第四話 自分の決断
昔々、あるところに色白でやんちゃな子供と、体中に絆創膏ばかりつけた二人の子供がいた。
片方は何でも容易くこなす言わば天才、もう片方は失敗を恐れない言わば努力家。
そんな二人は側から見ればお互いを罵り合う存在の様に見えるが、それとは対照的に二人はお互いを尊敬し合う親友以上の存在であった。
そう、「あった」のだ。
これは数ヶ月前の話だ。
天気は曇りで空気が淀み、辺りは不気味で恐ろしい。
そう表現できるだろう日、俺たちは学校から自転車に乗って帰宅していた。
もちろん電車もタクシーもない。
あったとしても無人で毎日同じ場所をぐるぐると回っている市民バスぐらいしかない小さな街に住む俺たちは、こうやって毎日自転車で登下校をしている。
田舎市民からしたらこんなこと日常茶飯事だ。
「あ〜今日も可愛かったな〜智子さん」
「またその話か」
「何度も話せるほど話題が尽きないんだよ、隣の席だと」
少年は鼻の下を伸ばしながら何かを想像し始める。
学校のマドンナ智子さん。
少年はとうとう念願のその人と隣の席になったのだ。
俺の工作をへて、だがな。
「智子さんね、皆んな言うがあれのどこがいいんだ?」
「良いだろ! あの小さな顔に華奢な体とでかい胸、誰でも好きになるだろ!」
こいつ、真剣な表情をしながらとんでもないことを言っていることに気づいてないのか?
周りにまだ一応生徒も残っているんだが。
俺は呆れながら坂道をビューッと駆け下りていく。
この先の駄菓子屋で暇を潰すのが学校終わりで疲れた俺たちのルーティンだ。
「婆ちゃんもんじゃ二つ」
「はいよ」
四十五度ほど曲がった腰にシワシワの手を置きながらお婆ちゃんは暖簾の奥へと進んで行った。
ここは昔ながらの駄菓子屋。
もちろん駄菓子もあるが、ここの名物は安くて具の多いもんじゃ焼きである。
「なあ、石咲石碑の噂知ってるか?」
少年は水を一気に飲み干し机にゴンッと音を立てて置くと周りに聞こえないほどの小声で俺に話し始めた。
「あれだろ、石碑にお供え物をすれば願いが何でも叶うってやつ」
「そうそう! 周りに興味を示さない火月でもこれは知ってるんだな」
周りに興味を示さないだと?
失敬な、俺でも最近四組の岡田と三組の松川が付き合ったことだって知っている。
……岡田じゃなくて野田だったかもしれないな。
ともかく、俺のことを無知だと馬鹿にするのも良い加減にしてほしいところだ。
目の前に置かれた水を一気に飲み干す。
「そんで、それがどうしたんだよ。もしかして『智子さんと付き合える様にしてください神様!』とでもお願いする気じゃないだろうな」
「そのもしかしてだよ」
ますます馬鹿だな。
俺は大きなため息をつく。
そんな迷信じみたことなどあるわけがないに決まっている。
元々、神頼みなどしてもほとんどは自分の行動次第で全てが決まってしまうこの世の中なのだ。
でも、こいつだけではなく他の人間も騙され馬鹿みたいに行動に移してしまうということは現実。
昔父さんも「願掛けほど人を動かすものはない」とかなんとか言っていた。
別に神様を信じていないわけではない、ただ不特定な者に頼み事をするやつは馬鹿なやつだと言っているだけだ。
「帰る」
「いいじゃん親友の頼みだろ〜お願い! この通り!」
座布団に額を擦り付け綺麗な土下座を見せた。
いつもの決まり文句の登場である。
これに何回騙されたことか、こいつは土下座の意味というものを知らない。
呆れながらため息をつく。
「わかったから顔を上げろ」
「いいのか!?」
「だが、俺がどうやったらついて行来てくれるかわかるよな?」
「はい、もんじゃは俺が奢らせてもらいます」
「いいだろう」
辺りにはソースの匂いが漂い、熱々で味の濃そうなもんじゃ焼きが俺たちの目の前に置かれる。
美味しそうなのでゆっくり食べたいところだが、目の前の金づるが急かすのでそれを数十分で食べ切り、俺たちは目的の場所である石咲石碑へとペダルを漕ぎ出した。
石咲石碑はここから少し離れた竹林の中に置かれたまあまあ有名な石碑だ。
俺たちも子供の頃「探検だ!」とか言って何度か訪れた身近な場所である。
だが、今の時期はまだ凍えるほど寒い季節であり日が落ちるのも早い。
その石碑に着いた頃には辺りも暗く街灯もつき始めていた。
「おい、急に止まるなよ」
「止まるなって。お、お前怖くねえのか?」
俺は少年の言葉に頷きながらスマホでメールの確認をする。
相変わらず返信はないが、既読はついているので俺が遅くなることはわかってくれているだろう。
あいつは中二ながら俺よりも頭がいいからな。
悲しくなるよ。
もっと奥に進むと竹林の中央に例の石碑が現れた。
身長が高い方の俺でもてっぺんに触れないほど石碑は大きく、周りには山などでも見られる積み石がある。
何とも不気味だが、よく訪れていた場所なのでさほど驚きもしない。
一応こいつも何回かは来てるはずなんだけどな……
「ほら、着いたぞ。やるならさっさとしてくれ」
「わーかってるよ、恥ずかしいから回れ右して離れていてくれ」
「はいはい」
少年は石碑の前に駄菓子屋で買った菓子を置き、手を合わせて願掛けをし始める。
駄菓子なんかでお供物になるのか?
