第五話 月冴姫事件
転校してから数周間が経ち、段々こっちの生活にも慣れてきた。
最近は仕事のために筋トレやランニングをして体力をつけている。
昔から運動には自信のある方だが、万が一のためといつかやって来る体力テストのために俺は運動を始めた。
正直東京は走る場所などないと思っていたが、案外公園が沢山あるものだとその時気づいた。
まあ、そんな与太話はいいとして、今日は俺が妖術師になってから初めての出勤日である。
午後のチャイムが鳴り響き、四限の数学が終わったのと同時に教室は賑わいを見せ始めた。
ある者は学食へ、ある者はコンビニへ。
向かうところは人によって異なるが、その賑わいは俺の机でも同様であった。
「かぁー数学何もわかんねえ」
直継はそう言いながら手に持っていた朱色の弁当箱を俺の机の上にドスッと勢いよく乗せる。
それと同時に古水が教室に入り、月冴は自分の机を俺の机と合わせ俺たちは四人で昼食を食べることになった。
「今日の数学ってそんなに難しかったか?」
「いや難しいだろ」
「直継昔から数学苦手だもんね〜」
古水は顔をニヤつかせながら直継を煽る様にしてそう言い放つ。
それに対して直継は何も言えず、不満そうな顔をするがすかさず古水が開けたばかりの弁当箱からウインナーを抜き出してその大きな口の中に放り込んだ。
「あ、私のタコさんウインナー!」
当たり前のように古水は激怒し、お互いにお互いの弁当を食べるという意味不明な状況に陥った。
こんなに仲が良いってことはもしかして付き合ってたりするのだろうか。
直接……はよしておこう。
月冴に目線を向けると箸を口に入れながらもぐもぐと口を動かしていた。
俺の視線に気づくと、それを飲み込み言葉を待つ。
「なあ、あの二人ってもしかして」
「想像通り、二人は幼馴染ですよ」
当たり前に予想が外れる。
が、幼馴染と聞いてこの意味不明な状況の違和感はすぐに無くなった。
幼馴染ってこんなに仲の良いものなのか。
俺にも昔そういう存在はいたが中学で疎遠になってからもう声も顔もうろ覚えだ。
こんなに仲が良かったら忘れていないものなのだろう。
少し、羨ましい気持ちになる。
「元はと言えば俺以外の三人とも勉強できるのがおかしいんだよ!」
「へー火月って勉強できるんだ、なんか意外」
「まあまあな」
「何処が『まあまあな』だよ、授業は聞いてないくせに毎回先生からの質問は完璧に答えやがって」
「つっきー、火月は授業を聞いてないの?」
「火月さんは聞いてませんね」
「全く?」
「全く」
こいつらは本人を目の前にして失礼だとは思わないのか。
もし思っていないとしたら、こいつらの感性は人として欠落している。
そう思いながらも俺は我慢してミニトマトをつつく。
今日も弁当は相変わらず少し塩辛い。
これは何を隠そう千早が作った弁当だ。
千早の料理はいつまで経っても少し塩辛い。
原因は大体俺にあるのだろうけれど、そろそろ味見をして違和感に気づいてほしいものだ。
まあ、今となってはその味で無いと違和感を覚えるほど俺は舌が慣れてしまった。
料理は上手なはずなんだけどな、味付けでなにか問題が起こってしまうのだろうか。
「そういえば一周間経って火月の囲いも少なくなったね」
「そりゃ、『あれ』があったんだから当たりまえだろ?」
「月冴のおかげだな」
「からかわないでくださいよ!」
月冴はハリセンボンの様に頬をぷくっと膨らませそっぽを向いた。
わかりやすい怒り方だ。
さて『あれ』とは何か。
それは俺が転校してから三日後の昼休みに起こった事件、
俺たちの中での通称『月冴姫事件』のことである。
* * *
それは、気怠い四限の歴史が終わった後のことであった。
「神代君私たちと一緒に食べない?」
「いやいや、俺たちと学食を食いに行こうぜ!」
その日はいつもより大勢の生徒で俺の席の周りは賑わっていた。
話によれば、俺と同じクラスの生徒が友達やら先輩後輩やらに俺のことを話してしまい、それで興味を持ったやつらが集まってしまったらしい。
まるで、記念で動物園に運ばれてきたパンダになった気分だ。
俺は自分をコミュ障だとは思わないが、初対面の人と昼食をして仲良くなれるほど話せるわけでもない。
ましてや知らない女子と一緒に飯を食うなどもってのほかだ。
さあ、どうやって拒否しようか。
一応月冴たちと一緒に食べる約束をしているからそろそろ抜け出したいところなんだが、何か言い訳でもして抜け出そうか。
そうやって呑気に考えていると、生徒達の隙間から何か冷たい、氷の光線のような視線を感じる。
一応暖房は効いているはずなのに体が震えるように寒い。
妖怪の仕業か?
