古代魔法
――魔道塔最上階――
古書から導き出した魔法陣の解析を始めて暫く経つが一向に答えが出ないまま日々が過ぎて行く。
キラキラと輝く魔法陣を目の前にして珍しくテスが頭を抱えている。
「ねえ、アル。この魔法陣一体何の魔法なんだろう…」
古書には全く魔法陣の事について触れられてなく、クスラウドからの情報は皆無。
ヴィクターの邸宅にもヒントになるような物は一つも無かった。
「魔法陣に魔力をこうやって流し込むと…魔力の多さに比例した大きさのシャボン玉のような物が出てくるんだけどさー。結界でもなさそうだし、子供が喜ぶような観賞用の魔法なのかなー?」
テスは魔法陣に魔力を一定間隔で注ぎ込むと、ふわふわとシャボン玉のような球体が次々と魔法陣から放出される。
「お前、この中にでも入ってみれば?」
アルはニヤリと笑って魔法陣に少しだけ多めに魔力を注ぐ――等身大の球体が現れ、テスがその中に入ろうとするとバチンと割れた。
「ダメかぁ…そうだろうとは思ってみたけどさー。古代魔法ってイマイチ完成されてない感じするよね」
あーあーと、溜息をついて椅子にテスがドカリと寄りかかったた所にリューネが甘い香りを纏い紙袋を抱えて訪れてきた。
アルはリューネに歩み寄るとそっと腰に手を回し、屈んで頬にキスを一つ。
ふわりと笑顔を浮かべるリューネからアルは紙袋を受け取る。
「デュラテス様、フィナンシエを焼いてきたのでお茶にしませんか?」
「あー、うん。もうティータイムの時間?魔法陣にばかり構ってると他の作業が滞っちゃうな」
リューネは未だ消えていないふわふわと移動する球体を目で追う。
「またあの魔法陣の解析をしていたんですね…僕も何かお手伝い出来ればいいんですけど…」
リューネは溜息を一つついて、浮かぶ球体をつつくと割れることなくボールのように跳ね返った。
「あれ?」
リューネの指先で触れられた球体は、割れることなくふわりと跳ね返った。まるで風に吹かれた羽根のように軽やかに、空中を滑って漂う。
「……ん? 今、割れなかった?」
テスが椅子から身を起こし、眉をひそめて球体をじっと見つめた。
「たまたま割れなかっただけじゃ……」
アルが言いかけたところで、テスが自身の指先で別の球体に触れる。パチンと乾いた音が響き、球体は一瞬で弾けた。
「割れるな、俺が触ると。ほら、もう一回やってみて?」
リューネは戸惑いながらも、再び近くを漂う球体にそっと指を添えた。するとまた、球体は割れることなく柔らかく揺れて、くるくるとその場を回り始める。
「……壊れない」
「ふーん…、妙だな」
テスが球体の軌道を観察しながら、真剣な表情になる。
「魔力の干渉に敏感な魔法陣って、意外とよくあるんだよね。でもこれ……どういう反応をしてるのか、いまいち分からないな。感応系の術式……でもなさそうだし」
「ただの揺らぎの誤差じゃないか?」
アルが片眉を上げるが、テスは静かに首を横に振る。
「いや。これ、魔力の濃度に応じて球体の性質が変わるはずなんだ。つまり、俺やアルが触れたときには、魔力を察知して即座に壊れる。けどリューネちゃんが触れると、球体がそのまま存在を保つ……“何も認識しない”みたいに」
「魔力を認識してない……か」
「いや、魔力が“ない”というより……“無視されてる”感じ?」
テスは顎に指を当て、何かを思案するように数度頷いたあと、ぱっと顔を上げた。
「ねえ、リューネちゃん、ちょっとだけ手を貸してもらってもいい?」
「もちろん、僕にできることなら」
リューネが目を瞬かせると、テスは魔法陣に向き直りながら魔力を集中させ、空中に大きめの球体をひとつ生成した。柔らかな光を纏ったそれは、等身大よりやや大きいほどのサイズで、ふわふわと宙に浮かんでいる。
「この中にね、アルを入れてみたいんだ。君が触れると球体は壊れなかったよね? だったら、君の手でアルを球体に“通す”ようにしてみて」
「…僕が?」
「うん。俺がやったらまた割れちゃうし、アルもきっと同じ。リューネちゃんならいける気がするんだ。魔力が反応してないんだから、媒介になれるかもしれない」
テスは目を輝かせて言った。まるで、新しいおもちゃを前にした子どものように無邪気で、そしてどこか好奇心に満ちていた。
「面白そうだな」
アルが軽く肩をすくめて球体の前に立つ。
「じゃあ、優しく押してくれよ?」
「うん、ゆっくり押すね?」
リューネはわずかに緊張した面持ちでアルの背に手を添え、もう片方の手で球体にそっと触れる。薄膜のような光の表面がわずかに揺れたかと思うと、アルの身体はすっと、まるで水の中に沈むように球体の中へと入り込んでいった。
「……おお、入れた」
外側から見れば、光に包まれたアルの姿がゆるやかに浮かび、そのまま動かずに安定している。まるで時間が止まったかのような静けさ。
「アル、どう?中の感じは――」
「…転移、できないな」
アルの声が、内側から少しくぐもって響いてくる。
「試してみたんだが魔力が外に抜けていかない。俺の身体の中で、ぐるぐると巡ってるだけだ。どこかで遮断されてる」
アルがため息混じりに言うと、テスは小さくうなずいた。
「転移魔法も封じられてるんだろうね。魔力そのものの“放出”が遮られてるなら、どんな術式も成立しない。そうなると…」
テスの言葉が続く前に、リューネがそっと手を伸ばした。
「アル?ちょっとだけ、触れてもいい?」
アルが軽く頷く。
リューネは迷いがちに、球体の表面に指を添える――その瞬間、光の膜がふわりと波打ち、内側から小さく音を立てて空気が押し出されたような感覚が走る。
そして次の瞬間、アルの身体がまるで水の膜を通り抜けるように、するりと球体の外へ抜け出てきた。
「おい、今のは…」
アルが目を見開き、自分の身体を見下ろす。
「リューネちゃんが触れると、内部の“封鎖”が解ける…?」
テスがぼそりと呟き、瞳を輝かせる。
「魔力のない者が鍵になるなんて、そんな構造普通ならあり得ない!でもこの魔法陣、やっぱり意図的に“魔力の外”を想定して設計されてる。古代魔法、マジでとんでもないな!」
リューネはただじっと自分の指先を見つめていた。
触れた感触は確かにそこにあったのに、それが何か作用したという実感はまるでない。
「僕に、こんなことが出来るなんて…」
自分でも信じられないというように、リューネはそっと呟いた。
魔法とは縁遠いはずなのに――それが偶然ではなく、確かな“作用”だったことに、ただ戸惑っていた。
そんなリューネの髪を、アルはくしゃりと撫でる。
「俺は出られなかった。けど、お前が触れたからこそ…外に導かれたんだと思う」
驚きに目を見開くリューネに、アルは微笑んで言葉を重ねる。
「さーて、それじゃあ今度は俺が球体に入る番だね!さあ、リューネちゃん俺を球体の中に閉じ込めて!わくわくするね!」
両手を広げて球体の前に立ち、きらきらとした瞳で振り返るテスに、リューネはくすりと笑みを零した。




