第六話 放狼と炎狼
最後の授業を終えた放課後、学校を出た俺たち四人は目的の場所である北村鉄工所に向かっていた。
距離は電車で片道三時間ほど、その放狼とか言う妖は夜の暗い時間帯にしか現れないらしい。
妖怪によって色々性質が違うみたいだ。
そういえば、月冴姫事件後に聞いた月冴の話によればあの鎌切りとかいう妖もあのマンションに住み着いていたようだ。
どうやら妖は定住派の方が多いらしい。
それぞれの住む場所を共存し合えたら一番楽なんだが、そううまくはいかないものだ。
そう考えながら俺はスマホを開きメールに既読がついたかを確認した。
一応、千早には「帰りが遅れる」とだけメールを送ったが家に帰ったらきっと問い詰められるだろう。
千早のお説教は正座で行われ一歩動いたものならすぐさま怒号が飛びかい短い時で三十分、長い時で一時間もかかるかなりのハードスポーツ。
なんなら妖退治よりもきついかもしれない。
まあ、俺はそれなりに覚悟を持ってここまで来たのだ。
ちゃっちゃと放狼とやらを退治して初の仕事を成功に収めるとしよう。
視界の先に畦道を通り抜ける赤いパトカーのサイレンが見える。
近くで何か事件でもあったのだろうか。
音もつけないでただサイレンを回しているだけということは居なくなった老人探しでもしているのだろう。
田舎では日常茶飯事なことだ。
まあ警察なんて見たくも会いたくもない。
気にしないでおいた方がいいな。
バスはゆったりと進んでいき、気づけば北村鉄工所近くの停留所に止まっていた。
すでに空は暗く異様に空気はどんより重くなっている。
まさに不気味という言葉がよく似合う風情だ。
「着いたぞ」
目の前には北村鉄工所の看板に大きな工場がある。
ガラスは割れ、不法投棄された自転車やら電子レンジやらが積み重ねられ正に廃墟という感じだった。
入り口の鉄製で出来た大きな扉は開きそうになく、奥には細い道が続いている。
相当長く使われていないみたいだ。
「ここからはお前の仕事だ」
「もちろんわかってるよ」
「何かあったら絶対に言ってくださいね」
俺は頷く。
相変わらず月冴は心配そうで、いかにもじっとしていられない様子だ。
逆に直継はいつものおちゃらけた感じとは少し違い真剣であり、鉄工所の方をじっと見つめていた。
さすがに仕事の時は真面目に取り組むらしい。
勉強はできないし頭は良いとは言えないが、こういう時はとても頼りになる。
それにこの依頼を俺に譲ってくれたのも直継だ。
今度、テスト勉強でも手伝ってやろう。
もう一度視線を左に動かす。
そこにいた古水の顔は……良くわからんなんとも言えない表情をしていた。
「そうだ、火月はまだ妖術が使えないんだったよな」
「ああ、使えないな」
あの日から、俺は未だに妖術を使えていない。
もちろん妖力も感じないが俺は今日直継に無理やり依頼を持ってきてもらった。
多分……いや、確実に今のままでは極夜には勝てない、そう思ったから。
俺は今すぐにでも強くならないといけない。
そのためにはもっと多くの経験が必要だ。
「じゃあこれを……お前にやる」
直継は肩にかけていた袋から何かを引き抜き出す。
打刀だ。
なんの特徴もない綺麗な一本の刀だが、妖術が使えない俺にとっては今一番の武器である。
しかし初めて刀なんか持つ。
果たしてこの俺に扱えるのだろうか。
「ありがとう」
俺は刀を受け取り、心を落ち着かせる。
意外と軽いもんだな、もっとこうグッとくる様な重さがあるのかと思っていた。
筋トレの成果がここで発揮されたようだ。
鞘を強く握り実感を持つ。
緊張はしていない。
なんなら俺はこの状況に置かれてなお少し楽しんでしまっているみたいだ。
奮い立つ自分の気持ちを抑えて俺は大きく息を吸った。
「行ってくる」
「頑張ってください!」
「……がんば」
「中に入ったらすぐ連絡しろよ」
「わかった」
俺は三人に見送られながら左手にあった小径に進んでいく。
考えでは、ここにあいつら用の入り口があるはずだ。
錆びた配管を飛び越え警戒しながら進むと見立て通り案の定そこには動物でも入れる様な穴が壁に空いていた。
もちろん狼でも入れる様な穴、森の方には獣道が見える。
「ビンゴ」
その場にしゃがみ俺は穴の先を見る。
当たり前に中は暗く、様子は伺えない。
そりゃ夜だし電気もないんだから当たり前か。
そう納得し、俺はスマホのライトをつけ穴を潜り抜けた。
錆とか油臭い匂いが蔓延し周りには埃が多い。
俺はあまり埃にも強くない。
咳き込んでしまいそうな喉を押さえ俺は立ち上がる。
さてと、直継に連絡をしなきゃだったな。
スマホでメールアプリを開きグループチャットに「中に入った」と送った。
返答は「おけ」
実に緊張感のない返事だ。
しかしどうして連絡なんか必要なんだ?
