球体の行方
リューネはその光の球体にそっと手を触れ、唇を噛み締めた。
――ルリが、自分のすべてを託して生み出した球体。
温かささえ感じる光の幕が、彼の掌にやさしく触れ返す。
その穏やかさがかえって痛く、胸の奥が締めつけられた。
(…この球体を、あの建物に――きっと出来る)
リューネはぎゅっと両手で球体の側面を抱え込んだ。
まるで水のようでいて、確かな“重み”がそこにある。
「…いこう」
歯を食いしばり、足を踏み出す。
球体はリューネに寄り添うように、すっと滑るように前へ進む。
湿った地面を蹴って、彼は湖へ向かう。
膝まで水に浸かりながら、それでも足を止めずに進む。
球体は抵抗することなく、彼の導きに応えるように静かに動いていった。
水音だけが響く、緊迫の時間。
建造物の姿が球体の表面のすぐそこに迫る。
「あと少し!」
リューネは全身の力を込めて球体を押し出す。
すると、球体がふわりと持ち上がったかと思うと、吸い寄せられるように建造物の輪郭へと沿い始める。
淡い光の縁が、建物の外壁にすっと接し、そして――建造物全体が、光の幕に包まれていく。
水門のような門口から流れていた水が、まるで吸い込まれるように内部へと戻っていき、やがて、球体の中で循環し始める。
球体が、建造物ごとすべての水を内に封じ込めたのだ。
「…!」
リューネはその場に膝をついた。
達成感と、深い安堵、そして強い喪失の予感が、いっぺんに押し寄せてくる。
――ルリ。
ルリはもういないのだろうか。光の中心に身を投じた、小さな魔鳥。
魔力を全て注ぎ込んで、きっとそのまま――
「……ルリ…ルリ…」
その名を呼ぶ声は、かすれていた。
そのとき。
「……ピ、……ィ」
かすかな鳴き声が、水音にまぎれて聞こえた。
リューネが顔を上げる。
光の球体に封じられた建物の下――その水面近く、小さな影がふらふらと揺れていた。
「ルリ!」
リューネは立ち上がると、水の中を駆けた。
飛沫が舞い、足元が取られそうになる。
ようやくその小さな身体を抱きとめた時、胸の奥に何かが溢れそうになった。
ルリは、掌にすっぽり収まるほどに小さくなっていた。
けれど、その瞳はしっかりとリューネを見ていた。
「ルリ…ありがとう。…本当に、ありがとう…!」
リューネはそのまま、水面に崩れ落ちるようにしてルリを抱きしめた。
細い羽をそっと胸元に包み、頬を寄せる。
涙が溢れ落ちる。
けれど、それは哀しみだけのものではなかった。
――守れた。
自分ひとりの力ではなかった。そう、ルリと共に――
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湖を取り囲むように、剣士たちの馬蹄の音が響いた。
クスラウドから到着したのは、王レステュユルニ率いる親衛の剣士隊。緊急報を受けてすぐ、魔導師の治療団と共に転移で駆けつけてきたのだった。
その中心で、白馬を駆る青年がひときわ強く手綱を引き、湖岸の岸辺に目を凝らす。
「……リューネ……!」
すぐさま馬を降り、泥の跳ねる地を走っていく。
岸辺に、ひとりの少年がいた。
水に濡れ、衣も髪も泥にまみれ、それでも守り抜いたものを抱きしめるようにして膝をついている。
小さくなった魔鳥を胸に抱えたその姿を、兄はひと目で見分けた。
「リューネ!!」
レステュユルニが駆け寄ると、リューネはゆっくりと顔を上げた。
その頬には涙の痕が残り、けれどその瞳は兄の姿を確かに映していた。
「……おにいさま……」
そう、かすかに声を震わせた直後、リューネの身体が傾ぐ。
「リューネ!」
兄の腕の中へと倒れ込むその小さな身体は、もう意識を失っていた。
レステュユルニはその身を強く抱きとめながら、胸の奥が締めつけられるのを感じた。
彼は声をかける。
「すぐに医師を!」
リューネの意識は、そのまま深い眠りへと沈んでいった。