と、一応俺はここに来る前質問したが、話によればお供物は何でも良いらしい。
なんとも安上がりな神様だ。
暇だと考えスマホを取り出し、ゲームでもしようかとする時ここが圏外であることに気がついた。
確かにここは町から少し外れた竹林の中だが、圏外になるほどでもないはずだ。
それに、空がさっきから異様に暗く思える。
天気予報では曇りまでで雨にはならないはずなんだが、さっさと引き返さなければ雨が降ってしまいそうだ。
段々と竹どうしが風で擦れ合う音がデカくなっていく。
さすがの俺でもそろそろ不安を感じ始めた頃、急に土砂降りの雨が降り始め一歩後ろに足をやると水たまりに足を突っ込んだのかグチャと音が鳴った。
視界も悪く酷い雨だ。
雨はここ一週間のうちで一度も降っていないのに急に降ってくるなんて、なんとも俺たちには運がない。
「はぁ……おい、まだか」
俺は腕で雨粒を防ぎながら少年に声をかける。
だが、少年の声は聞こえてこない。
そんなに集中して祈っているのだろうか。
「何も言わないならお前のその真剣な表情を写真に収めてやるからな」
少年は何も答えない。
雨音にかき消されている、それとも願掛けに集中し過ぎて意識が飛んでいる。
どっちでもいい。
嫌気がさして俺はスマホでカメラアプリを開き、少年の方にスマホを向けた。
しかし、それを見た瞬間俺は声が出なくなる。
スマホの画面には血だらけで石碑に寄りかかり左目を抉り取られた少年の姿があった。
腰が引け、俺はその場に倒れ込んだ。
喉からは嫌な感覚が込み上げてきてその場で嘔吐をする。
衣服は少年の血と雨でぐちゃぐちゃになり、口を拭った右手の中にはまんまるで綺麗な茶色の目ん玉が一つあった。
「冗談だろ?」
震えが止まらず、目の焦点も合わない。
その現状に信じられず俺は何度も目を開閉させる。
これは夢だ、冗談だ。
その考えは一瞬でなくなりすぐに現実だと理解した。
俺が、やったんだ。
そこからの記憶はない。
話を聞くには俺が救急車と警察を呼んで、文脈も語彙力もないおかしな言葉で状況説明をしたらしいが、誰も俺から状況を理解することはできなかったという。
しかし、なんとか警察は俺の居場所を突き止め、現場にあった二つのものから状況を成立させた。
それは俺が手に持っていた少年の眼球と石碑近くの竹藪に落ちていた刀だ。
最初「俺は刀など持って来ていない!」と猛講義をしたが、「気が動転して覚えていないだけ」と軽くあしらわれもちろんあの時間帯に他の人間は近寄っておらなかったため警察は適当に軽い刑をつけ俺を犯人として事件を収束させた。
少年は目を覚まさず、証言を聞くことはできなかったらしい。
今考えてみれば、警察はこれの裏で起きていた「某病院の同時爆破テロ予告」の方に手一杯だったのだろう。
きっと、早く事件を収束させたかったのだ。
それから俺は少年法により重い罰からは免れることになった。
だが、地元では暮らせて行けるわけがなく転校を余儀なくされた。
俺は少年や友達に何も言えず、妹たちは仲の良かった友達達と離ればなれになり予定されていた大会にも出場することができなくなった。
全て狂ってしまったのだ。
俺のせいで。
俺が、あの時あいつを止めて帰っていれば。
なんて今考えても救いようがない。
* * *
「あなたは何もしていないのに……」
あの時は妖怪の存在など考えている時間も脳も無かった。
周りに言える人など誰もいなかったし、俺は自分が犯人であることに納得するしかなかったのだ。
話を再度聞いた月冴は申し訳なさそうな表情をして上着をギュッと握りしめた。
本当はこんなことなど話させたくはないのだろう。
俺が月冴の立場だったら逃げ出してしまいたい気分だ。