光源はスマホのライトだけだが今俺の手にある。
他に必要なものはあまり思いつかない。
そう思っていると次の瞬間視界がパッと明るくなった。
まるで、何かの魔法にかかってしまったかの様に。
いや、魔法じゃなくて妖術と言った方が良いか。
またスマホがピコン!
と音を立てた。
チャットにメールが一つ来ている。
なになに?
「それは御代の妖術『水眼』見えないものがなんでも見えるようになる。なんと感覚共有も可能!」
そう黒猫がグッドポーズをするスタンプと共に送られてきた。
古水の妖術か、すごい力だ。
見えないものがなんでも見え感覚共有ができる。
相手であったらとんでもなく面倒くさい能力だが仲間としては心強い能力だ。
そして、一応。
「なあ、なんでもってなんでもか?」
「火月…………お前もやっぱり男だな」
「どういう意味です?」
スマホのライトを切りポケットにしまうと俺は周りを見渡した。
ここはどうやら倉庫の中らしく、周りには残されたままのダンボールやら機械やらがきちんと置かれている。
まだまだ使えそうなのに……きっと、後を継ぐ者がいなかったのだろうな。
そう思いながら倉庫の扉に手をかけた。
開かない。
何かに引っ掛かって動かないようだ。
一歩後ろに下がり扉の周りを確認する。
扉の横にはいかにも危なそうなマークが書かれたダンボールがあった。
これが引っ掛かっていたみたいだな。
俺はダンボールの底に手をかけ中の物に力が加わらないよう柔らかくそれを持ち上げる。
よく見るとダンボールの側にはワニの可愛い絵が縫われたハンカチが落ちていた。
どうしてこんなところにこんな物が落ちているんだ?
埃も被っていないし、昔誰かがここで落とした訳でもないはずだ。
だとしたら誰がこんなものをここに?
まさか、先に誰かが入ったってことはないよな。
つっかえていたダンボールを動かし、ゆっくりと扉に手をかけた。
錆びついていて扉がガタガタとする。
なんでこんなに重いんだよ。
一旦力を弱め、次に全力を込める。
「開け……」
錆で固まっているのか一瞬ガタッと突っかかるがそれを超えると扉は簡単に動き、大きな音を立てて俺の存在を引き立てた。
目線の先には無数の大きな狼たち。
全員の視線は俺に集中し、お互い氷の様に動かずその場で固まった。
中央には他の狼とは違い尻尾と耳を葵色の炎で燃やす狼がいる。
明らかにこいつらのリーダーって感じだ。
それにいかにも強そう。
「まじかよ……以外といるじゃねえか」
おいおい心の準備とか全然できてないぞ。
犬嫌いの俺にとってこの状況は苦行でしかない。
だがここを乗り越えないと俺はいつまで経っても強くはなないことに変わりない
やるしかないのか……想定以上に心が持ってやられている。
しかし、そんな呑気に考える俺とは反対に現状は良くないものだった。
「助けて!」
前方、狼たちの奥から子供の甲高い声が聞こえる。
男の子が二人、手には重そうに持つ鉄パイプ、近くには割れたのか光らず横たわったランタンが一つ落ちている。
ワニのハンカチはきっと彼らの、この子たちは秘密基地気分でここにきたのかもしれないな。
そんで遊んでいたらこいつらと遭遇してしまったってとこか……怖かっただろう。
少年たちの表情はあの時の俺と似ている。
…………そうだよな、まずは昔の俺のことも助けてやらないとだよな。
俺は心の中で回答を出し決心する。
「今助けてやる」
鞘から刃を抜き強く握った。
目を瞑りながら深呼吸をし、体から余分な力を抜いて冷静に。
そして俺は目をゆっくり開け刀先を狼の方に向けこう言い放つ。
「さあ、妖退治と行こうか」
* * *
火月が鉄工所に入ってから十分ほど経った。
姫様は心配そうな表情を続け、御代は辛そうに目を瞑っている。
そんな中俺は誰も、何も話さない空間でただただ明るい空を見上げてているだけだった。
今日は満月か。
狼なら変身しているところだが、もちろん俺は狼男じゃない。
どっちかっていたら俺は化け狐だからな……いや、化け狸の方がわかりやすいか?
