを読む俺を見つけてくれるようにただ願う。
小説を閉じ、俺はスマホで時間を確認した。
月冴との集合時間まではもう少し時間があるな。
このまま小説を読んでその甘夏さんとやらを待ってもいいが、そろそろ周りの目も俺に集まってきた。
いつもは月冴や御代がいて話しかけてくることは少ないが今俺は一人で暇つぶし中。
そんな時だったら大抵、
「ねぇ、君」
言ったそばからだ。
肩ぐらいまである黒髪にセーターを腰に巻き、極めつきには明らか浮いているルーズソックスを履いた女は三年の風格を見せている。
無駄にオラついたヤンキーの彼女によくいそうなやつ。
俺が一番嫌いとするグイグイ来るタイプの人間だ。
「何ですか?」
「今暇? 暇ならさ、私たちと遊ばない?」
想像していた言葉と全く同じの発言をしてくる女は後ろにもう数人の女子を連れている。
どれも厄介そうなギャルという感じでかなりキツい。
なぜこうもそういう格好をしかも学校でしたがるのだろうか。
目立つことで承認欲求を満たそうとしているのだろうが、そんなものに目を光らせるのはきっと同じようなやつだけだ。
「いや、俺人を待ってるんで……」
「え〜いーじゃん一回ぐらい〜」
「そうだよ、別に一回ぐらいばっくれてもいいでしょ?」
女は俺の腕を強引に掴み引っ張ろうとする。
こんな弱い力でよく引き連れ出せると思ったものだ。
びくともしない俺の体を引っ張り続ける女はすごい顔をしていた。
そんなにまでして俺と遊びたいのか?
小さな息でため息をつく。
さて、何と答えるべきか。
きっぱり断って追い討ちの言葉でも掛けるべきか。
そうやってなんと答えようか悩んでいると、突然横からギャルの手をギュッと強く握る別の手が現れその手は女の手を軽く捻り上げた。
細く白い腕なのに凄い力、というか体術だ。
「な、何よあんた!」
「困ってるの、見てわかんない?」
襟足が青みがかったウルフカットにみかんのピアス。
それに灰色のフードを首元から垂らした彼女は力強い瞳を女に押し付けながら落ち着いた声でそう言った。
反対に、押し付けられたギャルは声を荒げ抵抗する。
「別に私たち悪いことしてるわけじゃないでしょ!?」
「そうよ、あなたがどうこう言う筋合いなんてないじゃない!」
「あるからこうしてんでしょ」
「痛い痛い痛い! もうわかったから離して!」
彼女は少し考えて、その強く握る手を離した。
ギャルの手には赤く掴まれた跡がびっしりついておりいかにも痛そうな様子だ。
周りの女も彼女の言動にかなり萎縮しきりオドオドとしている。
彼女はブレザーについているワッペンの色からして一年生。
三年に、しかもこんなやつに堂々と話しかけに行けるなんて凄い度胸の持ち主だ。
「あ、あんた一年でしょ、こんなことしていいと思ってんの!」
「そうよそうよ、調子乗っててキモいんですけど」
いつしか周りには野次馬が集まっている。
ただ見ているだけで口は出さず、女たちが目を向けると女の言い分に賛同するかのように小さく首を揺らす。
どうやらスクールカースト上位の人間には怯えっぱなしのよう。
こいつらの方がイカれてるのが見てわからないみたいだ。
「一年とか、関係ない」
「関係あるわよ、あんたは年下で私は年上、そんなのもわかんないの?」
ギャルらしい中身のない言い分だな。
しかし野次馬が駒として取られた今俺たちの方が劣勢であるのに変わりはない。
野次馬からしたら三年生に言い寄られる一年生のイベントほど美味いものはないのだ。
「あーあ、せっかく気分よかったのになんかしらけたわ」
「私たちに謝りなさいよ!」
「みんなもそう思うよね?」
みんなと言われると周りはすぐに目を背ける。
面白く見物はするが自分たちに責任を移らせたくない、と言ったところか。
まあ、野次馬とかネットの亡者たちの思考なんてそんなものだよな。
