野鳥の森
森は、奇妙なほど静まり返っていた。
地を踏みしめる音すら吸い込まれるように消えてゆく。
”野鳥の森”と呼ばれてきたこの一帯には、本来なら朝も昼も関係なく、無数の鳥の鳴き声が響いているはずだった。
だが、今日は――一羽の鳥の姿もなかった。
「…本当に、どこにもいないな」
テスが低く呟き、木々の合間を見上げた。枝々は風に揺れているが、葉擦れの音すら微かで、違和感は募るばかりだ。
魔道塔から野鳥の森の湖まで転移で移動した一行は、まず周囲の状況を慎重に調査していた。
湖の水は静かで濁りもないが、何かが沈んでいるような、あるいは…湖面そのものが何かを隠しているような、不穏な印象を受ける。
やがて、サーシアが静かに口を開いた。
「湖面だ。――見ろ、あれを」
視線の先、朝靄を透かして、湖の中央に何かが浮かんでいる。
重厚な石造りの建築物。それはまるで、湖の底から持ち上げられるようにして、静かに顔を出していた。
荘厳な佇まいをもつ構造体。水面を割って突き出しているのは、明らかに人工の石壁――。何らかの古代遺跡であることは、魔導士たちの誰の目にも明らかだった。
「全員、転移準備。湖上へ出る」
サーシアの指示に、全員詠唱を始める。次の瞬間、彼らの姿は一斉に霧の中へと消えた。
*
湖面の上、足元に展開された簡易の転移陣が石の広場へと接続されていた。
水の上に浮かぶようにして出現した構造物の上に、部隊は慎重に散開する。
アルとテスは並んで湖上に立っていた。霧の湿気が肌にまとわりつくが、不思議と風はなく、空気は凪いでいる。
建物の周囲を回って調査を進める中で、一行が気づいたのは、あまりにも出入り口が少なすぎるという事実だった。
「…この大きさで、入口が一つだけ?」
アルが眉をひそめ、正面の門を見上げる。建物の正面には、他と明らかに異なる意匠建物の外壁には、時間と風雨に削られたような傷跡が残り、出入り口と呼べるものは正面の大扉以外に見つからない。押しても引いてもびくともせず、古代文字の刻まれた扉面は、風化のせいか半ば以上判読できない状態だった。
黒灰色の石で造られたその扉は、両開きで高さ五メートルほど。
古びてはいるが重厚で、荘厳な装飾がなされていた。テスが近寄り、表面を指先でなぞるように触れた。
「古代文字だ…ところどころ摩耗しているな」
言いながら、声に出して読み上げる。
「"水門を開けよ――さすれば"……これ以上は解読不可能だな…」
扉の前にサーシアも向き合い、唇を閉ざしたまま刻まれた文様を指先でなぞる。淡く指先に触れる魔力の痕跡に彼の眉間に皺が寄る。
「中に何かあるのは間違いない。だが、直接の進入経路はここしかないようだ」
部下たちの報告も同様だった。どれほど建物の外周を調べても他の出入り口は存在せず、魔力の流れもすべてがこの扉を中心に渦を巻いている。
そう判断したサーシアは、再び調査の指示を下す。
「魔力の流れを再確認しろ。扉に施された魔法障壁の解析を最優先。あとは文様だ、正確に複写し、後方部隊にも送っておけ。どこかに"鍵"があるはずだ」
隊員たちはすぐに再配置され、それぞれの任に散っていった。
その最中だった。
扉の左側、装飾の陰にひっそりと埋もれるように光る、小さな結晶体。建物の構造に溶け込むようにして存在していたそれに、一人の隊員が気づいた。
「……これ、何だ?」
「待て、それには触れるな!」
サーシアの声が鋭く飛ぶ。彼自身が魔力の偏在を感じ取り、嫌な予感を覚えた矢先のことだった。
だが――声は届かなかった。
隊員の指先が結晶に触れた瞬間、結晶から放たれた微細な光が空気を裂き、次の瞬間には建物全体の魔力が、目に見える形で一気に活性化した。
正面の扉へ、四方八方から光が吸い込まれるように集まり、渦を描きながら文様に絡みつく。まるで建物そのものが目覚めるような、重く、圧倒的な気配。
――そして。




