サボテン ~So nutrient~
雨の匂いを感じる生暖かい風。
こんな夜に彼はどこに行ったの?
窓際でサボテンは黙ったまま…
私は一人っ子で両親から愛されて育った。
家は地元でも繁盛している飲食店をやっていて、パパもママも学校から帰ったらお店にいた。
「ただいま~」
私はそこのテーブルの一つでいつも宿題をしていた。パパもママもその様子をニコニコと見守ってくれて、私の学校の様子や、今日何があったのかをいつも聞いてくれた。
地元のおっちゃんやおばちゃんも開店前であっても店に入って来て、私にお菓子をくれる。近所に住んでいる人も好きだったし、そんなお店を開いているパパとママの事も誇りに思っていた。
家や学校、地域の人からは愛を十分に与えられて、反抗期などは無く幸せな幼少期、青年期を過ごした。大学で一人暮らしを始め、大学2年。私は生まれて初めての感情、渇きを感じる。
それは恋心。
人生において随分と遅い初恋。大学の文化祭で同じ運営委員会になった彼。会話は事務的なことが中心であったが、どうしてもその彼ともっと話したい。もっと仲良くしたい。もっと一緒にいたい。
その男性の趣味が映画鑑賞だと聞き思い切って映画に誘う。…が、
「え?俺は別に映画好きじゃないよ?」
誤った情報を掴んでしまったようだった。あまりのショックにあわあわしていた時に、
「ふふ。いいよ。明日だっけ。一緒に見に行こっか。」
彼が2人でのお出かけ了承してくれ私は天にも昇る気持ちになった。
翌日。私はバッチリ服装とメイクを決め、待ち合わせの場所に30分前に到着する。彼は約束の時刻からちょっと遅れて到着して
「お、早いね。じゃ行こっか。」
「は、はい。」
私が誘ったのに私は緊張してあまり話せずにいた。彼はそんな私をリードしてくれて、彼が少し先を歩いて映画館に向かう。バスに乗って横並びに座る。とても近い彼との距離にドキドキする。会話も並行してやり取りすることは難易度が高く、口数がかなり少なくなってしまっている。彼はそんな私に対して
「はは。緊張してる?」
「う、、うん。」
優しく接してくれる。バスが映画館近くで停まり降りる時には私の手を握ってくれて引いてくれた。そのまま映画館の中へ。飲み物を買い、映画館の後ろの方の席に座るが繋がれたままの手に私はドキドキしていて、映画の内容がほとんど入って来ない。映画のスクリーンの明かりが彼の横顔を照らす。その整った顔立ちに、、うわ!目が合った!
私はすぐに目を逸らして下を向く。間違えた!前を向き映画に視線を向ける。視界の端で、彼が私の顔を見ているように感じる。
「映画面白かったね。」
「そ、そうね。」
映画が終わり、そろそろお別れかなと思っていた時に、
「夕食行く?」
「え…あ、はい。行き…ます。」
彼が誘ってくれたので、近くのファミレスに入る。しっかり見ていなかった先ほどの映画の感想や、文化祭の準備の話、大学の授業やサークルの話。緊張がまだ残り、けっして会話は弾んだという訳ではないが、彼が会話をリードをしてくれていた。私が彼を誘ったのに申し訳ない気分であった。
ファミレスを出てから彼は私の手を繋ぎ、
「じゃ…行こっか。」
「え?…うん。」
そのまましばらく歩いて、人通りが少なくなり、ホテル街を歩く。そして2軒のラブホテルを通り過ぎる。私はえ?え?と戸惑う。彼の家がこの家の先なのかな?今日初めてのデート…とも言えない映画鑑賞だし、私にはそのような経験どころか、キスをしたことも、彼氏がいたことも無い。彼はそんな不誠実な男性では…
彼はすっと当たり前であるかのように手を引いて3軒目のラブホテルに入る。慣れた様子でパネルのボタンを押して、鍵を受け取りエレベーターに乗る。ファミレスからは一言も言葉を交わしていない。3Fに着いて、いくつかの部屋を通り過ぎてから、左手のドアをがちゃりと開け、私を部屋にぐっと引っ張り込んだ。そして、私を抱き寄せてキスをしてきた。
「ま、待って、食事して歯磨きとかしてないし、、」
彼は私の抵抗の強さを確かめるように顔を覗き込み、強い拒絶で無い事を確認してから再度キスをしてくる。彼は休憩の料金をさっと支払い、シャワーを浴びに行く。私は彼がシャワーを浴び終わるまで、ベッドに腰掛けてじっとしていた。彼が浴室からタオルで拭きながら上半身裸で出てきた時に、私は告げる。
「お、お金ありがとうね。私も払うね。でも私、こういう事初めてで彼氏もいたことないから、ちゃんと付き合ってくれないと出来ない。」
「ん?あぁ。いいよ。付き合おっか。俺今フリーだし。でもそっか、初めてか。ちっ…」
「…え?」
彼には今彼女がいない。付き合おうと言われた。彼のかっこいい裸体を見る事ができた。私の初めてを初恋の相手が貰ってくれた。