俺は周りを見渡しその根源を見つけようとする。
しかし、それは必要なかった。
なぜなら集団の奥には直継の席に座り髪の毛先に白い霜を付ける月冴の姿があったからだ。
表情は髪で隠れ、確認できないが側にいる直継と古水の見たこともない顔から相当やばい雰囲気であることが伺える。
「何故そんな雰囲気なのだろう」そんなことを考える余裕はなく俺は焦り周りを鎮静させようとした。
時間の無駄だった。
周りの生徒は互いに口論し合い教室は戦場と化している。
何でいつもこうなってしまうんだ。
俺をそんなに焦らせたいのか。
痺れを切らして席から立ち上がりこちらに向かってくる月冴の姿が見える。
その顔は笑っているが、明らかに心は笑っていない。
まずいまずいまずい、このままでは月冴が大量虐殺犯、もしくはかき氷製造機になってしまう。
さらに焦る俺とは裏腹に月冴は冷気を纏い今にも凍らせてしまいそうな右手を群衆目掛けて前に出した。
本当にまずいかもしれない。
慌てた俺は彼女を静止するため、
「月冴、待て!」
と思わず声を出す。
しかし遅かった。
月冴は右手で群衆の外側にいた女子生徒の肩を優しくポンポンと叩いた。
まるで、仏の様な笑顔と声をしながら月冴は話し、群衆の目は一斉に月冴の方へと向けられた。
周りの奴らはその意図が恐ろしいことだと気づいていないのか、ある者は月冴の異様な笑顔に胸を打たれ、ある者はとろとろと目を溶かし見ていた。
「なんですか……って月冴さん!? ど、どうしたんですか?」
「あの、すみませんが火月さんは私たちとお昼を食べるのでそこらへんにしてくれませんか?」
女子生徒の肩にはゆっくりと霜がつき始める。
しかし、気づいていないのか彼女は嬉しそうに道を開けた。
俺の目の前には仏の顔をした氷の王女が現れ、自分勝手に手を引いて俺を群衆から抜け出す。
そして、彼女は群衆にこう言い放つ。
「今度からは私を通して下さいね?」
おかげでその日から火月の囲いは減り、追加で月冴だけは怒らせていけないことを理解することができた、
もう絶対に月冴を怒らせてはいけない。
あの吹雪姫を召喚させてはいけないのだ。
彼女は人を平気でかき氷にしかねない。
こんな場所で苺味しかないかき氷屋を開かれては困るのだ。
めでたし、めでたし。
「全然めでたくないし、これは過度な偏向報道だろ」
「いやーあれは大事件だったな」
直継は他人事かのように絵空事を描いた。
まったく、他人のことは好き勝手言うくせに。自分のことは何も言わない。
本当に内情が読めないめんどくさいやつだ。
俺は呆れため息が出る。
「保健室の先生言ってたよ『この前風邪で保健室に来る人が多かった』って」
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうにする月冴を前に二人はニヤニヤと笑っている。
喧嘩してる時は微笑ましいが、こうなるとこのコンビは本当にうざったらしい。
まあこの事件があったおかげで一周間が経った今俺に言い寄る生徒は減りあの群衆ができることも無くなった。
俺からしたら月冴に感謝したいほどの事件だったが、本人からしたら思い出したくない歴史に変わりないはずだ。
「月冴、気にしなくて良いからな」
「はい……」
「まあでも、これで火月の人気は少し治ったんだから良かったんじゃない?」
「いやー? そんなこと無いと思うぞ」
直継は手を頭の後ろで組み口で棒状の菓子をコツコツと噛み砕きながらそう話す。
そういえば小学生の頃それで頭を打ち入院した友達がいたな。
「どういう意味?」
「簡単さ、姫様の現状を見てみろ」
月冴の現状?
月冴は直継の話によれば、入学時から女子でもときめいてしまうほどの容姿とスペックから人気を爆上げし、それは今でも続いている、らしい。
俺への視線が一部痛いのもそれが原因だ。
月冴は簡単に言えば扉江のアイドルである。
つまり、それの横にいる俺はよく目立つと。
「なるほど、そういうことか」
「そういうことだ」
古水と月冴はわからないのか頭を横に傾げ手に持った菓子をポリポリと齧っている。
「はあ〜本当天才は良いよな〜頭はいいし、モテるし、転校初日早々妖術師に誘われるし、ほんと漫画かよって感じ」
不貞腐れながら直継は平然と古水の弁当箱から卵焼きを取り出した。
天才か、地元にもそんなやつ数人はいたしそこまで珍しいことじゃないと思うがな。
それに英語や科学は月冴の方が十分できる。
しかも月冴はこの歳で月冴家という大きな家門の当主様ときたもんだ、俺の方が何千倍も……何千倍も……待てよ、妖術師?
「おい、直継今なんて言った?」
「『ほんと漫画かよ』」
「違うその前」
「『本当天才は良いよな〜頭はいいし、モテるし、転校初日早々妖術師に誘われるし』」
「なあお前……もしかして妖術師の事知ってるのか?」
「ああ、もちろん知ってるしなんならその妖術師だけど」
俺の驚いた様子とは対照的に他の三人はまるでそれが普通の事かの様に平然している。
これ、俺がおかしいのか?