こういうとこが俺は嫌いなんだ。
自分が上の存在だと思って強く出るくせに一人では何もできないただの人間。
集団に群れる奴ほどそういうところをなぜか気にする。
「ちょっとちょっと、何があったの!?」
昇降口の方からガラガラとした声が特徴な高齢の先生が走ってくる。
右手には園芸用のシャベルを持ち、左手にはバケツを持っていかにも作業をしに外へ出てきた様子だ。
「先生、あいつがこの子の手を思い切り握ったんです!」
「先生痛いよ〜」
まるで自分が被害者側かの様に泣きつき、先生を味方につけようとする。
野次馬は何も言わず、少女はなにも反論しないため先生は彼女に疑いの視線を向けた。
「本当にあなたがやったの」
「……」
「何か言いなさい、やっていないならやっていない、やってしまったのならやってしまったと」
彼女は黙り続けた。
どうして反論しないのだろう。
少しは先生もこちら側に耳を傾けてくれるかもしれないのに。
彼女は俯いたままだ。
諦めてしまったのだろうか。
次に先生は俺の方を向き不快そうな顔を見せる。
「あなたたちもしかして…………わかったわ、二人とも後で職員室に来なさい」
何がわかったんだ。
まだ彼女も俺も何も言っていない。
なんなら彼女はこのまま本当に自分が悪かったということになってもいいみたいにずっと先生の胸の辺りを見つめている。
それで、良いわけがないだろ。
立ち去ろうとする先生に俺は声をかける。
「待ってください先生」
「なんですか、私はこれからこの子を……」
「この子が本当にやったのかしっかり確認しなくていいんですか?」
「……それを職員室で聞こうと言う話を今」
「職員室で聞く必要はありませんよね?」
先生は口ごもり俺から目を背けた。
何か、先生は彼女に思うことがあるという感じを出している。
確かに格好は一般の女子生徒よりも派手で特徴的だが、他の生徒が無視していた中俺を助けてくれたたった一人の人間である。
そんなやつがこのまま悪人扱いされて俺の腹の虫は治らない。
「俺はその先輩たちに無理やり手を掴まれていたところを彼女に助けられました」
彼女の方に視線を向けると今度はしっかりと頷いた。
少し驚いた表情をしていたが理由は今考えないでおこう。
「あなたたちそれは本当なの?」
「う、嘘ですよ、私たちがそんなことするわけないじゃないですか!」
「そうですよ、第一私たちがやったなんて証拠なんて無いし!」
見苦しい嘘をつくものだ。
そんなこと言ったらこの子がやったという証拠もないだろう。
それに俺が「理由はないけど」なんて言うとでも思っているのか?
苛立った声のまま答える。
「証拠ならありますよ」
俺は先生の後ろに向かって指を刺す。
そこには俺たちをの方を映す監視カメラがあった。
確実に映っているはずの監視カメラを見て女たちは狼狽始める。
見られたら嘘がバレてしまうことぐらいはわかるみたいだな。
「なるほど。わかったわ、後であれは確認します。でも、神代君はどうしてここにいたのかしら?」
「それはどういう意味です」
「いやあね、あなたたちが二人で居たら危ないことがあると思うのは必然でしょう?」
なるほど、そういうことか。
「俺は彼女を待っていたんです、この本を返すためにね」
俺は手に持っていた小説を先生に見せる。
その表情は疑いのままであったが、これ以上話したくはなかったのか渋々納得した表情をする。
偶然この本を持っていてよかった。
甘夏さんとやらには感謝しなければだな。
その後、先生はギャルたちを引き連れてまた校舎の中へと戻って行った。
それと同時に群衆は散乱していてき、気づけばそこには俺と彼女だけが取り残された。
「すまんな、巻き込んじゃって」
「大丈夫です」
クールに言葉を返すと今度は俺に向かって手を差し出してきた。
握手……なのか?