そうやって一人頭の中でふざけていると。
「ねえ直継」
「どうした? …………やっぱり辛いか?」
「それは、大丈夫。私が聞きたいのは、その、本当に火月は妖術を使えるようになるのかってこと」
御代は滅入った気持ちになっているのか、珍しく弱音を吐いた。
やっぱりここに御代を連れてきたのは間違いだったか。
だが、この戦いは御代がいないと始まらない。
俺は少し考え、御代の質問に答える。
「正直のところ、火月次第って感じだな」
「火月さん次第? どういうことですか?」
「あいつの妖力だよ」
姫様は頭を傾げる。
「そっか、つっきーは妖力が見えないんだったね」
「はい、火月さんに説明する時は少し焦りました。それで?」
「それで火月はな、自分の中にまだ妖力が眠っていることに気がついてないんだ」
妖力はいつ認知したかによって見え方が変わる。
大抵の妖術師の場合は幼少の頃に妖や妖術を認知しているため妖力は個人で具現化されるが、火月や月冴の様なやつはその頃に認知していなかったからなのか妖力を肉眼で認識することはできない。
では、なぜ妖力の塊とも言っていい妖は見えることができるのかだが、正直それは謎が多く俺もわからない。
何たって普通の家系である火月ならまだしも名家の一人娘である月冴が妖力を見えなかったりするのだ、俺の知らないことなんていくらでもある。
まあ、簡単に言えば妖は俺たち生き物と少ししか変わらないということだ。
「それじゃあ、火月さんは対抗できる力があるのに何も使わないで今戦っているということですか?」
「百点満点その通り」
「なんで……教えてあげれば火月さんだったら」
「火月だったらすぐに対応できる。でも火月はこの妖術界にとってイレギュラーな存在だ。そして、そのイレギュラーな存在であるやつほど自分で成長することが強さの鍵になるんだよ」
姫様は俺の発言に何も言わなかった。
成長して欲しい気持ちと心配な気持ちとで複雑なんだろう。
確かに火月はまだ妖術の使い方を知らない。
あの日、妖から姫様を守る時に使った妖力もどうやって出したのかは自分でもわからないと言っていた。
普通妖術を知るのは簡単だ。
なぜなら妖力を最初に使用する際並大抵の人間は妖術を扱う。
大体、火月みたいに最初から全妖力をぶっ放すやつなんていない。
妖力は力の源的存在、空穴になってはいけない。
そう考えるとやはり火月はイレギュラーな存在なのだ。
しかし、そのイレギュラーさに俺は興味を持った。
妖術師の家庭でもないのに持つ膨大な妖力。
素に持つ天才じみた頭脳と身体能力。
それと、俺たちには絶対に見せない復讐心。
どれもこれもあいつの強さであり武器なのである。
「大丈夫さ、あいつならきっと扱える」
「そうですね……」
「……うん」
暗い空気が続いていく。
火月は成長するだろう。
成長しまくってきっと俺を追い抜かしてもっともっと強くなるだろう。
俺を抜かして、極夜を倒してあいつはどうなるのか。
そんなものは俺にもわからない。
でも、一つわかることがあるとするならば「あいつはこの妖術が広がる世界を大きく動かす存在になる」ということだけだ。
「……楽しみだな」
「楽しみ?」
「いや、何でもない」
本当に、今後のこと全てが俺の楽しみだ。