でも、そんなことがあったって俺の意思は揺るがない。
「それで、これが妖怪のせいだったと、そう月冴は言いたいんだな」
月冴は頷き、あるものが映るスマホの画面を俺の目の前に突き出した。
スマホの画面には大きな白い布の上に乗せられた一刀の美しい刀が飾られている。
俺はその刀に見覚えがあった。
「この刀は?」
「この刀は『極夜』江戸から伝わる妖刀で、あの事件の際凶器として押収されたものです」
やっぱりそうだ、これはあの時警察に見せられたものと同じものだ。
月冴は続けて話す。
「これは無くなる一週間前に警察署で撮られた写真です」
「無くなる一週間前……どういうことだ?」
「極夜は、警察が厳重に保管していたにも関わらず突如姿を消したんです。そして次はこの東京で刃傷事件が発生しました」
「刃傷事件?」
「はい、火月さんはこちらに来たばかりなので知らないと思いますが、東京では今、何者かによる刃傷事件が相次いで起きています」
あいつを傷つけたのもこの街で刃傷事件を起こしているのも、どれもこれもが同じやつのせい。
じゃあ、俺はその妖にしてやられたということか。
事件の起きた日、近くの竹林から極夜が見つかったという話を警察から聞いたが、確実に俺は極夜という刀など持ってあの場所には向かっていない。
証拠として、もし俺が刀なんて持っていたら学校から石咲石碑までの途中で確実に捕まっているはずだ。
それに元々置いていたとしてもそれを取りに行く余裕などなかった。
……月冴の言う通り、本当にあの事件の犯人が俺ではなく全て妖の仕業なら、もちろん全て辻褄が合う。
しかし、これで犯人が妖だったとしても何かが変わるわけでもない。
あいつも、妹も、皆んな妖怪なんぞ見えないし信じもしない。
妖を退治したとして、その後の現状は変わらないのだ。
正義感なんてものも生憎俺は持ち合わせていない。
俺が妖を退治する理由なんてない。
だけど、あいつらの人生を変えた「黒幕」……か。
辺りは静まり返り、あの日と同じ様な肌寒い風が再び俺と月冴の間を通り抜ける。
さっきまでの和気藹々とした空気が偽りかのように思えるほど、俺たちの会話は無くなった。
大体五分ほど過ぎた頃、寒さに耐えかねた俺たちは近くの休憩所で休むことにした。
自販機で買った暖かいお茶を月冴に渡すと、月冴はそれを膝の上に乗せて雪の様な白い手で包み込む。
このまま時間が過ぎてうやむやになったら良い。
なんて考えていたがきっとこいつは俺がイエスと言うまで話す気はないだろう。
普通は当主様が、直々にスカウトなんてするもんじゃないと思うんだがな。
深く考える俺の横で月冴はくしゃみを二回する。
そろそろ暖かい場所に避難しないと二人とも凍死してしまいそうだ。
……はぁ、これだから春は嫌いなんだ。
「……保険はあるんだろうな」
「え?」
月冴は俺の発言にわかりやすく素っ頓狂な顔をし、瞳をパチパチとさせた。
「保険」というワードが悪かったのだろうか。
何を言っているのかわからない顔をする月冴にもう一度言う。
「だから、金は弾んでくれるんだろうな」
「つまり……妖術師になってくれる……ということですか?」
「…………そうやって、言ってるだろ」
段々と目が大きくなっていき、さっきまでは真っ白だった頬がりんごのように赤くなる。
今にも泣きそうな顔だ。
なんだかチワワみたいだな。
そうしたのは俺だが、申し訳なさなど湧かない。
「本当の本当ですか?」
「ああ」
「ありがとうございます! やったやった!」
月冴は雪兎の如くその場で跳ね上がった。
親の収入だけで生活するわけにもいかないし、前々からこっちに来たらバイトをすると決めていた。
結果的にアルバイトではなく正社員になったわけだが、まあこんなに喜んでくれているのだ、もうそれだけでいいだろつ。
