行方
朝の空気は、前日よりもいくらか冷たく、肌に触れる風が乾いていた。
リューネはいつもと同じように、手にした小さな皿に果物を並べていた。手慣れた動きでバードフィーダーにそれらを添えると、自然と視線を空へ向けた。
――だが、今日はおかしい。小鳥たちの気配がない。
いつもなら、果物を置く前から枝々に姿を見せていた小さな野鳥たちが、一羽もいない。あたりの木々も、どこか静まり返っていた。
「今日は、どうしたんだろう…?」
見下ろすと、いつもならすぐに空へ飛び立つはずのルリが、じっと足元にとどまり、羽をたたんだままこちらを見上げていた。
その大きな瞳に何かを訴えるような光が宿っている気がして、リューネはそっとその背に手を添えた。
「ルリ?」
言葉が終わらぬうちだった。
――ぐらり、と、地面がうねる。
「……!」
木々がざわめき、枝が激しくきしむ音が耳を打つ。リューネは思わずしゃがみ込み、咄嗟にルリを両腕で抱きしめた。まるで足元が崩れるような、立っていられないほどの大きな揺れだった。
震える身体を押さえ込むようにしながら、リューネはきつく目を閉じる。胸が早鐘のように打ち、背筋に冷たい汗が伝っていく。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから……」
自分に言い聞かせるように呟いたその瞬間――光が、目の前に広がった。
リューネのすぐそばに、淡く輝く魔法陣が浮かび、そこからアルの姿が現れた。
「リューネ!」
揺れをものともせず、アルはすぐに駆け寄り、ルリごとリューネを抱き寄せた。
「アル、アル!」
「大丈夫だ、魔道塔へ転移する」
アルは素早く詠唱を始め、魔力の揺らめきが空間を包みこむとリューネたちの姿は一瞬にしてその場から消える――
気づけば、次の瞬間には魔道塔のエントランスに立っていた。
外の世界があれほど揺れていたとは思えないほど、魔道塔の中は静かだった。ここは地面からほんのわずかに浮いた構造になっているため、地震の影響を直接受けない。
緊張がほどけたのか、ルリが小さく「ピィ」と鳴いてリューネの腕の中でもぞもぞと動いた。
「ごめんね、ルリ。怖かったね…」
リューネがそう呟くと、ルリは不安げに額を擦り寄せてきた。
一方で、アルの瞳は真剣な光を宿したまま、リューネの顔を確かめるようにじっと見つめていた。
「怪我は?どこか痛くない?」
「うん、大丈夫。僕は平気。でも、すごい揺れだった。あんなの、初めて…」
「俺もだ。…すぐ、テスたちと連絡を取らないと」
アルはリューネの手をしっかりと取ったまま、魔道塔の最上階へと転移した。
リューネの足元にはまだ小さな震えが残っていたが、アルの手の温度がそれをゆっくりと溶かしてゆく。
最上階は、いつもの静謐 さを保ちながらも、どこか空気が張り詰めていた。
書架の合間を抜けると、すでにテスが一人、先に到着していた。
魔導士用の深い藍のローブをまとった彼は、長机に複数の報告書を並べ、指先で何度も頁を捲っている。
その眉間に寄せられた皺は、いつもの飄々とした彼とはかけ離れたものだった。
「…アル、リューネちゃん。二人共怪我も無いようだね。良かった…」
* * *
魔道塔の最上階に集まったアルとリューネ、そしてテスのもとに、サーシアが転移してきたのは、地震から間もない頃だった。
金属を思わせる漆黒の戦闘服に身を包み、既に出陣の気配すら纏っていた。
「――状況を共有する」
サーシアの手には新たに収集された情報が記された簡易報告書が握られていた。
「まず、火山帯には異常は確認されていない。熱流の増加も、地殻の変動も、今のところ観測されていない。――だがな」
サーシアは一枚の紙を掲げる。
その簡素な記録には、街外れにある“野鳥の森”の湖にて確認された異常について、目撃情報が簡潔に記されていた。
「湖面に、構造物のようなものが現れている。最初は霧か幻影かと思われたが、確認に向かった部隊からの報告でそれが確かな実体だと判明した。古代建築と思われるが、魔力障壁が張られている可能性があるとの事だ」
一瞬の沈黙。
「詳しいことはまだわからない。だが、現地に赴き、確認する必要がある。既に魔法騎士団の上位部隊と、魔導士の精鋭を招集する。アル、テス――お前たちも同行してもらう」
「もちろん」
アルとテスが短く頷いた。
「念のため回復役も連れていく。全員、魔道塔のエントランスホールに集めている。これより私が現地での作戦を伝える」
リューネはそっと息を呑み、アルの隣に立った。緊迫感に満ちた空気が漂う最上階を後にし、一行はエントランスホールへと向かう。
そこには既に、選ばれし魔法騎士団と魔導士たち――精鋭の二十名余りが整列していた。その中にジュウトの顔も見えた。皆、厳しい表情を湛え、サーシアの到着を静かに待っていた。
「全員、自身の転移護符は確認済みか?」
サーシアが言葉を放つと、全員が一斉に頷き、腰や胸元に手をやって護符の感触を確かめる。
「最悪の場合はこの場所、エントランスホールに自動転移するよう帰還場所を設定してあるが油断はしない事」
彼の言葉に、誰一人として軽口を挟む者はいない。
「では、出発する。これより始まる調査に向け、最終確認を行う。現地での状況は流動的であり、我々は常に慎重な判断を求められる。無謀な行動は慎むように。先陣は魔法騎士団、そしてアルとテス。回復役と魔導士隊は後方にて待機。前衛の状況を注視し、いかなる時も迅速な支援ができるよう、心構えを怠るな。各自、持ち場を理解し、冷静に、そして確実に任務を遂行せよ」
サーシアの宣言と共に、転移陣の光が淡く灯った。




