アルの憂い
リューネの学園生活が、今日から始まる。
留学生の正式発表から、たった一週間で入校なんて――あまりにも急すぎる。
俺の心の準備なんて、到底追いつかない。
それに比べて、リューネをはじめとする留学生たちには準備なんてほとんど必要ない。学園側がほぼすべてを整えてくれる。身の回りの細々とした持ち物や私服を数着用意する程度だろう。
制服も既存のローブを手直しするだけなので、リューネはすでに試着を済ませ、わざわざ俺の前でくるりと回って披露してくれた。
かつて俺が着ていたローブに身を包むリューネは、あまりに眩しかった。
これから三か月間、一緒に過ごす見知らぬクラスメイトたちにひどく嫉妬した。
婚約期間を短縮して、せめて書類上だけでも婚姻を結べないかと、クスラウド側に交渉もしてみた。……結果は、見事に門前払いだった。
俺一人が空回りしている気分だ。
もちろん、婚約者としてはリューネの挑戦を心から応援したいと思っている。
聞けば、リューネは幼い頃から体が弱く、外に出ることもままならなかったらしい。勉強は城に家庭教師が来ていたらしく、学校にも通っていなかったという。
つまり――同年代の友達も、いない。
城の外に出て、人と関わることに慣れるには、今回の留学は絶好の機会だ。
結婚後だって、四六時中一緒にいられるわけではない。長い目で見れば、今回の選択は、間違いなく”正解”だ。
昨日は、一日中リューネの部屋で過ごした。
夜は、いつものように腕の中で眠るリューネの体温を感じながら、浅い眠りについた。
三か月分の充電を、たった一晩で満たせるわけがない。
「アル、行ってまいります」
ベッドの中で不貞寝を決め込んでいる俺に、リューネがそっとキスを落とす。
そして――一度も振り返ることなく、部屋を後にした。
一度も、だ。
薄目を開けて、去り行くリューネの背中をじっと見つめる。アイツが出て行った扉を眺めながら、ふと思い出した。
あいつが、嬉しそうに言っていた。
――アルさんの匂いがします…
今なら、その言葉の意味がよく分かる。
リューネの温もりを失ったベッドは、あいつの甘い香りで満ちていた。
俺がこんなにも、リューネに溺れる日が来るなんて、思ってもいなかった。
そしてこんなにも女々しく、拗ねてる自分にすら驚いている。
リューネが関わると、俺はまともな判断すら危うい。
「……まったく、こんなんじゃ俺が捨てられちまうな」
見送りにも起きない婚約者なんて、愛想尽かされても文句は言えない。
溜息をひとつ吐いて体を起こしたとき――ふと、ベッド脇のサイドボードに、封筒が置かれていることに気がついた。
昨日までは、なかったはずだ。たぶん。きっと俺に読めってことなんだろう。
――私のアルへ
初めてアルに手紙を書きます。
私の我儘を聞いてくださり、ありがとう。
貴方とずっと笑い合って生きたい。
貴方と共に幸せになりたい。
そして、貴方のために強くなりたい。
そのために、たくさん学園で学んできます。
きっとすぐにアルが恋しくなるでしょう。
毎日アルのことを思い出すと思います。
私のことも、毎日思い出してくださいね?
溢れるほどの愛とキスを、貴方に。
――貴方のリューネより
簡素な手紙だった。けれど、リューネの今の想いが、まっすぐに伝わってくる。
「……俺は、馬鹿だな」
自嘲気味に笑って、急いで服を着替える。
転移魔法の詠唱を唱えながら、心の中で祈った――間に合ってくれ。
学園の正門を抜けた先に、リューネがいた。
「リューネ!」
振り返ったリューネの表情が、ぱっと明るくなる。
俺は手にした封筒を高く掲げ、リューネへの返事代わりに詠唱を始めた。
空から、無数の花びらが舞い降りる。
まるで、リューネの門出を祝福するように。
花びらは、地に触れると同時に淡く光って消えていく。
まわりにいた他の留学生たちは、呆然と立ち尽くしていた。
けれど、リューネだけは、誰よりも眩しい笑顔を向けてくれた。
そのとびきりの笑顔に、俺の胸が温かくなる。
案内係の魔導士が、足を止めたままの留学生たちに業を煮やして駆け寄ってくる。
のんびりしていられないのだろう。
俺も、それ以上は何も言わず、片手を軽く上げてリューネに別れを告げる。
そして、自室へと転移した。
花びらは、俺なりの激励だ。リューネには、きっと伝わったはずだ。
「狭量な男とは思われたくねぇしな」
ふっと笑い、思い浮かべたのは――リューネの、あの笑顔。
三か月の間、どれだけ外出の機会を作ってリューネを連れ出せるか。前向きに考えようと、少しだけ背筋を伸ばした。




