第十一話 やる気のない勉強会
「かぁー美味かった」
卓上に並べられた料理を平らげた直継はそう言って畳の上で大の字になった。
確かに月冴の作った料理は美味しかった。
が、あの量をほとんど一人で食べてしまうとは、直継の胃袋は末恐ろしいな。
俺は自分と千早の食器を片付ける。
「寝ないでよ、こっからが本番なんだから」
「わかってるって、これはその前のエネルギーチャージ」
エネルギーチャージにしては燃費が悪すぎやしないか。
まだ一時間も勉強していないのに……直継には困ったものだ。
「月冴お姉ちゃんのお料理美味しかったね」
「そうだな、美味しかった」
「ふふ、ありがとうございます。良かったら今度お教えしましょうか?」
「いいの?」
月冴はまるで大仏かの様に微笑み頷く。
もちろん千早の作る料理も美味しいが、その料理が月冴レベルまでに上がったらもっと美味くなること間違いなしだろう。
それはそれは一人の男子高校生がほぼ全てを一人で平らげてしまうぐらいにはな。
「直継さん、これ片付けてもいいですか?」
「おういいぜ」
「お姉ちゃん手伝うよ」
そう言うと甘夏は立ち上がり机の食器を持って台所へと歩いて行った。
そうだ甘夏。
俺は今日月冴に甘夏のことをもっと聞く予定だったんだ。
この場には直継を真似して寝転ぶ千早とそれを優しく見守る古水の三人だけ。
千早はいるが、別に聞いても良い内容のはずだ。
「なあ、甘夏って……」
「あまなっちゃんは月冴家の養子なの」
俺が甘夏のことを聞いてくると予想していたのか、古水はすぐさま回答を出してくれた。
月冴家の養子……つまり甘夏は月冴の本当の家族でも妹でも無いってことか。
でも甘夏は月冴のこと本物の姉の様に慕っているような気がした。
これからは甘夏の前でこう言う話をするのはよした方が良いのかもしれない。
誰にだって聞かれたくないものはある。
きっと甘夏はあまり望まないはずだ。
「そうだったのか」
そう呟き俺は持ってきたトートバッグから教科書を出し机に置いた。
話を切って、テスト勉強の方に話題を移し替えようとしたのだ。
しかし、それを無邪気な天使は切り裂いた。
「ねえねえ、養子って何?」
千早は元気な声でそう言い古水の服を引っ張る。
小学六年生の千早にとってはわからない単語ほど興味をそそられるものはない。
はぐらかすべきか、それとも素直に説明して納得させるべきか。
珍しく、俺はこの状況に動揺していた。
「えーとだな……」
頭の中で色々な思考が巡り回るが正解が思い浮かばない。
古水はというと何も言わず、ただ落ち着いて焦る俺の方を見つめている。
「養子ってのはつまり、それは月冴みたいなやつが育てた人って意味でな、その……」
「なんの話ですか?」
食器を戻した二人はずかずかと自分の座っていた元の場所に戻り俺の方を見た。
なんてタイミングなんだ。
このままでは甘夏に養子の話が知られてしまう。
どうにかしなくては、まずは千早を何処かへやるか?
いやそれだと不思議がられてもっと興味を持ってしまう。
じゃあ反対に甘夏を連れ出す……と、今度は月冴に何か言われそうだ。
だったら、
「これはな甘夏、ちょっと人生の話をしていてだな」
「違うよ養子は何なのかって話だよ」
「……」
千早の言葉に甘夏は俯き黙り込む。
やってしまった。
千早が純粋過ぎた故に選択肢を見誤ってしまった。
ここまでの態度を取ると言うことは甘夏にとってこの養子という言葉は嫌なものであるに違いない。
こればかりは何を言われても仕方がない。
話を広げるべきではなかった。
しかし、俺と千早を置いてけぼりに他の皆んなは口を隠したりそっぽを向いたりして何かを隠している。
何をやっているんだ、こっちは危機的状況にあるってのに。
……いや待て、俺はさっき甘夏の前で養子という単語を出したよな?
それなのになんで甘夏は何もそこには反応しなかったんだ?