とても嬉しい日だったはずなんだけど、引き返せないという何か怖いものを感じていた。
行為にラブホテルを使用したのはその1回のみ。その後、週に1回程のペースでデートをして、その後に彼のアパートに行ったり、私のマンションで行為をする。そうするとデートは終わり。夜に彼のアパートから帰るように促され、私のマンションからは出ていくのだった。たまにあるピロートークが私には嬉しい時間だったが、彼は欠伸をして面倒くさそうにしていた。
彼のアパートには窓際に少し大きめのサボテンが置かれていた。
「ん、これ?…あ~。…えっと。し、知り合いに貰ったんだよ。ほとんど手を掛けなくても枯れないから楽なんだよね。」
その言葉でなぜか私の心にチクリと痛みが走った。
5年後
私と彼はまだ付き合っている。私は社会人3年目。仕事にも慣れて、毎日変わり映えしない生活を送っている。彼は私と半同棲状態。しかし、一緒にいられる時間は少ない。私が仕事を終えて帰る頃に、彼は夜の町へと繰り出していく。毎日遊ぶお金は私が渡している。そして朝に私が起きて会社に向かう頃に彼は部屋に帰って来て、私の寝ていたベッドに倒れ込みぐーっぐーっといびきをかき始める。彼が起きた時用の朝食?昼食?を準備しておき、私は会社に出かける。
私のベッドに知らない香水やお酒の匂いが付くことは不快であるが、私が惚れた弱みからか強く出られない。それに私には彼しか考えられない。25歳になるが、彼以外にときめく男性に会えていないのだ。別の男性からは何度も告白をされているが、人としてしか見る事ができず、異性として見られない。それに何だかんだ毎日彼は私のマンションに帰って来てくれている。お金も私を頼ってくれている。それだけで私は社会に出てお金を稼いでこようという気になっていた。
雨がさーーっと降るその夜。彼は私からお金を受け取って、玄関を開けて出て行った。ただし、その日は出掛ける際のキスを忘れていたのか、わざとなのかしてくれなかった。私は心が急速に干上がる感覚を感じた。
私の住んでいるマンションの部屋。彼が学生時代から育てているサボテンが窓際に置いてある。水をあげることが私の日課となっていた。私は水をあげながら問いかける。
「ねぇ。彼は今どこで、、誰と何してるのかな?」
私よりも長く彼と一緒にいるサボテンは一度も花を咲かせずに黙ったまま…
「…あぁ。俺は釣った魚には餌をやらないタイプなんだよね。今の彼女はお金っつー餌をくれるからどっちかっていったら俺が魚か?ぷぷぷ。俺しか経験が無くて大人しい女だから基本俺のいいなりなんだよね。もう飽きてるんだけど、家賃浮くからな~。ヒモ?…ばか!そんなんじゃねーよ。」
彼は私が寝ていると思って、リビングで誰かと通話している。
大丈夫。
私は分かっていた。
彼はきっとそうなんだろう。
初めてのデートの日からこうなることは…。
その日以来。彼の体には少しずつ赤い斑点が増え始める。
規則正しく1日1つずつ。彼はしばらく増え始めてから誰かに指摘されて気づいたようだ。
「友人に言われたんだけどさぁ。これ何なんだろうね?」
「さぁ。私は知らない。病院行ってみれば?」
その日以来。彼は少しずつ衰弱していく。
彼が寝ている間に1日1つ増えていく棘による赤い斑点には微弱な毒が含まれている。
「なんか体が凄くダルいんだよね。何なんだろ?」
「さぁ。私は知らない。病院行ってみれば?」
彼は性病を疑ってるのか幸い病院には行かないそうだ。
私は甲斐甲斐しく彼の世話をする。彼の食事を用意して、体を抱き起こし、あーんをして食べさせてあげる。彼がお風呂に入りたいと言えば抱き起こして、連れて行き彼の頭や体を丁寧に洗い、痩せた体を抱きしめる。
「あぁ。気持ちいい。ありがとうな。凄く柔らかくて温かい。やっぱお前は最高の女だよな。」
「えへへ。そう?私も好きな人に抱き着けて役得だと思ってるよ。」
半年後
彼の全身に赤い発疹が見られる頃、彼は遂にベッドから体を起こす事も出来なくなった。
「なぁ…。もしかして…。」
「うふふ。私はあなたを一生愛してるわ。」
彼の皮膚はひび割れ、頬はこけ、ガリガリに痩せている。そして私が見守る中で彼は静かに息を引き取った。
私は彼の愛で満たされたことで、満面の笑顔の花を咲かせていた。
やっと彼が人に見えなくなったからだ。
ようやくこれで次の男性を探すことができる。
窓際のサボテンをゴミ袋に捨てながら、私は自身の瑞々しい肌を見つめていた。
サボテンのサブタイトルを~malnutrition(栄養失調)~という単語を考えましたが、
ポノレノグラフィティさんの~sonority(鳴り響き)~から離れてしまうので、
~so nutrient(多分の栄養 or そして、栄養)~としました。
やや変ですがナリやヒビキを優先。