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 佐々木と会社で別れてから再び地下鉄の駅へと向かった。

 本当はコンビニ等で佐々木に何か奢り直したかったのだが、俺と佐々木は帰宅ルートが反対であり、強引に佐々木へついていき何か買ってあげるのもかえって気を遣わせてしまうと考えて、やめておいた。

 しかしこれで1日1善の目標達成は困難となった。腕時計を見ると、既に午後11時30分を回っている。今から1善は難しい。

 俺は駅へと歩きながら歩道の隅々に目を凝らした。何か無いか。困っている人、悩んでいる人。いや、人じゃなくてもいい。お腹をすかせた野良猫とか、あるいは道に捨てられたペットボトルとか。それを回収してゴミ箱へ捨て直せば立派な善行だ。

 ぽつりぽつりと灯る外灯に照らされた道。その薄暗い歩道を歩きながらも、俺は善行のきっかけを見出せないでいた。

 今日はもういいか。別に1日もかかさずに1日1善をこなしてきたわけではないのだ。心中でそんな言い訳を零し、また諦念を抱きつつも、俺は諦めきれないでいた。

 右手に持った仕事用のバッグ。その中に入った、エナジードリンク。その重みが俺の心を沈めていた。

 後一歩で善行を逃したその事実が、俺に後悔を抱かせていたのだ。

 不意に、右手の甲に水気を感じた。

 続いて左手の甲、顔、首筋に水滴が落ちる。

 雨が降ってきたのだ。

 深夜近いのに雨とは珍しい。反射的に上を向くと、天から降る雨粒は1滴2滴、5滴6滴と加速度を持って増していく。

 泣きっ面に蜂とはこのことだ。1日1善も達成できず、スーツまで濡らしてしまっては目も当てられない。俺は足を速め、コンビニへと駆け込んだ。

 24時間営業のコンビニは午後11時でも元気に開店している。店内は明るい照明に満たされ、青色の制服を着た店員2人組みが棚の前でテキパキと品出しをしていた。いそがしそうだが、活気ある光景は俺の心の隙間を埋めてくれる。

 客は俺の他に2人いる。ラフな格好をした20代の若者と、細長いバッグを持った10代の少年だ。細長いバッグ―あれは竹刀袋だろう。俺も大学まで剣道をやっていたから分かるのだ。そんな少年に共感を覚え、少し嬉しくなる。

 俺は目当てのものを探すついでに、店内の商品を見て回る。ペットボトル、缶コーヒー等のドリンクコーナー。有名どころとプライベートブランドが並ぶお菓子コーナー。シュークリームやケーキのスイーツコーナー。コンビ二だからやや値段は高いが、商品の種類が豊富で見ていて飽きない。

 俺が店内を物色していると、先程の少年が会計を終えて出て行き、しばらくしてもう一人の若者も会計を済ませて退店した。

 あまり長居しても悪いだろう。俺は目当てのものを手に取った。

 ビニール傘だ。1本600円。少し高いな、と思った。買わないほうがいいだろうか。

 このコンビニから地下鉄の駅まで走って2分程度。バッグで雨を防ぎながら走れば、なんとかなるかもしれない。また、駅を降りたら自宅までは5分もない。傘を買う必要はあるだろうか。

 そもそも、この雨はどれくらい降るのだろう。通り雨の可能性も低くない。俺は携帯電話で気象情報を検索しようとしたが、そこで会社に携帯電話を置き忘れてきたことに気付いた。まったく、泣きっ面に蜂である…それはさっきいったか。

 俺はビニール傘の前で買うべきか買わざるべきか悩み、ふと店内の窓から外の様子を見て。

 あることに気付き、傘を手にとってレジへと向かった。

 会計を済ませ、店員の「ありがとうございました」の声を背に受けながら自動ドアを通って外に出る。

 しかし歩道へは行かず、コンビニの軒先で雨宿りする20代の若者―先程いた客の一人―に声をかけた。

「きみ、傘を持っていないのかな」

 ただぼんやりと外を見ていた若者はこちらを向いた。やはり20代くらいだろうか。上は灰色のシャツ、下は白い線の入ったジャージを着ている。部屋着でそのまま出てきたような印象だ。髪は男性にしてはやや長く、前髪は眉毛までかかっている。彼はこちらを向いたが声を出さず、警戒するようにこちらの様子を伺っている。夜中に見知らぬ年上の男に声をかけられたのだから、当然の反応だろう。

「よかったらこの傘を使わないかな」

 私は今買った傘を差し出した。

 彼はぎょっとして目を開き、目の前にある傘と俺を見比べている。

「雨が降っていたから衝動的に傘を買ってしまったんだが、よく考えたら今日は折りたたみ傘を持っていたことに気付いたんだよ」

 嘘である。

「このまま持って帰ってもいいが、嫁さんに見つかると「また無駄なもの買って」と怒られるからね。よかったら使ってくれないかな」

 嘘である。俺に妻などいない。

「でも、借りても返せないです」

 若者が口を開いた。思ったより高い声をしていた。

「いいんだ。そのまま貰ってくれて構わない。もちろん金も要らない。さあ、使いなさい」

 若者は傘を受けとった。しばらくそのまま傘をじっと見つめていたが、やがて目線を上げ、俺の目を見て微笑んだ。

「ありがとう、おじさん。実は雨が降って困ってたんです。

 しかしおじさんはいい人ですね。世の中にはこんないい人もいるんだな」

 その晴れやかであどけない笑顔に、俺の心は癒されていく。おじさんではなくお兄さんと呼べよとは思ったけど。

 傘の持たない者に傘を渡す。これは間違いなく善行だろう。これで1日1善達成だ。

 俺が嬉しそうな若者に頷き返しながら、満足感に浸っていると。

 ―雨がやんだ。

「あれ?雨やみましたね。やっぱりこれ返しますね」

 若者は手に持った傘を俺に返却し、俺は呆気に取られながらそれを受け取った。

「通り雨だったみたいですね。ラッキーだな。棚から牡丹餅といったところですか」

 そう言って若者は愉快そうに去っていった。

 …どちらかというと、元の木阿弥だと思う。

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