俺は再び甘夏の方を向く。
顔は耐えられそうにない。
「火月さん、葵祢ちゃんは全然気にしていませんよ」
月冴が申し訳なさそうに言った後他の奴らは我慢から解放されたのか豪快に笑い始めた。
直継と古水が俺に何のフォローも入れなかったのはそういうことらしい。
直継は寝転がりながらジタバタして、古水は机を叩き、甘夏は後ろを向いてクスクスと笑う。
あの状況で気を使わない方がおかしいに決まっている。
こいつらもしかして最初から俺をはめる気でいたんじゃないだろうな。
段々とフラストレーションがたまる。
「火月ごめん、あんたが珍しく焦っているもんだから面白くって」
おいおい確かに俺が焦ることはあまりないがこれは酷過ぎやしないか。
なんだか腹が立ってきた。
こいつら、俺の心配を踏み躙りやがって。
「もう知らん、あとはお前らでやれ」
「先輩ごめんなさい、私は心配してくれて嬉しいと思っています」
甘夏……
普段クールでおかしな後輩だと思っていたが意外にもそういうことを言えるやつなのか。
今までのイメージは変更した方が良さそうだ。
少し、甘夏のことを見直した気がする。
「まあ、面白かったのには変わりないですけど」
「帰る」
その後、なんとか機嫌を取り戻した俺は勉強会を始めた。
甘夏は数学と英語が少し苦手、古水は国語の登場人物の心情を解く系が苦手の様だったがそれ以外はそこまで悪いものではない。
というかそのそれ以外だけで悪い方の点数を賄えるほど、他の教科は点数が高かった。
だが、本当の問題はこの二人ではない。
藤原直継、こいつほどやばいやつは初めてだ。
学年で二百名ほどいる生徒の中で下から二番目。
古水の話によれば一年の時にビリ欠を取ったこともある大化け物。
なんなら妖よりもやばい相手なのかもしれない。
「なあ直継、この『ルート』って知ってるか」
「コースみたいなものじゃないのか?」
「合っていますが会っていませんね」
このレベル、どうやったら修正することができるんだ。
いくら数学だと言っても中学生の頃覚える範囲なんだぞこれは。
はぁ、先が思いやられる。
こうなるならいっそのこと少しづつ教えていればよかった。
まさかここまでとは思っていなかったのだ。
しかし、約束は約束。
俺は何とか直継と古水、甘夏の勉強の面倒を見ることに決め、結局それからニ時間が経過した。
「終わった……」
「お疲れ様です皆さん。三時ですし、昨日作っておいたお団子持ってきますね……火月さんお茶はいりますか?」
「ああ、頼む」
月冴は立ち上がり、唯一自分と俺の空になったコップを持って台所へとまた向かって行った。
気が利くやつだ。
流石名家の一人娘、こういう接待には慣れているのだろう。
今この場所には俺と直継と甘夏、台所に行った月冴しかいない。
古水と千早はというと、廊下の奥にある客間で昼寝をしている。
丁度二十分ほど前、気がついたら寝ていた千早を古水が嬉しそうに寝かしに行ってそのまま帰って来なくなったのだ。
まあ、帰って来なくなったと言っても一緒に布団をしきに行った月冴によると「二人ともぐっすり」ということらしい。
「久しぶりに頭使ったら体動かしたくなってきた……なあ葵弥、一戦どうだ?」
「嫌、私まだ勉強する」
「まだすんのかよ……じゃあ火月」
「すまん、俺もこのあとちょっと行くところがあるんだ」
俺はズボンのポケットに入れていた小さな鍵を直継に見せつけた。
それを見るとたちまち直継は顔をニヤけさせ、何があるかわかっているのか言葉を吐いた。
「なるほど、菊一さんも中々厳しい人だな」
「厳しい?」
「こっちの話だ、そんなことよりお前武器が無いんじゃないのか」
武器か。
ああそういえば、鉄工所で直継から貰った刀は燃やしてしまったんだった。
確かに菊一さんは「練習にちょうど良い相手が欲しいな」と言ってこの鍵を渡してきたのだから実践的な特訓であるのは間違いないと思うが、何故こいつはこの鍵を見て武器が必要であるということを知っているんだ?
俺は初め菊一さんの言う「練習にちょうど良い相手」は直継のことだと思っていた。
しかしこいつの言い素振りからしてそれはない。
もしかのもしかしてもじゃもじゃさんだったりするのだろうか。
「武器は、ない」
「だろうな、じゃあこの俺が直々にその武器を見繕ってやろう」
「……なんで先輩こっち見るんですか」
なんでって、直継の言っていることが信じられないからに決まっているだろ。
こいつのことだ、大体のことはどうせ口だけなはずに決まっている。
「お前今心ん中で俺の悪口言っただろ」
「言ってない」
「何のお話ですか?」
月冴が盆を持ちながら俺たちの話に割って入ってくる。
盆の上にはお茶の入った二つのコップとあんこの乗った団子が八つ。
団子は山状に置かれ店で作られたかのような輝きを見せている。
千早と古水には悪いな。
「聞いてくれよ、火月のやつ俺が選んでやるって言ってんのに信用しないんだ」
月冴は直継の言葉を聞いてふふっと笑い団子の乗った盆を机の上に置いて俺の目の前に座った。
お嬢様らしく、わざわざ正座までする。