だって直継が妖術師だったなんて月冴からは何も聞いてないぞ?
もしや。
「まさかつっきー、私たちのこと火月に話してない?」
月冴は一瞬固まり、その後それを思い出したのか口を卵型に開け箸を置いた。
きっと言い忘れてたんだろう。
表情がそれを物語っている。
「ごめんなさい言い忘れてました……」
月冴は俺の方に向き直すと申し訳なさそうに頭を深く下げた。
別に少し驚いただけだから謝るほどではないと思うが、月冴がそうしたいなら何も言ってやらないでおこう。
「大丈夫、気にしてないから」
「すみません、今から説明しますね」
落ち着くと、月冴は二人のことについて俺に説明をする。
簡単に省略して説明すると、直継と古水は月冴家の「分家」というものらしい。
先祖代々月冴家を支持する言わば側近の様なものみたいだが、定義は曖昧で妖術師の家に入ったらそう呼ばれるらしい。
つまり俺もその分家ということだ。
にしてもまさかこの二人も妖術師だったなんてな。
入ったばかりの身から言うが全然そんな感じはしなかった、馬鹿にしているわけでは無くて、本当に。
「大体終わりです、本当にすみませんでした」
「そんなに謝んなくていいよつっきー。間違いなんて誰にもあるんだから」
「そうそう、姫様でも間違えはあるよ」
その言葉を聞いた古水がギラッと鋭い目で直継を睨みつけると直継は焦り始め弁当の隣に置いていた水筒を勢いよく飲み始めた。
直継はこういうところが駄目なんだ。
もっとデリカシーというものを学んだ方がいい。
「そんじゃ、そろそろ火月にあれを話すか」
なんだろう、「数学を教えてくれ!」とかだろうか。
いや、冷静に勉強嫌いな直継がそんなことを言うわけないな。
直継は自分の席に戻り鞄の中からスマホを出して画面を俺に見せつけた。
画面には街外れのマップが写っており、あるところには赤色のピンが立っている。
「これは?」
「依頼だよ、お前が妖術師になってから初の仕事だ」
「……誰からの依頼なんだ?」
「依頼主には色々種類があるけど、これは政府からだね」
「へー政府か。早速内容を話してくれ」
「まかせろ、まずこのピンの場所が妖のいる場所だ」
ピンの場所を拡大すると「北村鉄工所」と書かれている。
近くは森に囲まれ、その外側に少し住宅があるだけの寂しい場所だ。
「ここ、鉄工所って書いてあるけど数年前に経営者だった爺さんが持病で亡くなって廃工場になっちまってよ」
「なるほど、それで妖が居着いてしまったってところか」
「その通り、話が早くて助かるよ」
確か月冴の話によれば妖は人の少ない暗く静かな場所を好むらしい。
森の中にある廃工場。
妖からしたらそんな場所最適な住処でしかない。
「情報によれば、その妖は『放狼放浪』らしい」
「放狼?」
「群狼とも言って、群れを成した狼の妖です」
何とも、話だけ聞けばあまり強そうな感じではなさそうだが群れか……どれほどの数その工場に住み着いているのだろう。
名前の通り沢山居るとか辞めてくれよ。
生憎だが俺は犬が好きではない。
原因は昔家の近くにいたドーベルマンの『ベルちゃん』
幼稚園の頃遊びに行く際何回あいつに泣かされ追いかけ回されたかは忘れもしない。
お陰様で、今はチワワでも触れないほど犬がトラウマになってしまっている。
そんな俺が狼相手にやれるだろうか。
自信はあまり湧かないな。
「浮かない顔ですね、あまり無理をしなくても良いですよ?」
月冴は俺の顔を見ると心配そうな表情をしてそう言った。
浮かないといえばそうだが、これは俺が妖術師になって初の仕事、やらない訳にはいかない。
「大丈夫、絶対やる」
「そのやる気さえあれば充分だぜ!」
「そうね、火月は直継と違って優秀だから」
「何だと〜?」
「何よ」
こいつら、本当に仲良いな。
それから俺と月冴はその夫妻芸を止めはせず、二人でゆっくり昼食を楽しんだ。
月冴の弁当は大きい家の割には質素で、栄養に気を遣った料理ばかりだった。
こう見えても月冴家は節約家なのかもしれない。
確かに月冴の性格から考えてみればあまり贅沢を好みはしないだろう。
さて、転校してから一周間が経ち今の生活にも慣れてきた。
色々あって妖術師になったりもしたが、本当にこれで良かったのだろうか。
今更考えても遅いが、未だこの現状を理解し切ることはできない。
時間が経つと共に慣れていくだろうか。
そんなことを考える今日この頃である。
そういえば、月冴はあの時なんであんなに不機嫌だったんだ?
もしかして俺がまた何かしたのか?
また、疑問は増える。




