クスラウド王城にて
城門前で空をじっと見上げていたリューネが、兵士に発見されたのはおよそ一刻前だった。
そのまま執務室へと連れて行かれると、部屋に入るなり王太子殿下、レステュユルニに抱きしめられる。
勢いよく――まるで、二度と手放すまいとするかのように。
「リューネ!無事で良かった!心配していたぞ!」
彼の声は、安堵と焦燥が入り混じっている。
苦しくなるほど抱きしめられ、ぐりぐりと頭を撫でられ、挙げ句の果てには頬ずりまでされる。
「お兄様、ご迷惑とご心配をお掛けして申し訳ありませんでした……」
リューネは、少し苦しげに声を絞り出す。
その声を聞いた途端、レステュユルニは少しだけ力を緩めてくれたが、腕は決して離そうとはしなかった。
「怪我は?怖い思いはしていないか?どこにいた?食事は?眠れたか?それに、その服は?」
矢継ぎ早に問いながら、レステュユルニはリューネの服をまくり、ぺたぺたと身体を確認する。
己自身の手で安否を確かめずにはいられないかのようだった。
「あの……私がお話できることは少ないのです」
リューネは慎重に言葉を選び、静かに告げる。
「カフェで炎の塊が襲ってきた時、私は逃げられなかったはずですが……気がつくと、どこかの部屋にいました。それ以降の記憶があやふやで……」
リューネは決めていた。
アルの存在を明らかにはしない、と。
今回の事件には魔導士や魔力を持つ者が関わっているのは疑いようがない。
アルほどの魔力を持つ者なら、何かしらの形で疑われることは避けられないだろう。
彼が事件に関与していないと言い切れる証拠など、何一つないのだ。
リューネがアルを信用していると言ったところで、一体誰がそれを信用するだろうか。
「そして……いつの間にか城門に来ていたようです。兵士の方に声を掛けられるまで、気づきませんでした……」
「フム……」
レステュユルニは考え込む。
兵士の報告によれば、リューネは駆け寄って声をかけるまで、ただ空を見上げていたという。
まるで、そこに何かを探すかのように――。
「……もしや、記憶操作でもされているかもしれんな」
彼は低く呟き、すぐに決断する。
「医師を呼んでおこう。診察を受けなさい。魔導士殿にも変装魔法を解いてもらうように」
リューネは素直に頷く。
レステュユルニは彼を椅子へと促しながら、さらに続けた。
「カフェの襲撃だが……犯人の目星はまったく立っていない」
「お前の護衛騎士によると、火球がお前の元へ迫った時、魔法陣が現れたと――。これは私が変装魔法のついでに、防御魔法をかけておくように頼んでいたものが発動したのだろう。」
彼の言葉に、リューネは静かに頷く。
幸か不幸か、煙のおかげでアルの姿は護衛たちには見えなかった。
レステュユルニはひと息つき、続ける。
「護衛騎士たちは煙の中でも必死にお前を探していたらしいが……どうやってお前があの場から消えたのか、不明だと言っている」
「テラスの範囲はさほど広くはない。彼らは周囲を取り囲むように待機していたのだから、煙幕があったとはいえ、見逃すとは考えにくい――そう口々に語っていたぞ。」
リューネは平静を装い、コクリと頷き、「そうなんですね……」と、それ以上の言葉は口にしなかった。
「お兄様……護衛騎士の方々に、お咎めはないようにお願いします。彼らはいつだって真摯に私を護ってくれています。今回もこうして私は無事に戻ることができました。どうか、ご配慮を……」
リューネは深々と頭を下げた。
「――もちろんだ」
レステュユルニは穏やかに微笑み、リューネの頭を撫でる。
「お前の護衛は、お前が帰還するまで一度も休まずに捜索を続けていた。お咎めなどするものか」
リューネは彼の言葉に安堵しながらも、カフェから姿を消した事が不可抗力だったとはいえ胸が痛むのを感じた。
(あとで護衛の方々に何か差し入れをしよう)
「部屋へ戻って休みなさい。何か思い出したら報告を。この城の者は、いつでもお前の味方だ。」
「……それと、襲撃の全容が解明するまでは外出は禁止だ。分かってくれるな?」
彼はそう言い、もう一度をハグをし安心させるかのように額に唇を落とす。
リューネは静かに感謝の言葉を述べ、執務室を後にした。
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リューネが部屋を後にしたことを確認すると、レステュユルニは静かに息をつき、影を呼び出した。
「何か気付いたことは?」
闇の中から現れたのは、リューネの警護を担っていた影の者――特別に優れた追跡能力を持つ者でさえ、今回ばかりはリューネの行方を掴むことができなかった。
「リューネ様の先ほどのお召し物ですが……カフェの常連の絵師と思われる男が、上下ともに黒の服をいつも着用しております。それに似ているかと。ただ、その者は毎回必ずリューネ様より大分後に来店されております。昨日のテラスには、リューネ様しかおりませんでした。」
レステュユルニは腕を組み、考え込む。
「あいつ、煙の臭いがしなかったんだよ。ハグした時、石鹸の香りがした。」
風呂には間違いなく入っている。
だが――。
「なぁ、あいつ一人で風呂に入れるか?」
影は沈黙する。
彼らはあらゆる場面で監視を行うが、プライベートの領域に踏み込むことはない。
そのため、リューネが一人で風呂に入れるかどうかは、影といえど知る由もない。
レステュユルニは短く息を吐き、冷静に命じる。
「絵師を探し出せ。」
「御意。」
影は一瞬のうちに音もなく闇へと溶けて消えた。
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「リューネさまぁぁぁぁぁぁ!」
執務室を出た途端、前方から従者のジュウトが勢いよく駆け寄ってきた。
あまりの速度に、リューネは (そんなに走ったら……) と心配する。
だが、次の瞬間――
思いきり転んだ。いや、飛んだ。
「ジュウト……すみません。二刻以内に戻れませんでした……」
リューネは苦笑しながら手を差し伸べ、ジュウトを立ち上がらせる。
しかし彼は、涙をだばだばと零しながら 「ぅっうっ……りゅゔねざばぁ……」 と言葉にならない声を絞り出している。
「心配かけてしまいましたね……私はほら、どこにも怪我はなく無事に帰りました。そんなに泣かないで……」
普段は取り乱すことのないジュウトの姿に、リューネは胸の奥が痛む。
こんなにも心配させてしまったのだ――。
ずびずびと鼻を啜るジュウトを従えながら、ゆっくりと歩を進める。
「……お兄様に、外出禁止令を出されてしまいました……」
その言葉を告げた時、リューネの表情はひどく沈んでいた。