それから
クスラウド王城の執務室に、静かで穏やかな空気が流れていた。
レステュユルニは、大きな机を挟んで座るリューネをじっと見つめ、低く問いかける。
「本当に、それでいいんだな、リューネ?」
リューネはまっすぐ兄を見つめ、揺るぎない声で答える。
「うん。アルとも何度も話し合って、ちゃんと決めたの。僕たちはどちらも五番目の王子で、政務にはほとんど関わらないし……結婚式なんて挙げなくても、ふたりでいるだけで充分幸せだよ」
その微笑みは澄み切っていて、心の底から喜びが溢れていた。
リューネは日を追うごとに美しくなっていく。それは、アルから惜しみなく愛情をそそがれているからだろう。
「二人でよく話し合った結果なら仕方ないが……兄としては、お前の晴れ姿を見たかった」
彼は静かに目を伏せながら続ける。
「費用の心配ならしなくていいんだぞ?お前のために、ちゃんと準備して――」
「レステュユルニお兄様……ありがとう」
リューネは、その優しさに微笑みを返した。
「僕は側室の子で、しかも五番目の王子。それなのに、お兄様をはじめ、嫁いでいった姉様たちも皆、ずっと僕を大事にしてくれたよね。それだけでもう、本当に十分すぎるほど幸せだったのに……その上、僕だけ恋愛結婚までできるんだよ? これ以上の幸せなんて、ないって思ってる」
レステュユルニの目には、すでに涙が滲んでいた。まるで、愛しい我が子を手放す日の父親のように、胸に込み上げる想いが抑えきれない。
ついに彼は、感情を抑えきれずに立ち上がり、リューネを力強く抱きしめた。
「もう、お兄様……泣かないで?」
リューネは小さく笑い、兄の背をそっと撫でながら、優しく語りかける。
「アルもね、こちらに講師として来る時は、必ず一緒に連れてきてくれるって言ってた。ルブテールズに行ったきりにはならないし、お兄様にもちゃんと会いに来るから。それに、まだ婚約期間だって、半年も残ってるんだよ?」
アルが提案した経済改革のひとつ、クスラウド王国の魔導士教育の指導陣には、アルの名も加えられている。基本的にはテスの配下が指導を行う予定だが、指導の手が足りない時には、アルが補佐として来ることになっていた。
「本当に偶然だけどアルと出会えたことで、僕がこの国に貢献できることができた。五番目の王子としてはなかなかの成果だと思わない?」
リューネは、少し得意げに微笑みながら言った。
「お兄様も、そう思うでしょう?」
そして、ほんの少しだけためらうように、澄んだ蒼い瞳を兄に向ける。
「それでね、お兄様に……一つだけ、我儘を聞いてほしいの―――」
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晴れ渡る青空の下、ルブテールズ王国の魔道塔近くの広場には、両国の重鎮が集っていた。
クスラウド王国側からは王族や高位魔導士たち、そしてルブテールズ王国の魔術師陣を率いる国王をはじめ、アルステルスやデュラテスも参列している。
今日は、両国を繋ぐ魔法陣の開通式――歴史的な瞬間だった。この噂を聞きつけたルブテールズの国民も広場の外から見守り、遠くからその様子を眺めている。
両国の経済的な発展に直結するこの計画は、早急に進められ、多くの魔導士たちによって整備が完了していた。
クスラウド王国側は、膨大な数の魔石を提供し、それが魔法陣を持続させるための主要な動力として使用される。
「そろそろですね、ジュウト」
クスラウド王国側では、普段ほとんど使用されていない街の北門付近に魔法陣を設置する予定だった。
リューネとジュウトは城の展望室から設置予定の場所を眺めている。窓から見えるのは豆粒ほどの魔導士たちがせわしなく動き回る様子。
そして――突然、地を揺るがす震動が響き渡った。
――ヴォン――