喜ぶ月冴の横で重くのしかかった息を吐く。
「でも、二つ条件がある」
「なんなりと、保険のこともお金のことも私たちに任せてください!」
自信満々に月冴は言った。
そこまで自信ありげに言われても結構困る。
だが、月冴が自分から「なんなりと」と言ったんだ、遠慮はいらない。
「条件は二つ。一つ目はさっきも言ったが保険金のことと収入のこと。将来のことを考えて収入を増やして欲しい」
「わかりました、それぐらいならお安い御用です!」
これほどのことがお安い御用なのか。
感覚がよくわからなくなるな。
「そして二つ目は?」
「二つ目は、俺にその極夜を殺せて欲しい」
「つまり、『一人で復讐させて欲しい』ということですね」
「言ったらそう、俺はあいつらがこうなった現状を許せていない気がするんだ」
あいつは今も左目は使えない。
妹は全国大会を逃した。
父さんは俺たちのために仕事場所を変えてまで必死で働いている。
みんな、俺のせいでこうなった。
じゃあ俺には何ができる、そう考えたら頭の中には「復讐」の二文字しか思い浮かばなかった。
実に、単細胞な脳だと自分でも思う。
罪滅ぼしになるなんて思っていない。
だけど、今はそれしかない気がする。
「駄目か?」
「……正直に言うと、一人であの妖と戦うことは私が絶対に許しません」
「そうか……やっぱり駄目だよな」
「駄目です、危ないですから」
「本当に」と言わんばかりに月冴は俺の方を凝視する。
どうやら、俺は無意識的に釘を刺されてしまったみたいだ。
「でも、私はあなたの意見を尊重したいなとも思っています」
「つまり、どうなんだ?」
「つまりですね……」
月冴はベンチから立ち上がり柵の方まで歩いていく。
日は沈み始め辺りはすでに暗い。
柔らかい風が吹き、月冴の髪とブレザーが揺れる。
長い髪を耳に掛け、髪を整える。
俺の視界には月冴のその姿しか映らない。
数秒して月冴はこちらに向き返る。
「私が、私が絶対に火月さんから目を離しません」
月冴は自信のこもった表情で風に吹かれながらそう言った。
頼もしいと思った。
俺はこの人なら信じても良いと、初めて感じた。
だが、
「ぷっ」
「ちょ、ちょっと火月さん、なんで笑うんですか。今いい所だったじゃないですか」
「ごめんごめん、ついな」
そんなの、月冴のために貯めた言葉があまりにも拍子抜けだったからに決まっている。
「火月さんから目を離しません」って、それは飼っているペットか自力で動くことができるようになった赤ちゃんぐらいにしか使わないだろ。
まさかそんな単語をこの空気感の中で繰り出すなんてな。
今までの重たい空気が一気に消し去り、辺りは前までの和やかなベールに包まれた。
俺は笑いで出た酸素を取り戻す様にして深呼吸をする。
何度も何度も思い出して笑ってを繰り返しやっとのことで落ち着いた。
どうやら俺の答えは決まったみたいだ。
「わかった、やるよ。俺は妖術師になる」
「はい!」
月冴は嬉しそうな表情をしながら両手でガッツポーズをし、さっきまで雪の様に白かった顔と手を真っ赤に染め上げ俺の手を握った。
ただ俺は妖術師の仕事をすると言っただけなんだけどな。
そう思いながらも俺は月冴が喜んでくれて自分の心が少し軽くなるのを感じた。
きっと、これからはわからないことだらけできっと俺が傷つくことも増えていくだろう。
でもそれは今までと同じ、俺は変わりなく自分のすべきことをするだけだ。
妖から街を代々守り続けている江戸名家「月冴家」
そんな、由緒正しき名家の元で今日俺は『妖術師』として働くことになった。
いつ、あれを殺せるのか。
我儘で自分勝手な今の俺の目標は「復讐」ただそれだけである。




