アル①
「チッ、忘れてた…」
眠そうな目元に不機嫌な色を滲ませ、クロゼットから適当な衣類を手に取り着替える。
服に興味は無く、着用出来れば何でも良いので黒い生地の服しか持っていない。
起きて一番に目を覚ます為の珈琲を飲む事を常としているが、切らしてから買う事をすっかり失念していた。
窓から差し込む日差しは既に昼過ぎのようだ…眠い。
アルはあまり早起きが得意ではない。
「行くか」
欠伸を噛み殺し、不可視の魔法を予めかけ転移魔法を唱える…眠い。
いきなり人間が目の前に現れた時に不審者扱いをされるので不可視魔法は必須だ。
何時も通っているカフェに近い路地に転移し、誰もいない事を確認し不可視の魔法を解く。
ここまで来て、スケッチブックを忘れてきた事に気付き舌打ちをした。
(これだから頭の回っていない状態で外に出たくないんだよ…財布だけありゃぁいいか)
眉間に皺を寄せ、明らかに不機嫌と分かる様子でカフェに足を踏み入れる。
店内は何時も来る時より時間が早かった為か賑やかだ。
「深煎りの豆を極細引きにしてくれ、あとそこのバゲットも」
簡潔に注文を終え、毎回試飲サービスをしてくれる店員に多めにチップを渡し出来上がりを待つ。
豆を挽いた香が店内を包みこむ。この香もたまらなく好きだ。
今日はナントカのフレーバーがどうのって言って手渡された珈琲だったが、あまり好みでは無かった。
やはり脳にガツンと響くエスプレッソが一番自分には合っているのだろう。
待つ間手持無沙汰なので、スケッチブックだけ転移させる魔法を組み立ててみたが上手くいかなかった。
暫くすると店員に「お待たせ致しました」と声を掛けられ、思考の世界から逃れた。
店員に礼を告げ、こっそりと自分の部屋に品物は転移させてしまう。
手元から転移させる事は容易いんだがなぁ…とまた思考の海に潜りかけた瞬間
(な…に…?!)
外から大きな魔力を感じ、店を飛び出した。
(火球?クソっ誰か居るじゃねぇか、狙われてんのか?!間に合え!!)
目の前の人物に防御の魔法陣を重ね掛けするが、次々と火球が迫る。
火球が迫る中恐怖で動けないのか、狙われた人物はその場から離れようとしない。
戦う術もないようだ。
(埒が明かねぇ)
火球自体はそこまで威力は無いものの、絶え間なく攻撃されてはこちらの魔力が枯渇してしまう。
恐らく相手は複数人だろう、防御のみでは明らかに分が悪い。
可能な限りの防御の魔法陣を展開し、足早に目の前の人物に近づき耳打ちをする。
返答も待たず、相手を抱き上げ己の部屋へと帰ってきた。
腕の中の存在は怯え、震え、目を見開き、両手をぎゅっと握りしめていた。
(あー、参ったな。すっかり怯えちまって顔なんて真っ青だし、そもそも俺自体が怪しい存在だよな…)
不可抗力とは言え、咄嗟に連れてきてしまった事に今更ながら後悔した。
(とはいえ、安心させてやらねぇと…)
普段から口数が多い方では無い為、相手を安心させるよう言葉を選び経緯を話す。
こちらの誠意が伝わったのか、腕の中で肩の力が抜けてゆくのを感じこちらもホッとした。
ひたすらよしよしとあやすように背中をさすり、頭を撫で続ける。
(それにしても、なんとも幼い印象だと感じていたが第五王子だとは思わなかった。良いところのお坊ちゃん程度だと思ってたんだがな)
まいったな…と遠くを見つめて現実逃避を試みたが腕の中の重みはそれを許さなかった。