空を埋め尽くすほど巨大な魔法陣が現れる。その魔法陣は徐々に収縮し、魔導士たちが円陣を囲んだ地面へと吸い込まれ、やがて、光の絨毯のように地面へと定着し、魔法陣がその場に完成した。
「すごい……!」
リューネは目を見開き、感嘆の声を漏らす。横で一緒に見ていたジュウトも珍しく興奮している様子だった。
「あの魔法陣に乗れば、ルブテールズ王国へ行けるとは……なんとも不思議ですね。私もいつか行ってみたいものです」
「暫くは魔道の護符を持っていないと行き来できないみたいだけれど、そのうちジュウトも行けるようになると思うよ。ルブテールズは一年中気候が安定していて、暖かい国なんだ。人々もとても温かいし」
リューネは微笑みながら、ルブテールズの魅力について語る。そんな話をしながら、ふたりはリューネの部屋へと戻った。
扉を開けると――そこにはソファに座るアルの姿があった。
一目見ただけでわかる程酷く不機嫌だ。
遠目からでも、眉間に寄せられた皺や、組まれた腕の硬さが、その苛立ちを物語っていた。
リューネはジュウトに目配せし、ジュウトは静かに目礼すると、その場から立ち去る。扉が閉まる音と同時に、リューネはアルの膝に座り、首に腕を回し、そっと唇を重ねた。
「アル、開通式、お疲れ様です。まだ仕事が残っていたんじゃないの?」
機嫌を取るように甘えた声で囁くが――アルは顔すら上げない。
不機嫌さは絶好調のようで、リューネを見ようともしない。
(これはなかなか骨が折れそう……)
リューネは内心苦笑しながらも、どうにか場を和ませようと試みる。
しかし、次の瞬間――
「これ、一体どういうことだ?」
アルが鋭い声とともに、一枚の紙をリューネの目の前に突きつけた。それは、クスラウド王国からルブテールズ王国への短期留学生の名簿。その中に――リューネの名前が記載されていた。
「今日が正式発表の日だったんだね」
リューネは淡々と答える。
「レステュユルニお兄様に推薦してもらったの。本来なら学生じゃないと対象にはならないけれど、王家の力を使ってみました…」
「そこじゃない。どうして俺に黙って――」
「言ったら反対したでしょう?」
リューネはアルの言葉を遮るように、迷いなく言い切る。
「レステュユルニお兄様も、アルも僕に対して過保護すぎるよ。僕はルブテールズの学園に在学して、アルの国のことも民のことも知りたい。魔道学園の事調べてみたら、魔道科だけでなく普通科や商業科もある。いろんな人と交流して、もっと勉強して、もっと視野を広げたい。今の僕の世界は、あまりにも狭すぎると思う」
リューネはまっすぐアルを見つめながら続ける。
「アルの伴侶として堂々と横に立つために、僕自身にその自信をつける必要がある。だから、留学したいって思ったの」
アルは押し黙る。
「正直、二年間くらい在学して勉強したかったけれど……」
リューネは少し苦笑して言う。
「でも、二年もアルと離れて暮らす自信がないから、三か月間の短期留学にしたの。婚約期間もあと半年近くあるし、そのうちの三か月だけ、僕のわがままを聞いてほしい」
そして、アルの手をそっと握り、囁く。
「残りの人生は、すべてアルに捧げるから……お願い」
アルは大きくため息をつくと、リューネを強く抱きしめる。
「………俺はお前に翻弄されっぱなしだよ」
独り言のように呟きながら、腕の中にある愛しい存在を離したくないように強く抱き込む。
「ふふっ、ちゃんと三か月後には戻ってくるよ。僕が愛しているのは、アルだけ。何も心配することはないよ?」
アルの頬を両手で包み込み、額を合わせ、優しく愛を囁きながら、唇を重ねる。
(心配事しかねぇんだよ、天然タラシが……)
アルは、どうにか婚姻を早められないか、書類上の手続きを考えながら、リューネを腕の中で抱きしめ続けるのだった。




