軋んだ日
――魔道塔最上階
最上階の円窓から差し込む朝日が、リューネの焦燥感を募らせる。
森の奥深く、その建造物があるという”野鳥の森”の湖は鬱蒼とした木々の向こうで、今、何が起きているのか。想像するたびに胸が締め付けられ、冷たい汗が背中を伝う。アル達を見送ってから何も手につかず、ただ広々とした部屋を落ち着きなく右往左往していた、その時、不意に視界を染めるほどの強い"光の線"に思わず息を呑んだ。
それは遠く、野鳥の森の方角――森の奥から幾本もの光が立ち上り、空を裂くように伸びている。だがそれは拡散するでもなく、すべてが同じ一点――湖の方角へと吸い込まれていくようだった。
「…あの光は?」
ルリが「ピイッ」と鋭く鳴いて、足元から跳ね上がる。まるで何かに驚いたかのように、羽を広げて飛び立とうとしたその瞬間だった。
――突風。
外から吹き込んだ一陣の強い風が、塔の最上階まで到達し、開け放たれていた窓を大きく揺らした。
「…わっ」
机の上に置いていた書類が煽られ、ばさりと音を立てて舞い上がる。その中には、リューネが解いた魔法陣の回答用紙もあった。
「待って、それは――!」
伸ばした指先が紙に届くより早く、それは宙でふわりと浮かび上がる。二枚の用紙、それぞれが光を帯びるように震えたかと思うと、眩い銀色の魔法陣が、重なるようにして浮かび上がった。
次の瞬間――風に運ばれるようにして、ふたつの魔法陣は光となって、窓の外へと舞い飛んでいった。
リューネは呆然と、その軌跡を目で追う。
その輝きは、まるで空の裂け目へ吸い込まれるかのように、森の光の源へと向かっていった。
「…なに、これ…どうして」
得体の知れない胸騒ぎが、喉元を締め付ける。
その時、ルリが低く唸るように鳴いた。リューネははっと我に返り、魔道の護符を手に取ると、即座に転移陣へと身を投じ、エントランスホールへと辿り着く。
転移の光が収まると同時に、リューネはその場に立ち尽くした。
「…え…?」
そこは、沈黙に支配されていた。
先ほど送り出したはずの部隊。アル、テス、サーシア、ジュウト、魔法騎士団の面々――
全員が、何の前触れもなく、まるで糸が切れた人形のように床に倒れていた。
その数は数十に及び、誰一人として動く者はいない。
装束も身体も無傷。だが、意識は戻らず、目を閉じたままだ。
「アル!」
駆け寄って、その肩を揺さぶる。
その手を取り、顔を覗き込んで名前を呼ぶ。
「お願い、目を開けて!」
返ってくるのは、微かな呼吸の音だけだった。
次にテスへと駆け寄る。こちらも同様に、脈は正常で、体温もある。けれど眠っているように、まったく反応がない。
「どうして、みんな…」
リューネは唇を震わせ、ただその場に立ち尽くす。
静まり返った空間に響くのは、遠くで鳴くルリの羽音だけ。
「そうだ!医師様を!」
リューネはきゅっと唇を引き結び、医局へと続く魔法陣へと走り出した。
◇ ◇ ◇
医局の扉を開けた瞬間、いつもの薬草とアルコールが混じった匂いが、ふっと鼻をかすめた。
「先生…!」
リューネは急ぎ足で部屋の奥へと向かう。だが、そこに見たものは――
机の上に突っ伏したまま、微動だにしない老医師の姿だった。白髪の混じる髭が書類の上に広がり、片手はまだ羽ペンを握ったまま。呼吸はある。けれど、その目が開くことはなかった。
「おじいちゃん先生?どうして?…」
頼りにしていた存在が倒れている。それだけで、胸の奥に冷たい何かが染み込んでいく。
アルも、テスも、サーシアも――そして、今度は医師までも。
リューネは唇を噛みしめると、震える手でそっと医師の肩に上着をかけ直し、ゆっくりと立ち上がった。今は、悲しんでいる暇はない。
一度、深く息を吸う。そして足を返し、再びエントランスホールへと戻った。
そこに、どこかで見覚えのある顔ぶれが集まっているのに気づいた。
魔法陣の近く、壁際に寄るようにして立っていたのは、数人の少年少女。リューネが共にこの地へと留学してきた、普通科の生徒たちだった。
その小さな肩は震え、顔は強張り、目には不安の色がにじんでいた。
「…みんな?」
声をかけながら近づくと、彼らがぱっと顔をあげ、リューネに駆け寄ってくる。
「リューネ様…!」
「どうしよう、僕たち……学園で授業を受けていたんです。でも、急に先生も、他の生徒も、全員…ばたばたって倒れてしまって」
言葉は断片的で、ときおり震えが混じる。けれど、リューネには十分すぎるほど伝わった。
「それで、ここに…?」
一人の少女が、手にした魔道の護符を見せる。
「以前先生が、もし緊急の時があったら、魔道塔に来なさいって教えてくれてて…それ思い出して…」
皆不安な気持ちを持ち続けたまま、ここまでたどり着いたのだろう。だが、その先で見たのは、倒れ伏した剣士や魔導士たちの姿だった。
「それで…ここでも騎士様が倒れていて…どうしたらいいのか分からなくて…」
途切れがちな声に、リューネは小さくうなずいた。自分だって分からない。けれど――自分が動かなければ、誰も動けない。
リューネは声を落ち着かせ、彼らに向けてそっと言った。
「来てくれてありがとう。大丈夫、ここは安全だから。少しだけお願いがあります」




