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5番目の王子  作者: Moma
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予兆

朝の空気はどこか緩み始め、夏の気配を微かに孕み始めていた。


リューネは、今朝も庭のバードフィーダーに果物を並べていた。果物の甘い香りに誘われるようにして、小鳥達が集まり始める傍ら、青空へとひときわ美しい蒼の翼がひらりと舞い立つ。


「いってらっしゃい、ルリ」


ルリは、リューネに一声「ピィ」と返事を返し、ひらりと空へ舞い上がる。碧の翼が朝日に揺れ、やがて空へと溶けていった。

ルリを見送り、伸びをひとつ。

――その時だった。

足元に、かすかな震えが走る。昨日も一昨日も感じた揺れだ。だが、今日のものは、ほんの少し長く、足元から上へとじわりと這い上がるような妙な感覚があった。


「また、だ……」


リューネは、ぎゅっと胸元を押さえて、小さく首を振る。

アルから聞いていた。――この国の領地から離れた場所に活火山があり、地震は珍しいものではないと。


「大丈夫、大丈夫……ここでは、よくあることなんだよね」


クスラウドでは味わったことのない、不穏な“ゆれ”。

気持ちを落ち着かせるように一度大きく深呼吸をして、屋敷の中へ戻ると部屋には既に珈琲の香りが広がっていた。


その足取りのまま寝室のドアを開ける。カーテンの隙間から差し込む光が、寝台の毛布の端を照らしている。

その下では、いつも通りの寝坊助がまだぬくもりに包まれていた。


「アル、朝だよ?起きて?」


肩を軽く揺すると、毛布の奥から唸るような声が返ってくる。


「…ん」


「アル?今日のエスプレッソは昨日買った珈琲豆だよ?楽しみにしてたでしょう?」


布の隙間から香るエスプレッソの香りに誘われてか、アルはようやく顔を出し、髪をくしゃくしゃにしたままの姿で起き上がる。

毎朝のこの儀式のような時間も、いつしかリューネにとっては愛しい風景のひとつになっていた。

ダイニングに移動すると、テーブルには、抽出されたばかりのエスプレッソが湯気を立てていた。

アルはカップに注ぐと、無言でひと口。深く息を吐き出し、未だ眠いのか目を瞑っている。


リューネは向かいに腰を下ろし、ヨーグルトを添えたたっぷりの果物をゆっくりと食べ始める。

その間に少し目が覚めたアルは魔導士用のローブを羽織っていた。深緋の布地が肩から流れ、揺れる裾を手で整えている。


アルは自分の準備が整うとリューネの背後に回り、その柔らかな髪に指を通した。器用に編み上げていくその手つきは、日々の習慣によってすっかり馴染んだものだ。アルの指が髪を撫でるたびに、かすかにコーヒーと、アル自身の控えめな香りがして、リューネは心が和むのを感じた。


「できたぞ」


短く告げられた言葉に、リューネは振り返る。きっちりと結い上げられた髪は、これからの仕事に集中するのにちょうど良い。

リューネは時折アルと一緒に魔道塔へ出勤し、テスの手伝い――書類整理や魔法陣の解析のサポートを務めている。


「ありがとう、アル」


食べ終えた食器を片付け、リューネは昨夜焼いておいたクッキーを紙袋に詰める。


「お前…何人分作ったんだ?俺とテスはそんなに食わねーぞ」


「最上階に来る魔導士さん達におすそ分けしようと思って…」


「お前が居る時やたら訪問者が多い理由がやっと解った…よし、行くか」


二人は顔を見合わせ、穏やかな笑みを交わす。アルはリューネの手を取り、指を絡めキスを一つ落とすと眩い光に包まれた。


* * *


「おはようございます」


リューネが声をかけると、テスの姿がすぐに目に入った。

カップから立ち上る珈琲の香りがほのかに漂う中、テスは机に置かれた数枚の書類に目を通していた。

リューネはふとその様子に違和感を覚える。いつもなら軽口を交えながら事務をこなすテスが、その朝は黙り込んだまま、眉間に皺を寄せていた。


「…珍しいな、そんな顔してるの」


アルも気づいたようで、軽く片眉を上げながら声をかけた。


「何か不備でも?」


「いや、不備ってわけじゃないんだけどね?」


そう言いながらテスは書類の端をとんと揃え、珈琲に口をつけた。ほんの一口。考えを整理するように一度息を吐いてから、淡々と続ける。


「地震が続いてるだろう? 王都周辺で。だから一応、火山の観測記録と、現地調査の報告書を確認してた。…けど、特に異常は見つからなかったってさ。火口の活動も、温度の上昇も平常値」


「ふうん…何もなければ、それに越したことはないけど」


アルが小さく唸る。が、それでも納得しきれないように、テスは目線を再び書類に戻した。


「揺れの回数は増えてるんだよ。しかも、全部浅くて、規模が小さい」


「地中深くじゃない揺れってことでしょうか?」


リューネが思わず尋ねると、テスは無言で頷く。


「ちょっとした構造変化が地表近くで起きてるのかもしれないけど…今のところ、火山性じゃないって報告だ」


リューネは、腕に抱えた紙袋の中から、ほんの少し甘い香りが立ちのぼるのを感じながら、二人の会話を黙って聞いていた。

そのとき、不意にテスがぴくりと鼻を動かした。


「…ん?なんか、いい匂いしない?」


くんくんと鼻を鳴らしながら、テスの視線がゆっくりとリューネの胸元――紙袋へと向けられる。


「その香ばしい匂いは…まさか、俺の好きなチョコチップクッキーじゃない?」


さっきまでの険しい表情はどこへやら、テスは目を細めてにやりと笑みを浮かべる。


「リューネちゃん、1個頂戴?」


「えっ、いま?」


「あーん」


さも当然のように口を開けて待っているテスに、リューネは一瞬ぽかんとしたものの、やがて小さく笑って紙袋の中からひとつクッキーを取り出した。


「しょうがないですね…1個だけですよ?」


サク、と優しい音を立てて差し出したクッキーがテスの口に収まり、彼は目を閉じて小さく頷いた。


「んまっ」


「テス、毎度毎度調子に乗り過ぎ」


アルはテスとリューネの間にすっと入り込み、テスの額にピシリとデコピンを食らわせた。しかし、テスは全く懲りた様子もなく、リューネが苦笑するのを横目に、肩をすくめながら指先に残った欠片をぺろりと舐める。


「可愛い子とお菓子と珈琲があれば、大抵のことはなんとかなるもんさ。まあ、異常が起きた時は起きた時で考えるとして…」


「楽天家め」


アルがぼそりと吐き捨てると、テスはさらに楽しそうに、口角を上げて笑った。


「それよりリューネちゃん、今日は何種類くらいあるの?リューネちゃんのクッキー、甘さ控えめで俺好みなんだよね。もちろん、リューネちゃんも俺好み」


最後の言葉に、リューネは呆れたように笑いながらも、心なしかその表情は和らいでいた。

軽口が交わされるその穏やかな空気は、ほんのつい先ほどまでの緊張を和らげるように、魔道塔の最上階に静かに広がっていった。



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