俺は彼女の手を握る。
「何してるんですか」
「違うのか?」
「違いますよ当たり前じゃないですか」
おいおい、それぐらい言えるならもっと先生にも言い返せばよかったじゃないか。
風貌と同様に色々とクールなやつだ。
「そんで、何が欲しいんだ?」
「それですよ」
彼女は俺の左手に持った小説に指をさす。
これは文学少女甘夏葵祢さんの物だ。
「いや、これ甘夏さんって人の物だけど」
「私がその甘夏葵祢です」
なるほど、整理しよう。
これは小説でしかも簡単に読めるライト層向けのものではない読書感想文のコンテストで選ばれるような作品だ。
もちろん俺もあまり読まないジャンルであり一般の生徒も読まないような本。
そんなものをこんな子が読むだろうか。
いや、想像できるわけがない。
そうは考えるが俺は本を素直に渡した。
あの先生のような人間に俺はなるつもりはないからな。
一瞬だがああいう考えが出てきたことには不甲斐ない。
「次は落とさないようにな」
「それぐらいわかってます」
辛辣だな。
「それと、私もう一つあなたに言うことがあるんです」
「なんだ?」と聞き返す。
甘夏は神妙な顔つきで言った。
「金輪際、月冴かごめには近づかないでください」
「……どういう意味だ」
無意識に警戒の声を出してしまう。
しかし、金輪際月冴に近づくなと突然言われたのだ、そうなるのも無理はない。
「そのままです、姉には近づかないでください」
次々と出る情報をゆっくりと慎重に整理する。
姉という言葉、深く考えない方がいいのか考えるべきなのかわからないがあいつに近づかないのは無理がある。
なんたって月冴は俺の隣の席で尚且つ俺の雇い主だ。
関わらずに行動するなんて出来っこないし「あなたから目を離さない」と言われた以上あいつは俺の近くを離れない。
こいつの提案は無理難題なのだ。
「先に、理由を聞いても?」
「……最近、あの人家に帰るとあなたの話ばかりするんです『火月さんが今日授業中〜火月さんが今日お昼の時〜』って」
「……つまり?」
「お姉ちゃんは私のことを見てれば良いのです」
甘夏の顔は真剣そのものだった。
見た目に反して色々と結構すごいやつなのかもしれない。
別にそういうのを否定するつもりはないが、よく人前で言えるものだ。
それに「あの人家で」って。
甘夏は月冴の家にでも住んでるのか?
そのことについて甘夏に聞こうとしたが俺はそれをやめた。
理由は簡単、単に後で会う月冴にこいつの話を聞けば良いと思ったからだ。
時計を確認する。
そろそろ部活動が終わり月冴が戻ってくるな。
俺は話を終わらせにいく。
「まあ、単刀直入に言って近づかないってのは無理だ」
「それはわかってます、私が言いたいのは独占しないでくださいってことです」
「独占って……俺はあいつを独占できる立場じゃないから大丈夫だろ?」
「本当ですか……?」
甘夏は俺の体を下から舐めるようにして見た。
そんなに俺の言葉には信用がないだろうか。
少し肩を落とす俺の気も知らずに甘夏はスマホの画面を差し出してきた。
そこにはQRコードが映し出され、右上にはメールアプリのマークがある。
「情報共有、お願いします」
「……はぁ、わかったよ」
アイコンはみかんの被り物をつけたゆるキャラのようなやつだった。
ピアスもみかんだったしみかんが好きなのだろうか。
「じゃあ、俺行くから」
「え、職員室には?」
「職員室? ああ、あれなら多分あっち側で解決するから大丈夫だろ。まあでも、謝って欲しいなら行ったほうがいいかもな」
「じゃあ、ここで待ってたのは?」
「ここで待ったのは本当に君を待ってたんだ、帰る時にこの本を持ってる俺を見つけてもらおうと思って」
「…………ふふ」
今笑われた?
俺は今そんなに面白いこと言ったか?
頭を傾げる俺とは違い甘夏はクスクスと笑う。
「なんだよ」
「ここで待ってたなんて、あそこの掲示板にある落とし物ボックスに入れておけばよかったじゃないですか」
甘夏が指を指す先にはちょうど掲示板があり、その下の机の上には確かに白い箱があった。
毎日見ていたあの物置だと思っていた箱は忘れ物置き場だったのか。
地元の高校にもそんなものがあったようななかったような。
初めて知った。
「最近ここに来たんだ、すまなかったな」
「ふふ、意外と寡黙に見えて面白い人ですね。では先輩『共有』お願いしますね」
「共有」ね……
俺は心の中で呆れた顔をしながら足を校舎の方へ突き出した。
甘夏葵祢、月冴の家に住んでいるということは同じ妖術師なのだろう。
月冴からはもちろん教えられなかったが、この学校にも他にいるのかもしれないな。
まあそれは、明日月冴から直接聞くとしよう。
甘夏はクールやつだったが悪いやつではなさそうだ。
仕事上関わるかもしれないし交友を深めないわけには行かなそうだ。
綻ぶ顔を手で押さえながら図書室へと向かう。
「……待て、なんで甘夏もこっちに来てるんだ」
「なんでって、先輩が『謝って欲しいなら行ったほうが良い』って言ったんじゃないですか」
「……確かに、言ったかもな」
前言撤回だ。
甘夏はクールなやつだが、結構根に持つタイプの悪いやつなのかもしれない。