「直継さんは確かに少し頼りなく見えますが、妖術師の実力ではこの月冴家で一番なんですよ」
「私も認めたくはないですけどね、中々やりますよ」
こいつがこの月冴家という組織の中で一番強い。
そうか、こいつがこの家の頂点なのか。
怠惰で勉強ができないが一番強い。
そんな言葉を聞いて俺の体は震え上がった。
何か、妙な感覚が俺の中で鼓動する。
普段は馬鹿で能天気な野郎だが、この二人が言うくらいなのだから実力は本当に違いない。
果たして直継に今の俺は通用するのだろうか。
いや、考えなくてもわかる。
俺に今のこいつと張り合えるほどの力はない。
だけど……少し興味が湧いてくる。
今の力をこいつにぶつけてみたい。
「……ちょっと先輩燃えてますよ!」
「力、力を抑えろ!」
「え? ああ」
俺の右手には燃えた団子。
無意識に妖術を使っていたのか。
そのまま焼き消し、落ちた灰を拾う。
やはりまだ力の制御ができていない。
どうも感情が出ると発動してしまう。
やはり妖術のトレーニングはもう少しする必要があるな。
「火月さん大丈夫ですか、まだお団子はありますからね」
「いや、もういい。それより直継、その武器の場所に連れて行ってくれ」
「なにもう行くのか?」
直継は俺の溢れ出す好奇心を理解したのか持っていた団子を一気に抜いて食べ、こっちについてこいと言わんばかりに手招きして玄関の方へと向かった。
月冴家一の実力者が選ぶ武器と言われればそれは興味が湧く。
「月冴、せっかく作ってくれたのにごめんな、後で食べるから」
「大丈夫です。それよりも頑張ってくださいね」
頷き、玄関の扉を開け直継の隣を歩きながら目的地に向かった。
また月冴に悪い事をした。
せっかく作ってくれたのに、食べもせずしかも燃やしてしまうなんて。
俺はしゃがみ靴の紐を結ぶ。
この分も今度の水族館で償おう。
* * *
直継は何処に行く気なのだろう。
刀の置き場所と聞いて最初に思い浮かべるのは菊一さんがいた部屋のような屋内だと思うのだが、ここから直継が家の中に入る気でいるとは思えない。
「それにしても勉強会って良いもんだな、美味しい飯は食べれるし勉強は教えてもらえるし、一石二鳥だ」
「その言い方、お前ら今まで勉強会とかした事ないのか?」
直継は乾いた笑いをしながら手をひらひらとさせる。
「無いよ。なんならお前が来るまでほとんど仕事上のことしか話したことなかったし」
「御代ともか?」
「御代は幼馴染だし、一応少しは喋ってた」
おいおい流石に冗談だろ。
一応仕事上の上司だと言えど同じ学校だったら少しは話したりするもんじゃないのか?
それに二年になってからは同じクラスだったわけだし話してないと言うのはおかしい。
「……嘘はついてないぞ、俺は本当に話してなかったし。というかこれに関してはお前の故郷の感覚がおかしい」
そう言う直継の返答に俺は何も言葉を返せない。
だって俺たちはまるで家族の様に全員仲が良かったから、誰かと話したことがないなんてことはなかった。
都会ではそういうものなのか。
「そういえば極夜について進捗はあったか」
「無いな、最近は警察も組織を解体したようだし」
「組織を解体?」
「ああ、今は一人だけで捜査しているらしいぞ」
一人だけであの事件のことについて捜査だなんて。
警察の幹部どもはどういう脳みそをしているんだか。
お偉いさんは体も頭も古腐ってるんだろうな。
警察など信用する方が馬鹿だ。
「さて、着いたぞ」
目の前には気づけば大きな倉が見えていた。
扉には錆びれた鉄の南京錠がついていて他に入れるような扉や窓は見当たらない。
直継の方に目をやると俺の腰元を見たあと扉の方に首を振って「やれ」と言わんばかりにした。
まさかこの鍵はここのものなのか。
鍵穴に鍵を入れると綺麗に入り九十度ぐるりと回って外れ落ちた。
中は意外にも綺麗で、埃は無く物も整理されていた。
月冴家の掃除係さんは相当優秀みたいだ。
入ると直継はその物の場所へと一直線に歩いて行き、トレジャーハンターみたいに多数の荷物の中からそれを出し俺の足元に置いた。
気成色の桐刀箱には白い柄とは対照的に綺麗に輝く漆黒の刃がある。
「これは『榊薙』元々は葵祢の武器だったんだが能力的に合わなくてな、他の武器にしたんだ」
「……重いな」
「あの打刀と違って重い金属を使ってるからだろうな、俺はそれが何なのかわからないけど」
わからないのかよ。
刃を鞘にしまいながら心の中で呟く。
それで練習相手とやらは何処にいるのだろう。
直継ではないのは確か、この中にあるどれかが俺の相手になるということなのだがそのようなものは見当たらない。
それにさっきまで居た直継の姿がない。
目の前には一つわかりやすく折り紙で作られたカラフルな箱が長机の上に載せられてある。
「何だこれ?」
俺は箱に手をかざした。
後日、これが月冴菊一による最後の試験だったなんてことにこの時の俺が考えつくわけもなく、俺は新たな試練へと進んだ。
最も知っているものと出会うことになる、オリガミボックスに。




